「漫画村」海賊版サイトブロッキング問題は現代のMP3問題だ
KNNポール神田です!
政府が「緊急対策」として自主的な遮断を促す危険性
著作権侵害が行われているサイトのリンクを集めたサイトが『海賊版サイト』と呼ばれ、政府の閣僚会議で、法整備を進めるのは理解できる。しかし、法律ができるまでの「緊急対策」として、日本のISPに対して「自主的」な遮断を促してきた。それに対して、NTTが2018年4月23日(月)、対応する発表をおこなった。あくまでもNTTによる自主的なISP側によるDNSブロッキングによる遮断だ。
かつて、同様の法的解釈前の「緊急対策」として2010年児童ポルノ関連サイトの排除が挙げられたが、これはまだわかりやすかった。児童ポルノの画像や動画は一目瞭然だからだ。しかし、海賊版サイトは、どこからどこまでが海賊版なのかが不明確だ。また、今回のような有名な一部のサイトだけをDNS遮断する方法では、いくらでも新たな海賊版サイトを立ち上げることが可能となってしまいイタチごっこになりかねないだろうか?
ここは、議論を重ねた法的整備が重要なところだ。むしろ、「緊急対策」という法的なしばりがないままの、自主的なISO側の判断を促すという中途半端な圧力そのものが危険ではないだろうか?もちろん、政府の担当省から電波の帯域や通信サービスの許可を得ているISP側は「忖度」せざるをえなくなるからだ。自主的な判断に任せるという閣議決定こそが、ISP側としては一番対応がやりにくい。
さらに、ここでは、日本国憲法第21条第2項の「通信の秘密」にもかかわってくる。ウェブサイトへのアクセスを個々の通信と考えるならば、通信の秘密が守られていない。また、電気通信事業法 第4条 通信の秘密の保護にも「緊急対策」は抵触していることとなる。
もちろん、問題の核心は、「著作権侵害」にあるのだが、本質は著作権の侵害よりも「営業機会の損失」である。無料で漫画が読めるサイトという触れ込みで、それを利用する人たちが絶えまなく、さらに、それが拡散されてきた環境に問題があった。
漫画村問題は現代のMP3問題だ
1997年、今から20年も前に、音楽産業にも同じような問題の時期があった。「MP3問題」だ。「MPEG-1 Audio Layer 3」というCD並の音質を1/10サイズに圧縮できる音声フォーマットが普及し、音楽CDからMP3形式ファイルが作られ(リッピングされ)、インターネットで共有しはじめたからだ。無料のMP3の音楽ファイルは海外の海賊サイトにリンクが掲載されダウンロードできた。そして、同時にMP3の再生デバイス機器「Rio(1999年発売)」の販売差し押さえや、ファイル変換アプリケーションの排除とまで発展する。まさに、現在の日本の漫画村の「緊急対策」そのものである。
そんな中、虎視眈々と音楽産業と提携を進めていたのがAppleの「iPod(2001年発売)」である。そして、「iTunes Music Store(2003年)」によって1曲99セントで販売されるようになった。もちろん、この中からAppleも利益を得るので、音楽業界もMP3問題で頭を痛めるよりも、大半はAppleの提案を受け入れた。もちろん、SONYのようなデバイスも音楽のコンテンツも持っている事業はAppleと相性が悪いので独自のネット流通を目指した。iTunes Storeの今日を見れば、iPhoneアプリのダウンロードから、「AppleMusic(2015年)」のような定額サブスクリプションも浸透している。
ネット配信の成功は、違法で海賊版のサイト利用する心理コストよりも、さらに使いやすいUIとノンパッケージならではの適切な価格設定にあったのだ。もちろん機器の進化も目まぐるしい進化の歴史だ。しかし、その音楽業界でさえ、現在は興行ビジネスで支えられているようにビジネスモデルは常に変革している。
漫画におけるビジネスモデルの変革を急げ
緊急対策で違法サイトを締め出しても、イタチごっこは無くならない。一度、覚えてしまった消費者の悪癖はそう簡単に治らないのだ。むしろ、その消費者心理を逆手にとるのはどうだろうか?…。
ISP側は、「違法あつかい」とされるサイトへのアクセスする端末情報の詳細をすべて政府へ報告する。それだけで大半の消費者は気持ちが悪いことだろう。現在の遮断は、「通信の秘密」が守られていないのだから同様のことだ。
MP3問題から考えると、現在の端末はスマートフォンでウェブからのブラウジングである。電子書籍のブラウザがAmazonのkindleや楽天のkoboくらいしかまともに生存しておらず、しかも進化どころか、いつまでたっても、もっさりしていて使いにくい…。文字だけならば、まだしも、カラーやグラフィックとなるとほとんどお手上げだ。現在のスマートフォンやタブレットの高速なプロセッサと比較するともはや役立たずだ。
そして、現在の「電子書籍」が、kindleやkoboで読まれることを想定しての最高300dpi程度のスキャンだから、高精度のディスプレイや4Kモニタで見た場合、カラー雑誌やカラー漫画でも美しくない。つまり、見る気にならないのだ。むしろスマートフォンのほうがキレイに読める時点で「電子書籍」専用端末が負けている。
電子書籍、電子マンガの価格設定の問題
端末を現行のスマートフォンとするならば、正規に漫画が購読し読める統合プラットフォームを用意し、価格を書籍ルートの兼ね合いを考慮せず(MP3問題の時、レコードおよびCD店舗を考慮しない価格設定を適応)に一作品ごとに読める画期的な価格設定が必要だろう。現在の「電子書籍」の価格は、従来の「紙」価格からの価格設定であり、本質的な価格設定ではない。紙の印刷、流通、マージン、在庫、返品などの二次コストを完全に省いた、コンテンツの権利価格と制作価格とマージンだけを回収するモデルで、「漫画」の流通を考えるべき時期に至っていると考えられる。
MP3問題が音楽業界が、レコード店、CD店との決別を早めたのと同様に、漫画村などの海賊サイト問題は、漫画業界が、本屋コンビニとの漫画との決別を早めているのかもしれない。それと同様に、日本には「貸本業」という商いが江戸時代からある。電子的な「貸本」というスタイルを取り入れれば、「書店」とは違う新たなる流通を取り入れることができる。
法的な解釈が2019年からスタートするらしいが、むしろそれよりも、「漫画」と読者の関係が落ち着く価格設定とプラットフォーム成立を考えないと、売れなくなった音楽産業の歴史をトレースするだけである。