東北では貴重な貨車駅舎の生き残り 奥羽本線 中川駅(山形県南陽市)
貨物を運ぶための貨車を改造して駅舎に転用した貨車駅舎。国鉄末期に全国各地に設置されたが、北海道に次いで多くの貨車駅舎が設置されたのが東北地方だった。青森県4駅、秋田県7駅、岩手県1駅、山形県1駅、福島県1駅の計14駅に設置されている。ただし、現存例は極めて少なく、八戸線の陸中夏井駅(岩手県)と奥羽本線の中川駅(山形県)の二つしか残っていない。今回はそのうち中川駅を取り上げる。
中川駅は村山盆地と置賜盆地を隔てる峠越えの途中にある駅で、明治36(1903)年11月3日に開業して以来、120年の長い歴史を持つ。長らく開業時の木造駅舎が使われてきたが、昭和61(1986)年3月に有蓋貨車を改造した駅舎に改築された。
駅舎への転用に当たっては、採光性と風通しの確保のために窓が開けられ、入口に風除室も兼ねた三角屋根が取り付けられた。北海道に多く残る、貨車の姿剥き出しの駅舎と比べると結構手が加えられているという印象を受ける。
三角屋根の付いた駅前側と比べるとホーム側は白一色に塗られているだけで素っ気ない。ただし、その分、貨車の原型を色濃く残している。錆が浮いてきているのが気になるところで、貨車駅舎になってから40年近いことを考えると将来が気にかかる。堅牢な貨車だが、鉄でできている故に錆には弱いのだ。
中川駅には駅舎側の出入口の他に、跨線橋で繋がった裏口がある。駅の前と裏に工場があり、構内はそこを行き来する社員の通路としても使われているようだ。無人駅の構内を平日日中にサラリーマンが行き交う光景はちょっと珍しいかもしれない。
中川駅の駅名の由来は開業時の所在地である東置賜郡中川村だ。中川村は昭和30(1955)年6月10日の合併で東置賜郡赤湯町となり、昭和42(1967)年4月1日の合併で南陽市となっている。