大社も驚いた早実の「5人内野」シフト。雌伏の時を過ごした名将はここまで準備していた
ターニングポイントになった試合
昨日(8月17日)行われた夏の甲子園3回戦。早稲田実業高(以下、早実)は大社高に延長11回タイブレークの末に敗れるも、その戦いぶりと、試合後の和泉実監督の振る舞いなどから「グッドルーザー」と称賛された。
今夏の西東京大会前、早実の評判は「そこまで」高くはなかった。昨秋はベスト4に進出しているが、春はベスト16で終わっていた。
攻撃陣はタレントが揃っていた。主将の宇野真仁朗(3年)は高校通算64本塁打で、うち「木製弾」が16発というプロ注目のスラッガー。3番を打つ186センチの大型遊撃手・高崎亘弘(3年)と、183センチの恵まれた体格から速い打球をはなつ4番の石原優成(3年)も強打者である。
一方で不安視されていたのが投手陣だ。2年生エース左腕の中村心大は、今年3月に左肘靱帯を痛めていた。
実際、初戦の3回戦から、明大八王子高相手に延長10回タイブレークと苦戦を強いられる。だが、この試合に競り勝ったのが、チームに勢いを与えた。
特に大きかったのは、中村が163球を投げ抜いて、5安打4失点、12三振の内容で完投したことだろう。中村が復活したことで、夏を戦う投手の軸が見えた試合にもなった。
甲子園でも1回戦の鳴門渦潮高戦で123球、2回戦の鶴岡東高で144球、そして、中1日での大社高との3回戦でも125球と、獅子奮迅の投球を見せた中村。始まりはこの試合だった。
西東京大会では準々決勝の国学院久我山高戦もターニングポイントになった。この試合、早実は4回まで9点リードと、コールド勝ちのペースだった。ところが7回、同点に追いつかれてしまう。それでも雷による約1時間の中断もあったなか、国学院久我山との大打撃戦を14対13で制した。
試合後、和泉実監督は「追いつかれても、追い越されなかったことに意味がある」と語っていた。
粘り強いチームになってきている。和泉監督は手応えを感じているようだった。
ちなみに早実は、日本学園高との5回戦では、落雷による継続試合を経験。前日にベスト8進出を決めたばかりだった。
勝ったからこそ言えることがある
野球に限らずスポーツの指導者はよく「選手を一番成長させるのは試合であり、公式戦」と口にする。和泉監督も同じ言葉を発するが、早実が強さを発揮する時は、その色合いが濃く映る。振り返れば、斎藤佑樹氏を擁して2006年夏に甲子園初優勝を遂げた時も、1年生スラッガー・清宮幸太郎(現・北海道日本ハム)が打線を引っ張り、2015年夏の甲子園でベスト4に進出した時もそうだった。1戦ごとに、そして1つの白星を重ねるたびに、チームが速いスピードで進化していった。
今夏も全国ベスト8進出こそ逃したものの、他のチーム以上に、公式戦の経験を糧にできる力があったように感じた。
攻撃陣は昨秋の大会で敗れた後、「宇野頼み」であったことを反省し、打撃練習ではより高い集中力を持って臨んだという。その1球目から試合と同じ、「一球入魂」の精神でバットを振った。和泉監督に選手からの話を伝えると、こう話した。
「そういうのは勝ったから(西東京大会で優勝したから)、言えるんです」
どんな過程があろうと、勝たなければ、それは表に出てこない。勝ったからこそ、それがあったから…と言えるのだ。
早実は2017年春の選抜を最後に甲子園から遠ざかっていた。夏に限ると、今回の出場は9年ぶり。春、夏通算51回の甲子園出場を誇る名門の将はその間、このことを骨身で感じていたのだろう。
大社高の試合では、9回1死1、3塁のサヨナラのピンチの場面で、左翼手を投手の右斜め前に配置する「5人内野」(通常は一塁手、二塁手、三塁手、遊撃手の4人)のシフトを敷いた。「5人内野」は昭和の時代、よく少年野球でも使われていた、いわば古典的な戦術である。近年の高校野球ではまずお目にかかれない。和泉監督より20歳若い大社の石飛文太監督が驚いたのも無理はないが、早実はふだんからこの練習をしていたという。つまり、和泉監督はここまで準備していたのだ。
「奇策」にも見えた「5人内野」には、雌伏の時を過ごした和泉監督の勝利への執念が詰まっていた。