マンガ大賞2位の『チ。 –地球の運動について–』、表紙のカバーイラストからも伝わる確かな実力
マンガ界で確認された“新星”
2021年3月16日に発表された「マンガ大賞」(マンガ大賞実行委員会主催)で第2位にランクインしたのが『チ。 –地球の運動について–』(魚 豊)である。
本作は小学館「週刊ビッグコミックスピリッツ」にて2020年第42・43合併号(2020年9月14日発売)から連載がスタートした。
連載開始からまだ半年。
「マンガ大賞2021」の選考対象期間に刊行された単行本は第1集のみ(2020年12月16日刊)でありながら、すでにマンガ通のあいだでは高く評価されている。
本作の物語の舞台は15世紀ヨーロッパ。
主人公ラファウは大学で神学を専攻する予定だったが、「禁じられた研究」をしていた異端者フベルトと出会う。彼の研究とはC教公認の天動説に背くものであり、それゆえにフベルトは背教者として裁かれてしまう。
当初はフベルトの唱える説に否定的だったラファウだが、合理性を重んじる彼は、次第に「地動説」の合理的な美しさに惹かれていく。
雄弁なるカバーイラスト
この作品の非凡さを端的に示しているのが、単行本第1集のカバーイラストだ。
主人公のラファウが手にしている道具はアストロラーベ(天体観測用器具)といい、このイラストの構図的に、天体の高度を測っているものと思われる。そして、彼の首には縄がかけられていて、足は自分の影から離れている。
つまり、絞首刑にされているわけだ。
異端者の烙印を押されてもなお、天体観測をやめず、迫害を受ける――。そんな第1集のストーリーラインと主人公のアティチュードが凝縮した、センスとインテリジェンスあふれるカバーイラストなのである。
物語の多重性
21世紀の現代に生きる読者は、地動説が科学的に正しいことを知っている。それゆえに、読者は主人公に肩入れしやすい。
教会は間違っていて主人公はつねに正しい、と。
この「主人公はつねに正しい」という視座は、主人公に感情移入しやすい反面、登場人物を「善玉と悪玉」に切り分けて、二項対立で物語を捉えてしまいやすい。物語の可能性(奥行きや幅の広さ)を狭める危険性が生じるが、本作はその落とし穴に陥っていない。
その理由は、主人公の描き方にある。
第1集での主人公ラファウは、心のなかでは「世界、チョレ~~」と周囲を見下しているような、ちょっとイヤな奴だ。
彼は科学的に正しいが、だからといって正しい行動をするとは限らない。
(後世の人間だから理解できる)科学的な正しさが、物語における彼の“正しさ”を担保しているわけではないのだ。
「ちょっとイヤな奴」で感情移入しにくいからこそ、読者は劇中で語られる「正しさ(常識)」に注意を喚起される。表面的に描かれている出来事以上のものが物語られていると、気づけるのだ。
また、第2集では「火星の逆行」が題材となる。
主要登場人物のオクジーは、夜空を見上げることに恐れを抱いており、オクジーの逡巡は「火星の逆行」と照応し、「惑星」という言葉の語源(プラネテス=さまよう者)を想起させるだろう。
このように、モチーフとテーマを同期させる巧みさは特筆に値する。この作品では、つねに複数の物事が同時に語られているのだ。
表面的なストーリー上の出来事を追うだけでも十分に楽しい。だが、「ここに描かれているものは何を意味するのか?」「ここでは何が問われているのか?」を意識しながら読むことで、さらなる楽しみに出会える。それがこの作品の最大のストロングポイントといえる。
「パラダイムシフト」を描く野心的作品
第2話(第1集収録)でラファウが描くスケッチでは、惑星の軌道は同心円(等速円運動)である。現代のような楕円型で描かれるようになるまでには、まだ太陽中心説や天球の概念など、覆さなければならない常識がたくさんある。
天動説と教会の権威が全盛の時代に、そうした常識に挑み続けた人々がいた。彼らを突き動かした情動とは何か?
『チ。 –地球の運動について–』は、ただ科学論が刷新されるという事象を描いているのではない。「する」か「しない」かの分かれ道で「する」を選んだ勇気ある人々によって世界の常識が覆り、世界の見え方が変わる瞬間を捉えようとしている。つまり「コペルニクス的転回(パラダイムシフト)」を描こうとしているのだ。
本日3月30日には最新の第3集が刊行される。
この野心作がどのような軌跡を描くのか、じっくりと観測していきたい。