【御殿場市】カワサキファンに見て欲しい!御殿場駅に保存されている川崎重工製D52から歴史を垣間見た
御殿場線御殿場駅富士山口前、駅前広場の国府津寄の片隅に蒸気機関車が静態保存されている『ぽっぽ広場』があるのをご存じでしょうか?
広場には2005年に御殿場市市政施工50周年記念として建てられた『汽車ぽっぽ』の歌詞が収められた碑があります。
軽快なリズムで楽しくなる童謡『汽車ぽっぽ』ですが、戦前は汽車で出征する兵士を見送る様子が描写された『兵隊さんの汽車』という歌でした。
『兵隊さんの汽車』は、戦後歌詞が修正され現在でも親しまれている童謡、『汽車ぽっぽ』になりました。
碑の右側にあるボタンを押すと、『汽車ぽっぽ』の音楽が流れます。
静態保存されている蒸気機関車はD52形72号機です。
有名な蒸気機関車D51形(デゴイチ)は全国の鉄道に配備できるように軸重(各車輪が線路にかかる重さ)は平均14トンと軽量で、荷物を積んだ貨車を牽引する能力は950トンでした。
D51形の弟にあたるD52形は軸重を平均16トンに増加し、設計上の出力は日本最高の1660馬力。特別甲線(日本国有鉄道が部内規程の線路管理規程で分類した線路等級)に分類される場所でしか走れない代わりに、パワーを増大する方向で設計されました。
しかし、戦時中になり本来鋼材を使うべき部品に木材の代用品が用いられるなど材料を節約し、かつ製造が容易であることも求められ当時とは異なる戦時量産型機関車として誕生することになりました。
D52形72号機は川崎重工で製造されました。下関機関区に配属され、山陽本線で軍需輸送として使用開始されます。
戦時量産型機関車として誕生したD52は設計当時の出力を出すこともままならず、事故や故障が相次ぎました。
終戦後、戦時設計機関車装備改造通達があり「D52形装備改造」の名称で改造工事が実施されます。
D52形72号機は1955年浜松工場で改造され、車両には浜松工場のプレートが付けられていました。
こうして順次本来の設計通りに改造されていき、これによりD52形は当初の設計計画どおりに戻す改修が施されたことで一転して所定の性能を出せるようになり、信頼性も向上しました。
御殿場線では貨物・旅客ともに難なく峠超えできる車両として朝夕の客車列車と1往復の貨物列車が設定され、東海道線不通時には迂回してきた特急「つばめ」、急行「能登」も牽引しました。
1968年に御殿場‐沼津間が電化、8月8日付けで廃車。
最終走行距離747544km。24年間でなんと地球18.5周分も走行したことになります。
D52は静態保存されたのは7両。その1両がぽっぽ広場にあるD52形72号機なんです。
しかも階段が設置されていて、内部の一部も見物できます。
階段を登ると前方が機関室、後方が炭水車です。
機関室には向かって左側に機関士、右側に機関助士が乗っていました。
機関士側には加減弁ハンドル、ブレーキ弁ハンドル、逆転機ハンドルなど運転操作に必要な機器類があります。
中央部上部には各圧力計、蒸気分配箱、水面計など看視機器。
下部には火室の焚口、操作機器があり、機関助士が石炭をスコップで火室に石炭を投げ入れたり、ボイラーに水を送って運転に必要な蒸気を作っていました。
炭水車を覗くと思ったより浅いと感じました。
これは上部に石炭を積み、下部に水槽の二段構造になっているからです。
戦時量産型機関車として誕生し低性能で信頼性に欠ける蒸気機関車と言われたD52形は、戦後の改造工事で日本一大きく力強い機関車として活躍。
富士山を背景に急勾配をものともせず前進する姿は、当時多くの人の心を捉えたことでしょう。
時代に翻弄されながらも、地域の産業や観光の発展に功労してくれた姿に労いと感謝を感じずにはいれらません。
しかも愛車と同じ川崎重工製だったと知り、さらに愛着を感じました。
ぽっぽ広場:御殿場市新橋1898-3 JR御殿場駅 富士山口