【日本酒の歴史】お酒の大量生産が始まった!戦国時代の人々はどのようなお酒を飲んでいたのか?
安土桃山時代、日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが、米から造られる「酒」をどう評したか、ご存じでしょうか?
彼がイエズス会の上司に宛てた手紙には、驚くべきことに「米で造られる酒が少なくして、値も高い」と記されています。
どうやらワインを基準に日本酒を測ろうとしていたとのこと。
さらに宣教師ルイス・フロイスも、天正9年に「彼らは酒を温めて飲む」と報告しているのです。
なんと、異国の寒い冬に鍋で熱燗を楽しむ風景が目に浮かぶではないでしょうか!
そのころ奈良では、十石入り仕込み桶が登場し、地方での大量生産が可能となりました。
戦国の乱世が各地の風土に独自の味わいを添え、地酒文化が次々と花開きました。
新しいブランドの登場で、世の中は大いに賑わい、庶民もご当地の美酒を楽しむ時代がやってきたのです。
古酒が密閉された壺や甕から樽に移り、流通が活発になると、古酒の供給が難しくなり、次第に新酒が主流になります。
人々はもはや年代物の香りではなく、新酒のさっぱりとした味わいに魅了されていったのです。
一方で、琉球から蒸留技術が九州に伝わり、焼酎が造られ始めると、これまた酒市場は大いに沸きました。
さらに豊臣秀吉の南蛮貿易により、琉球泡盛や中国の薬草酒、ヨーロッパのワインまでが渡来し、日本の酒文化は国際色を帯びていきます。
「アラキ」なる酒も登場したものの、これはアラビア酒なのか、はたまた摂津伊丹の銘酒なのか、未だに謎を残しているのがまた一興です。
とはいえ、時代の変遷は厳しく、信長の寺院勢力の殲滅によって僧坊酒の技術は衰退の一途をたどりました。
その後、各地の造り酒屋が僧坊酒の技術を改良し、清酒が主流となるも、濁り酒もなお健在です。
庶民の手で造られるどぶろくや、黄金色のこってりした清酒が、安価で広く流通していました。
この混沌たる酒の世界が、やがて江戸時代へと受け継がれていくのだが、それはまた別の物語として語るべきでしょう。
参考文献
坂口謹一郎(監修)(2000)『日本の酒の歴史』(復刻第1刷)研成社