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バービーボーイズ 衝撃の東京ドームライヴから30年、不変のスタンスを語る

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
「ただ安易にやろうっていって、盛り上がって集まっただけでは、いい音楽はできない」

バービーボーイズ、一夜限りの復活。8年ぶりのライヴパフォーマンスを披露

9月末、多くの音楽・エンタメ系サイト発信のニュースに、「バービーボーイズ 、8年ぶりに一夜限りの復活」という見出しが躍った。10月25日、BSプレミアム『The Covers』が年に一度行うスペシャルフェス、『The Covers’Fes.2018』の公開収録がNHKホールで行われ、“レジェンドゲスト”として登場。KONTA(Vo,ソプラノSax)、杏子(Vo)、いまみちともたか(G)、ENRIQUE(B)、小沼俊明(Dr)の5人全員揃ってのライヴパフォーマンスは、2010年の日本武道館公演以来およそ8年ぶりだ。ライヴは「目を閉じておいでよ」「女ぎつねon the Run」の大ヒットナンバー2曲を披露し、ファンはもちろん、共演者もレアなパフォーマンスに酔った。この模様は11月30日にオンエアされた。

今年発見された未公開映像15曲を含む、全24曲145分収録の完全版ライヴドキュメント『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』

『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』(11月21日発売)
『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』(11月21日発売)

また、今から30年前、1988年8月22日に東京ドームで行われた、バービーボーイズの全国ツアー『STARS ON SPECIAL』の最終公演の模様が、今年発見された未公開映像15曲を含む完全ノーカット版として、10月28日に全国の映画館(全14都市、16の映画館)で1日限定公開され、チケットは即完。上映館が追加、再追加されるという盛況ぶりで、改めてその注目度の高さを証明する形になった。さらにこの映像は、映像・音のマスターをレストア・リマスターし、全24曲145分収録の完全版ライヴドキュメント『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』として、11月21日にリリースされた。

今また注目が集まるバービーボーイズのKONTA、杏子に、伝説の東京ドーム公演について、そしてバービーボーイズというバンドの本質について改めて、語ってもらった。

『The Covers'Fes.2018』のため再集結。「変な違和感がある、居心地がよくない、いつもの感じ(笑)」(杏子)

『The Covers'Fes.2018』で8年ぶりにステージ立ったバービーボーイズだが、時間が経っていても、一旦集まれば、濃密な約10年間を過ごした“同志”は、すぐに“いつもの”空気になるのだろうか。“5人ならではの”、居心地のよさがあるのだろうか。

「いえ、居心地がよくないいつもの感じ(笑)。変な違和感がある感じだけど、そうそうこの感じだなと(笑)。リハをやってもコンちゃんは「これでいいよね」とか言って、すぐやめたがるし、昔と変わらない(笑)」(杏子)。

「みんなできるだろうなって思ってて、そんなに長い時間リハをやらなくても、これでいけるって思えたら、大丈夫なんじゃないかなと俺は思っちゃうので。今回は収録っていうこともあるから、取り立てて目新しいことをやる必要もないし、そういう意味では、信頼関係を再確認することが大事でした。そこはそれぞれができているんじゃないかなって。それこそ今回の企画をやる、やらないの話もそうなんだけど、俺はいいけど他はどうなのっていうのがどうしてもあって、それが妙な雰囲気なんだけど(笑)。音を出しちゃえばそれぞれ準備もしているだろうし、いざやってみると、やっぱりこの感じだなって思う。ただ安易にやろうっていって、盛り上がって集まっただけではそうはならないと思う」(KONTA)。

今後については、「何か仕掛けてやろうぜっていうのが全然ない(笑)」(KONTA)

今回一夜限りとはいえ再集結したことで、今後につながる話はメンバー内で出たのだろうか?

