【武蔵小杉さんぽ】中原街道から丸子橋の上下を歩く 自動車レースの跡地と、どんど焼きで賑わう河川敷
こんばんは!
新丸子の「まちの架空の物語」というプロジェクトの、本作り担当アーティストとして招聘していただきました、俳優のAshです。
招聘とはいっても、なんせとなりの武蔵小杉に住んでいますし、新丸子はむしろ庭?というくらい歩き回っているのですが、改めて本にするとなると、やっぱりそういう視点で街を歩かないとわからないこともあり。
昨日書いたこちらの記事も、街を子どもの視点で再発見するような気持ちで歩いて、書いています。
このお社はどこにあるか知ってる? 中原街道に面影を残す明治の醤油作り工場も
今日は、この記事から続く、中原街道を丸子橋まで行き、その上下の風景を辿ってみます。
旅は道連れ
この風船には、「みにまる」という名前が付いています。これも、私が今作っている本に出てくるキャラクターなのですが、街歩きにはやっぱり友達が必要なので一緒に来てもらいます(笑)。
後ろに見えるのは、以前記事でもご紹介したビーズショップのシスタームーンですね。
どこからが丸子橋?
さて、丸子橋のたもとに着きました。
ここから橋は始まってるんですが、じつは、ここはまだ「上子橋(かみこはし)」という橋なんです。
ここから丸子橋
丸子橋はここからなんですね。(しらなかった!!)
上流には多摩川スピードウェイの遺構が
丸子橋のすぐ上流には、大正時代から昭和初期に盛り上がった自動車レースのための専用サーキット「多摩川スピードウェイ」の遺構があります。
かつては観客席がそのまま残されていたのですが、それが堤防の強化工事のために撤去されることになり、わずかなコンクリート部分に記念プレートが埋め込まれる形で保存されたのでした。
現在はピクニック広場として、少年少女たちがこうやって野球をしたり、凧揚げをしたり、老若男女がさまざまな用途に利用していますが、かつては色とりどりの車がスピードと技術を競い合い、胸を熱くして人々がそのレースを眺め、日本の自動車産業が花開いていったのだと思うと、どんな光景だったのか、想像をめぐらせるだけでも楽しいですね。
エンジン音も夢のあと、というような上側から、こんどは丸子橋の下側に移動していきます。
どんど焼き
こちらは、丸子橋第一グラウンド側。 折しも、お正月行事のどんど焼きをやっています!(いや、もちろん狙って撮りに行ったんですが…)
この階段を降りていきます。
自転車で来た人たちも、めいめいに橋の下に駐輪。
私が行った時には、もう福餅の配布は終わっていました。
コロナ禍を経て4年ぶりの開催で、とても賑わっていましたね。
久しぶりに、丸子囃子保存会や、獅子舞の存在もあってうれしい!
こうやって火を囲んで、みんなでお餅を焼いている光景は、新丸子の風物詩なので、復活してくれて本当に良かったです。
消防隊もいつものように待機してくれていて安心。
大きく燃え上がっていた火を小さくして、みんなが近づきやすいようにしてくれるのも、消防のみなさんです。
お蕎麦の販売はなかったけれど、代わりに少し屋台が出ていました。
焼きそば、フライドポテト、たこ焼きなど。
やっぱり、多摩川とその河川敷は、このエリアの文化を形作る大きな働きをしているんだな、と改めて思いました。
「新丸子のまちの架空の物語」は2月に中原市民館で行われる「コスギアート・ラ・ファブリカ」というイベントで無料配布される予定なので、気になる方は是非足を運んで、手に入れてみてくださいね!