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「相模原障害者殺傷事件から3年」岡山集会と「座敷牢」の衝撃

篠田博之月刊『創』編集長
9月22日に開かれた相模原事件についての集会(筆者撮影)

 2019年9月22日(日)、岡山市で開催された「相模原障害者殺傷事件から3年」集会に参加した。1日がかりの集会で、午後の部にパネリストとして登壇したのだ。一緒に登壇したのは、RKB毎日放送報道局次長で障害者の子を持つ親でもある神戸金史さん、愛媛大学教授の鈴木静さん、集会の実行委員長である社会福祉法人弘徳学園の重利政志さんだった。

  午前の部は障害者施設や福祉の現場に関わっている人たちが登壇して、「見守り支援」のあり方などを議論した。相模原事件の植松聖被告が、障害者の理解者であるはずの施設職員だったのに障害者を19人も惨殺するに至ったという現実を、同じ仕事に関わる者としてどう考えればよいのか、というのがテーマだった。

 集会は、定員200人の会場が満席。実は300人ほどの申し込みがあったのだが、会場の関係でお断りしたのだという。事件から3年経って社会の中で明らかに風化しつつある相模原事件について、真剣に考えようという人たちがまだたくさんいることを、私は嬉しく思った。翌日23日の地元紙・山陽新聞が結構大きな記事にしていた。

地元・山陽新聞の報道(9月23日付)撮影筆者
地元・山陽新聞の報道(9月23日付)撮影筆者

植松聖被告とは数えきれないほど接見を重ねた 

 相模原事件は、障害者差別や措置入院など戦後、難しい問題だとして曖昧にされてきた深刻な問題を表に引きずり出したもので、この3年間、『創』では毎月のように関連記事を取り上げてきた。昨年、そうした記事を1冊にまとめた『開けられたパンドラの箱』という本を創出版から出したが、これはこの事件を考えようという人に本当によく読まれている。

 私がその日、パネリストの一人になったのは、植松被告に最も接見し手紙のやりとりをしているジャーナリストという立ち位置だが、植松被告からは今も毎月たくさんの手紙が届いている。

 集会を企画した重利さんからは、『創』に植松被告の手記を載せ始めた早い段階で何度も電話をもらっていた。植松被告のやったことは虐待の究極の形だ、この事件では障害者施設のあり方が問われており、ぜひ植松被告に施設での実情について訊いてほしい、という依頼だった。

第2部の登壇者(関係者撮影)
第2部の登壇者(関係者撮影)

 だから植松被告と接見し始めた一昨年に私は彼に何度か津久井やまゆり園での職員としての仕事について訊いている。『開けられたパンドラの箱』に掲載したその時のやりとりが、当日、配布資料に掲載されていた。

《津久井やまゆり園の労働条件や待遇に不満があったの?

「全くありません。働きやすいところだった。むしろ楽な仕事だったと思っています。例えば『見守り』という仕事があるのですが、本当に見ているだけですから」》

なぜ植松被告は施設職員としてあの事件に至ったのか

 集会の午前の部で施設関係者らによって「見守り」について議論がなされたのは、植松被告のそういう発言があったからだ。見守りは決して「見ているだけ」の仕事ではない。本当の見守りとはどういうことなのだろうか、というわけだ。

 そもそも植松被告は「3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信を持つことができました」と語っている。福祉や施設に関わる人たちにとって、職員が3年間の勤務でそういう歪んだ結論に至ったという現実をどう捉えればよいのか。自分たちは植松被告の指摘に対して、どう反論したらよいのか、というのが集会の全体のテーマだった。

 福祉や施設に関わる人にとって、自分の仕事の意味をどう考えればよいのか、というのはある意味で切実なテーマで、第一部の登壇者が発言しながら次々と涙ぐんだのが印象的だった。会場に集まっている人たちもほとんどが関係者だっただけに、会場からもすすり泣きがもれた。

 第2部は、そうした現場の発言を受けて、植松被告がなぜ事件を起こすに至ったのかを、本人と接触してきたジャーナリストが、また社会保障法学の立場から研究してきた教授が話し合うというものだった。

 『創』は植松被告との接触を続ける一方で、この1年間はむしろ障害者問題に関わってきた人たちに話を聞いて誌面化していった。10月8日発売の『創』11月号には、相模原事件被害者の尾野一矢さんの親、尾野剛志さん(津久井やまゆり園家族会前会長)の自宅にお邪魔して、『こんな夜更けにバナナかよ』の筆者・渡辺一史さん(写真左)、一矢さんの自立支援をサポートしているNPO法人「自立生活企画」の大坪寧樹さんとで鼎談した内容を掲載している。

津久井やまゆり園家族会前会長の尾野剛志さん宅で(筆者撮影)
津久井やまゆり園家族会前会長の尾野剛志さん宅で(筆者撮影)

 

 また10月14日12時半からは新宿のロフトプラスワンで、渡辺さんのほかに「津久井やまゆり園事件を考え続ける会」の堀利和さんや、精神科医で『いかにして抹殺の「思想」は引き寄せられたか』の著者である高岡健さんらと、トークを行う予定だ。相模原事件についてのドキュメンタリー映画『生きるのに理由はいるの?』を作った澤則雄さんが企画したもので、映画も上映される。

https://www.loft-prj.co.jp/schedule/plusone/126334

再現された「座敷牢」を実際に見て驚いた 

 障害者問題については、事件を機にこの3年間、いろいろな人と出会い、いろいろな現場を訪れた。実はこの岡山の集会の後、鈴木教授に誘われて岡山駅近くのある家を訪れた。鈴木さんの知人がそこに、「座敷牢」を復元して保存しているので見ていかないかというのだった。座敷牢はかつて、精神障害者を隔離するために家の一角に作られていたもので、「私宅監置」と呼ばれて制度化されていた。1950年に精神衛生法が施行されて法律で禁止されたのだが、同様の監禁はその後も各地に見られたという。

 そうした座敷牢の実態と、精神障害者のために100年前に闘った呉秀三を描いたドキュメンタリー映画が「夜明け前」で、私も最初に見た時にはちょっとした衝撃を受けた。映画の上映会はまだ各地で行われているので、関心のある人はぜひ観てほしい。

https://www.kyosaren.or.jp/yoakemae/

 その映画にも出てくる座敷牢について、実際にかつて作っていた大工に作ってもらったものが岡山に保存されているという。もうこのままだと座敷牢といっても実際にどんなものだったか知っている人がいなくなってしまうため、再現してもらったというのだ。

 そして集会のパネリストの神戸さんも誘って足を運んでみたのだが、これも驚きだった。映画で見てイメージしていたよりも、柱がずっと太くて頑丈なのだ。考えてみれば障害者が逃亡しないように監禁するのだから頑丈であるのは当然なのだが、家族が身内を監禁するというのだから、深刻だ。

再現された座敷牢の中に入って(筆者撮影)
再現された座敷牢の中に入って(筆者撮影)

 障害者をめぐってはそういう不幸な長い歴史を経て、権利が勝ち取られてきたわけだが、植松被告はその歴史を事件によって否定して見せたわけだ。しかも、障害者をサポートするはずの職員がその事件を起こしたというのだから、障害者やその関係者にとっては衝撃だったに違いない。

 岡山集会で登壇者や会場の人たちが涙ぐんだのは、そういう複雑な思いゆえだったと思うのだが、相模原事件は決して風化させずに解明せねばならないと思う。事件から3年たっているのに、いまだに何が植松被告をそこへ追い込んだのか、この社会はどう対応すればよいのか、何も明らかになっていない。その意味でもこの事件は深刻だと思うのである。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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