認知症役を世界が絶賛! 80代で進化を続ける俳優・藤竜也の「年寄りだから、何?」
人生100年時代――この言葉に暗澹たる思いをする人は多いだろう。
しかし、80代でもなお新たな強みを身につけ、新たな世界への一歩を踏み出す人もいる。82歳の俳優・藤竜也がそんな一人だ。
スクリーンデビューから61年、『愛のコリーダ』(1976年)や『愛の亡霊』(1978年)、『龍三と七人の子分たち』(2015年)など数々の代表作を持つ彼の次なるチャレンジは、森山未來主演×気鋭・近浦啓監督の最新作『大いなる不在』。
本作は第67回サンフランシスコ国際映画祭で最高賞の「グローバル・ビジョンアワード」を受賞したほか、第71回サン・セバスティアン国際映画祭でコンペティション部門のオフィシャルセレクションに選出。藤竜也はそこで同映画祭の歴史上日本人初となるシルバー・シェル(最優秀俳優賞)を受賞したほか、同作はサン・セバスティアンの文化財団によるアテネオ・ギプスコアノ賞も受賞。さらに北米最大の日本映画祭“ジャパン・カッツ”に正式出品、藤竜也には特別生涯功労賞が授与されている。
本作で認知症の父を演じた藤竜也は、海外の映画祭での反応についてこう語る。
「サン・セバスティアンの観客の反応は熱かったです。驚きましたね。わかりやすいエンターテインメント的な要素があるわけじゃないし、こんなに褒めてもらえることは、想像できなかった(笑)。『これはラブストーリーですか』と聞かれたら『はい、そうです』、『認知症の映画ですか』と聞かれたら『はい、そうです』だけど、『楽しいですか』と聞かれたら、『いや、楽しくないです』で。ただ、説明できないけど、『何だ、この心の揺らぎは?』と強く思ったんですよ。賞をくださったということは、海外の観客の皆さんがこの映画を、この揺らぎ楽しめたということですよね?」
本物にしか見えない認知症患者のリアリティに「本物かもしれませんよ?(笑)」
『大いなる不在』あらすじ/幼い頃に自分と母を捨てた父・陽二(藤竜也)が警察につかまった。報せを受けた卓(たかし/森山未來)が久しぶりに父のもとを訪ねると、そこには認知症で別人のように変わった父の姿があり、父の再婚相手の義母・直美(原日出子)は行方不明になっていた。彼らに何があったのか確かめるべく、卓は父と直美の生活を調べ始める。
家族、記憶、愛情、老いなどを静かに、かつ鮮烈に描いたヒューマンサスペンス『大いなる不在』で、まず圧倒されるのは元大学教授で認知症の陽二を演じる藤竜也のリアリティだ。
おそらくこのリアリティは、認知症患者が身近にいる、あるいはいた経験がある人にこそ生々しく感じられるものだろう。小学生の頃に同居の祖母が認知症になり、現在90代の父の認知機能にも日によって波があり、さらに医療ライターとして認知症取材を幾度もしてきた自分には、本物の認知症の方にしか見えなかった。そんな感想を伝えると、藤はニヤリと笑ってこう言った。
「いや、本物かもしれませんよ?」
実は今回、認知症に関する役作りはゼロだった。
というのも、認知症の役を演じるのは、田中光敏監督の映画『サクラサク』(2014年)に続き、2回目。当時、認知症に関する書籍を読んだり、デイサービスに行ったり、そこで紹介してもらった患者宅に行き、本人や家族と話をするなど勉強を積み重ねたことで、今回は自然と「つかめちゃった」と言う。
「そのときどきで突拍子もない話をするし、何か話した直後に全然違う話をする。それでも、彼の頭の中ではそれらは整然としていて、本人にとってはどれもリアルで、話したくて、理解してもらいたい、共感してもらいたいんじゃないか。しかも、勉強していくうちにわかってきたのは、ステージによってもどんどん変化していくということです。例えば、患者さんにとって一番不安や恐怖を感じるのは、『私はもしかしたら認知症なのかもしれない。私はもうヤバイ』と感じたときで、そこからどんどんステージが進んでいくと、不安になるときと、逆に自信を持っちゃうときが出てくるんですね。その一方で、傷つきやすくなるので、冷静に自分の状態について言われたりすると、すごく傷つくんですね」
自分は演じる人物をそばから見る“監視役”。「ちょっと気味が悪いんですけど、俳優って、そういう職業なんですね」
ある1つの事象から心理状態が刻々と変化していく様があまりにリアルだったのは、外出シーン。出かけること自体を忘れていた陽二は、直美に声を掛けられ、手ぶらで玄関に出てくるが、カバンを忘れていることを指摘されると慌てて取りに行き、車に乗ろうとしたら鍵の在処がわからず、突然キレて、直美を置いて一人車で出て行くのだ。
この描写は決して他人事じゃなく、いつかは我が身も……と不安になる。そんな思いを漏らすと、藤は言う。