「一切そういう話をしない、それが変わっていなくて。積極性が全くない(笑)」(杏子)。

「何か仕掛けてやろうぜっていうのが全然ない(笑)。一貫しているんですよ、男どもは。気分次第(笑)、気分とスケジュール(笑)」(KONTA)。

「男子は本当にわからない(笑)」(杏子)。

「みんな腹の底では、俺はいいけど他のメンバーはどうなのって思ってるんだけど、言い出しっぺにはなりたくないという(笑)」(KONTA)。

「スタッフが、「杏子さん説得してください」って言ってくるけど、無理無理って(笑)」(杏子)。

「杏子が説得に来ると、「あんたがそういうのはわかっているさ、だけどやりたくないんだよ、今は」ってなっちゃうんだよね(笑)。一貫しているところの難しいさはそこ(笑)」(KONTA)。

『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』を観ると、その圧倒的な演奏力、楽曲の素晴らしさ、そして男女の掛け合いのツインボーカルスタイルは、唯一無二の世界観を持ったバンドだということを再認識できる。今年発見されたこの伝説のライヴの映像と音源を観、聴いた感想を聞いてみると―――。

東京ドームライヴは、「実はあの時のことを全然覚えていなくて、改めて観ると、自分にすごくダメ出しをしたい(笑)」(杏子)

「ドームの音響を聴いて、(酷くて)これどうするんだよって思いながらやっていて、だから怒りと焦りで、ずっと目がつりあがったまま(笑)」(KONTA)

「私は男子だけのバービーボーイズの時代を知っていて、当時から完成していてクールで本当にカッコいいけど、問題は杏子だなって(笑)。確かにあの過酷な音響の中で、よくちゃんと歌ったなとは思うけど、訳のわからない動きとか、板についてない悪ぶったMCとか、衣裳が気になっちゃって(笑)。実はあのライヴのことをほとんど覚えていなくて、まっさらな感じで観たから余計にそう思ったんだと思うけど、自分にすごくダメ出しをしたい」(杏子)。

「スタッフも含めて誰もが初めてだし、不慣れだったのによくやったよ俺たちっていう感じがありますね。一番気になったのは、お客さんの反応とのタイムラグ。会場が広すぎて、リアクションがいつもよりもワンテンポ遅れるので、やっている側としてはこのズレはなんだ?という感じでした。それは今でも思い出す。これどうするんだ、だからドームなんて嫌だったんだ、終わりじゃねえかっていうのもどっかにあって(笑)。でかいところでやればいいってもんじゃねえんだよ、カッコ悪いっていうのは、当時からありました。だからつり目のまんまやりきったのかもしれないです(笑)」(KONTA)。

「他のことは覚えてないけど、コンちゃんも言っていた通り、サウンドチェックでスネアがパンって鳴った音の返りが遅くて、これはマズイって思ったのだけは、鮮明に覚えています」(杏子)。

KONTAの言葉通り、映像でのKONTAは汗だくで終始目を見開き、ギラギラしながら、キレキレの歌を聴かせてくれている。気合が入っていたこともあるが、怒りや不安が歌と表情に出ていたのだ。

「一対一が5万セットあると思ったら、ニコニコしていられなかった(笑)。スカンクと遭遇したハリネズミみたいなもんでしたから(笑)」(KONTA)。

「でもKONTAは今もあんまり変わらない。やっぱりライヴの時はキッって鋭くなる」(杏子)。

ドームでもサポートを入れず5人で演奏。「大編成でやると、つまらない音楽になるんじゃないかと思っていた」(KONTA)

東京ドームというスケールが大きくなった場所でも、ステージ上にはサポートメンバーもいなければ、同期も使わない、5人だけでクールで疾走感のある、豊潤な音を作りあげることができる演奏力の高さが、バービーボーイズの最大の武器だ。

「古い世代の人間だから、演奏できないから何か入れてごまかしてしていると思われるのが嫌だったし、カッコ悪いと思っていいました。そこまで大編成でやると、つまらない音楽になるんじゃないかと思っていましたね。レコーディングでピアノを使ったことはありますけど、ライヴではサポートを入れたことは一切ないですね」(KONTA)

バービーボーイズは1984年にメジャーデビューし、1992年1月の渋谷公会堂でのライヴを最後に電撃解散。ライヴの規模がどんどん大きくなっていく中で、先述のKONTAの言葉にあるように、東京ドーム公演でのライヴは、音響的な部分も含めて、メンバー内でも懐疑的だったという。

「東京ドーム公演は、やらないで嫌だというと、ワガママだと言われるから、一回はやらなきゃいけないと思っていた」(KONTA)

