ルー・ブロック“最後”の安打は横浜スタジアム。その思い出はレアな「米米野球」と共に色あせず…
またもメジャーリーグから訃報が伝わってきた。メジャー歴代2位の通算938盗塁をマークし、1985年に米野球殿堂入りしたルー・ブロックが81歳で死去したと、メジャーリーグの公式サイトなどが伝えた。
1974年に当時メジャー新の年間118盗塁
1961年にシカゴ・カブスでメジャーデビューしたブロックは、1964年の途中でセントルイス・カージナルスにトレードされると、ナ・リーグ盗塁王を8回獲得。1974年にはシーズン118盗塁をマークして、モーリー・ウイルス(ドジャース)が保持していた104盗塁のメジャー記録を塗り替え、1972年に阪急ブレーブスの福本豊が樹立した日本記録の106盗塁をも超えた(その後、1982年にオークランド・アスレチックスのリッキー・ヘンダーソンがシーズン130盗塁でこれを更新)。
1979年にメジャーリーグ史上14人目の通算3000安打を達成し、この年も120試合の出場で打率.304、21盗塁の成績を残しながら現役を引退。通算938盗塁は、1991年に前出のヘンダーソンに抜かれるまではメジャーリーグ史上最多で、現在は2位にランクされている。
そのブロックにとってメジャーの舞台で最後の安打となったのは、1979年9月28日の対ニューヨーク・メッツ、ダブルヘッダー第2試合の延長10回裏に代打で放ったセンター前ヒット。このシーズン123本目、現役通算3023本目の安打だった。
横浜スタジアムで放った現役“最後”の安打
実はこの年、ブロックはシーズン終了後にさらに2本の安打を記録している。舞台は日本。オフシーズンのイベントとして日米野球ならぬ「米米野球」、つまりア・ナ両リーグのオールスターチームが日本で7試合を行う「大リーグ・オールスター戦」が開催され(ほかに日米オールスター戦2試合)、ブロックはナ・リーグの一員としてこれに出場していた。
ブロックは当時40歳で、第6戦までは5試合に出場して6打数1安打。11月18日に横浜スタジアムで行われた最終第7戦は、七番・指名打者で先発出場した。筆者も現地で観戦したこのデーゲーム、観客の大半は「大リーグに魅せられた者」だったはずだ。
だからブロックの打席ともなれば、スタンドも沸く。2回の第1打席はライトフライ。先頭バッターで迎えた5回の第2打席は内野安打で出塁して大きな歓声を浴びると、九番ラリー・ボーワ(フィリーズ)の三塁打で勝ち越しのホームを踏んだ。
ブロックは続く7回の第3打席で、デーブ・キングマン(カブス)を代打に送られて交代。その2日後に行われた日米オールスター戦第2戦にも代打で途中出場するが2打数ノーヒットに終わり、あの内野安打が現役選手として最後のヒットになった。
ベース踏み忘れに、40歳ナックルボーラーの完投勝利…
この横浜での大リーグ・オールスター戦第7戦で思い出に残っているのは、ブロック“最後”の安打だけではない。ナ・リーグの一番、ゲーリー・マシューズ(ブレーブス)の先頭打者ホームランで幕を開けた試合は、2回にこの年のア・リーグ打点王で、リーグMVPにも選ばれるドン・ベイラー(エンゼルス)がチーム初安打となるタイムリーを放って同点となる。
ところが、次打者の安打性の打球で勢いよく二塁ベースを回ったかに見えたベイラーは、ベースを踏んでいなかったとアピールを受けてアウト。筆者にとっては、初めて生で目撃する「ベース踏み忘れ」だった。
ナ・リーグの先発マウンドに上がっていたのは、このシーズンは40歳にして44試合に先発し、いずれもリーグ最多の21勝20敗、23完投、342投球回を記録していたフィル・ニークロ(ブレーブス)。ベイラーのボーンヘッドもあって2回のピンチを1点で切り抜けると、その後はア・リーグ打線にヒットを許さず、122球で1安打完投勝利。投球の大半を占める代名詞のナックルボールは、まさに“魔球”だった。
ニークロはこのシリーズ、これが第1戦、第3戦に続いて3試合目の先発。オフシーズンのこうした試合で、しかも40歳の投手が完投というのは、現在では考えられないだろう。
演出だった? 「名物監督」の退場劇
ちなみにこの時、ナ・リーグの指揮を執っていたのがトム・ラソーダ監督(ドジャース)なら、ア・リーグはアール・ウィーバー監督(オリオールズ)。ウィーバーはこの年のア・リーグ制覇を含め地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ優勝1回を誇る一方で、引退までに通算100回近い退場処分を受けた「名物監督」である。
そのウィーバーが、この試合でも同じア・リーグ所属のビル・ハラー球審に対する抗議(野次?)で、退場を宣告されたのには驚いた。スタンドからはよく見えなかったのだが、ウィーバーはその後も平然とダグアウトに居続けたということで、この退場劇は「演出」だったという説もあるが、真偽のほどはわからない。ただ、いろんな意味でこの試合が今も記憶に残るものであることは間違いない。
まだメジャーリーグが、いや「大リーグ」が遠い別世界だった頃の話。筆者にとってこの試合の思い出は、ブロックの“最後”の安打と共にいつまでも色あせることはない。
(文中敬称略。所属チームはすべて当時のもの)