「それは神のみぞ知るで、仕方ないですよね。年を取るってことは、いろんなことを受け入れざるを得ないのだから。何が悪いって、人間長生きしすぎるから、人生50年なんて時代には起こらなかったことがいろいろ起こる。今みたいに人生100年時代なんて言われると、どうしても自分の老いと向き合っていかなきゃいけないわけじゃないですか。みんな逃げられず、経験することなんだから」
元教授らしいインテリさと、かくしゃくとした雰囲気がある一方、同じトーンで目を輝かせて妄想のような突拍子もないことを語る陽二。この難役について藤は「シンパシーを感じた」「スポッとつかまえられた」と語るが、どういう心境からなのだろうか。
「スポッとつかまえられたのは、僕自身は何もやっていなくて、陽二さんが全部やっているからです。変な話、僕は陽二さんがやることをそばで見ているみたいな感じで。それはちょっと気味が悪いんですけど、俳優って、そういう職業なんですね。カメラのフレームの中にいなきゃいけないのに、陽二さんが何か思い立って本当に出てきちゃったら、台本にない余計なことを喋ったり、どこかに行っちゃったりするかもしれない。だから、『それ以上ダメだよ』と言う監視役なんです」
怖いほどの役柄との一体感だが、この境地に至るまでには時間がかかったと話す。それは年齢や経験値に加え、役柄による違いもある。
「僕は若い頃はメロドラマだとか荒唐無稽なエンターテインメントの刑事モノをよくやっていたんですね。それはリアルじゃなくてもいい、むしろハッピーで突き抜けていた方がいいので、そんなに難しい芝居は必要ないんです。でも、だんだんシリアスな役が来るようになると、その人物の背景を調べたり、いろいろな勉強をしたりしたうえで組み立てていかなきゃ演じられなくなってくる。そういう仕事が続いて、徐々にその人物の中にスポッと入っていくようになっていったんです」
「俳優同士の言葉でない会話はカチンコが鳴った瞬間から始まっている。そのやり取りが楽しいんですよ」
一方、息子・卓を演じる森山未來も「憑依型」と言われる俳優だ。疎遠だった父子の敬語での気まずいコミュニケーションや、絶妙な距離感、物静かな息子と狂気じみた苛烈さのある父の対比、それでいて理屈っぽい喋り方などに”親子”を感じる部分など、二人のシーンはどれもこれもヒリヒリする。しかし、現場でのやり取りは全くなかったと言う。
「僕は基本的にどの現場でも私語はしない。仕事ですから、雑談する気にならないんですよね。僕らは俳優同士、カチンコが鳴ってから、言葉のない状態で、ものすごくたくさんのコミュニケーションをしています。目の動きから、間から、いろんな情報を受け取って、会話しています。いわゆる日常会話じゃなくて、俳優同士の言葉でない会話はカチンコが鳴った瞬間から始まっている。そのやり取りが楽しいんですよ。ただ、息子(森山未來)が出てるドラマって、ちょっと観ちゃうけど(笑)」
俳優になって60年にわたるキャリアを持つ藤だが、80代に入り、映画『それいけ!ゲートボールさくら組』(2023年)や『高野豆腐店の春』(2023年)などの主演が続き、本作で海外にも作品が進出・高い評価を得るなど、新たな挑戦が続いている。年齢を重ねるからこそ表現できるものがどんどん増えていく印象だ。
「『年寄りだから、何?』って言えるのが俳優ですよね。90歳になったとき、もし90歳の役があれば呼んでもらえるだろうし、老いた者にしかわからないことはありますから。それに、この年になって改めて思うけど、無駄なものはきっと何もないし、人間も含めて無駄な生きものなんてないと思いたい。そういう社会であってほしい」
精力的に活動を続けているように見えるが、本人のスタンスはあくまで「のんびり」がモットー。
「普段は毎日買い物して料理しています。なんでも作りますが、自慢は、野菜の切端も一切残さないこと。キュウリのヘタ、ナスのヘタでも取っておいて、まとまったらスープにしてしまいます。スープは何でも受け入れてくれるから。スープのように何でも受け入れられる心の広い人になりたいですね」
また、「のんびり」を貫くのは、俳優業を好きでい続けるためでもあるとして、こんな仕事観を語ってくれた。
「演じることは楽しいんですが、そればかりずっとやっていると、その楽しいものが、僕にとって退屈なものになっちゃう。たまに他の人間になるのは楽しくてスリルがあるけど、しょっちゅうやり過ぎるとその思いは薄れてしまうので、のんびりペースで生活しながらやっています。だって、いつでも『この仕事をやらせてもらって嬉しいな』と、勇んで現場に行きたいですからね」
(田幸和歌子)
『大いなる不在』/絶賛上映中/配給 ギャガ/(C)2023 クレイテプス