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「あの解散は、本当に突然決まったので、とにかくすぐ辞める!って言って、でもどうにか神戸国際会館、中野サンプラザ、渋谷公会堂の3公演を組んだのですが、俺はラストライヴって銘打ってるんだから、渋公一本でいいんじゃないかとかスタッフに言って。大人げなかったなって(笑)。後になって、当時裏で何が起こっていたのかを知って、悪かったなと。個人的には800〜2500人くらいのハコが好きです。俺がイメージしているバービーというバンドも、それくらいの密室感がちょうどいいと思っていました。ドームのような会場で大観衆を前に、派手にやるバンドではないと感じていました」(KONTA)。

「言われてみればそうだなとすごく思うけれど、私は東京ドームが決まって、インタビューで感想を聞かれた時は、心の中では「うっししし」ってほくそ笑んでいたけれど(笑)、コンちゃんは、バンドのその先を考えていたから、本当に「別に」って思ってたと思う。でも私は「なんで別になんて言うんだよ」って思いながら、それに従って「まあ別に」って言っていました(笑)」(杏子)。

「ホールから、武道館、代々木第一体育館までやって、東京ドームは一回はやらないといけないんだろうな、でもカッコ悪いなっていうのはありました。なんて傲慢なやつだとは思いますが(笑)、でも一回やれば、次は嫌だって言えるという、へそ曲がりな考え方でした。やらないで嫌だっていうのはワガママだって言われる、やった上で嫌だっていうのは、根拠がある、だから一回やらなきゃいけないと思っていました。なんて生意気なんだろう(笑)。今はもうちょっと丸くなっているんですけど(笑)」(KONTA)。

「いや、全然丸くなってない(笑)」(杏子)。

当時の若手アーティストが歌う内容は、どちらかというと、美しく、甘酸っぱい青春ソングが多かったが、バービーボーイズのそれは、男女間の嘘や嫉妬、裏切り、駆け引きなどが描かれ、それをKONTAと杏子、セクシーな男女の掛け合いで表現。甘いだけのラブソングではもの足りない音楽ファンが、その歌に飛びついた。

「きわどい歌詞といえばそうだけど、それをわざわざ音楽でやっているんだから、もうちょっと笑ってくれるのかなと思ったら、意外とまじめに聴いてくれて。ただ、そういう言葉にするとバカバカしいことは、こっちが笑いながらやっちゃうとカッコ悪いだけだから、絶対に笑うまいとか、それっぽく演じまいとか、そういうことだけは意識していました」(KONTA)。

「バービーボーイズをやってきて今悔しいのは、俺達のフォロワーがいないこと」(KONTA)

強力な演奏陣が作りだす、クールでユニークなバンドサウンドと、男女のツインボーカルという斬新な強烈なオリジナリティは、当時から飛び抜けた存在だった。その後男女ツインボーカルスタイルのロックバンドは、いくつも存在したし、存在するが、バービーボーイズのフォロワーといえるタイプのバンドは見当たらない。

「当時はそもそもバンドが異端児と言われていた時代で、そのバンドの中でも俺たちは異端児だったんですよ。編成からしても、何かのスタイルに則っているわけでもなく、リズミックがはっきりするバンドでもなかったので、競争相手もいなかったというか、競争のしようがないという感じはありました。でも悔しいのはフォロワーがいないってことですよね。同じスタイルでやっても、バービーのマネって言われるだろうから仕方がないとも思いますが、上につっかえているのは本人たちか、という(笑)。俺たちの道の後には、なにもない(笑)」(KONTA)。

「コンちゃんがビシっと歌って、サックスを吹いているから、私は他に何ができるだろうと思って、じゃあクルクル回っていようかなって(笑)。この前の『The Covers’Fes.2018』の記事が出ていて読んでみると、KONTAのハイトーンボーカルにソプラノ・サックス、イマサのギターのリフにカッティング、コイソの安定感のあるドラム、エンリケの凄腕ベースとか書いてあるのに、私のところを見ると“杏子のスカートプレー”って書いてあるんですよ(笑)。ええっ!そこ?って(笑)。まぁそうなんですけどね(笑)」(杏子)。

otonano『BARBEE BOYS IN TOKYO DOME 1988.08.22』スペシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

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