何かに導かれるようにして盾を射止めた名牝の、松永幹夫現調教師が当時を述懐する
予定が狂った事で天皇賞へ
現在は調教師として活躍する松永幹夫。
1986年から2006年までは騎手だった。
そのジョッキー時代には1400勝以上もする名手だったが、そのような一流騎手としては珍しくフリーにはならなかった。最後まで山本正司調教師(引退、故人)に師事した。そんな師匠の下に入ってきたのがヘヴンリーロマンスという牝馬だった。
2002年にデビューしたヘヴンリーロマンスは、少しずつ成績を残して翌03年、GⅠのエリザベス女王杯に出走するまで出世した。しかし、そこは10着に敗れると、その後も重賞戦線では苦戦を繰り返した。
「それでも経験を積むにつれ、少しずつ成長していきました」
松永がそう言うように、04年には阪神牝馬S(GⅡ)を制し重賞を初制覇。翌05年は改めてエリザベス女王杯(GⅠ)を目指した。
「そこで夏の北海道でクイーンS(GⅢ)に出走しました」
ここを勝って2度目のエリザベス女王杯で雪辱を期す。そんな青写真を描いた。しかし……。
「クイーンSは2着に負けてしまいました」
これで獲得賞金的にエリザベス女王杯への出走が微妙になった。そこで翌週の札幌記念(GⅡ)に連闘で挑む事にした。すると、9番人気という低評価を覆し、見事に優勝してみせた。
「当初はエリザベス女王杯を目指してクイーンSを使ったのですが、負けた事で、札幌記念へ行き、札幌記念を勝った事で今度は天皇賞(秋)に挑戦させようという事になりました」
競馬より緊張した出来事
こうして05年10月30日。ヘヴンリーロマンスは松永を背に天皇賞(秋)(GⅠ)に挑戦する。松永は言う。
「状態自体は良かったです。ただ、ゼンノロブロイやハーツクライなど相手も揃っていたので、正直、自信はありませんでした」
ファンによる下馬評も大方似たような見解で、単勝オッズは75・8倍。18頭立ての14番人気というダークホースとなった。
「だから競馬そのものはそう緊張せずに挑む事が出来ました」
そう語る松永は、レース前に「競馬よりも緊張する事があった」と続けた。
この年の天皇賞は天皇皇后両陛下が東京競馬場に行幸啓されたのだ。
「お昼に、何人かのジョッキーで天皇皇后両陛下をお出迎えしたのですが、その1人に選ばれて列席させていただきました。この時はさすがに気が張りました」
ゴール後、我に返ったひと言
レースは最内1番枠からスタートを切った。
「好スタートでしたけど、下げて好位に控えました」
前半62秒4という遅い流れに、鞍下が行きたがる素振りを見せたが、必死に抑えた。
「なんとか我慢してくれていました。ただ、遅い流れのわりには馬群が縦長になっていたので『どこまで追い上げられるかな?』と、思って乗っていました」
直線に向いても手応えはあったので「それなりに追い上げられそう」と感じた。
「直線半ばでは5着くらいまでいけそうだと思いました」
そこでゴーサインを出すとパートナーが反応した。
「これなら3着くらいもあるか?!と感じたのですが、そう思うやいなや、ビックリするくらい伸びてくれました」
前年の天皇賞の1、2着馬、すなわちゼンノロブロイとダンスインザムードの間を割ってかわしたのが分かった。そのまま3頭が横並びでゴールを通過したが、松永は勝利を確信したという。
「おそらく差し切れただろうと思いました」
2着ゼンノロブロイとはアタマ差。3着のダンスインザムードは更にクビ遅れてのゴールだった。
「山本正司先生の馬では初めてJRAのGⅠを勝てました。少し恩返しが出来たかと思うと、感慨深いモノがありました」
ゴール後、そんな感動に浸っていると、オリビエ・ペリエ(7着のハットトリックに騎乗)から声をかけられた。
「『天皇皇后両陛下に挨拶をしないといけない』と言われました。正直、自分には関係ないかと思っていたけど『そう言えば、前の晩にそんなお達しがあったな……』と思い出しました」
そこで順回りで馬場をもう1周した。そして、正面スタンド前に戻ってくると、ヘヴンリーロマンスを止め、松永は馬上で、ヘルメットを脱ぎ、深々と天皇皇后両陛下に頭を垂れた。
「脱帽はとくに指示された事ではありませんでした。自分の判断で、咄嗟に思いついてやりました。その間、ヘヴンリーロマンスが不思議と大人しくしていてくれたから、出来ました」
調教師として産駒達を
その後、繁殖に上がったヘヴンリーロマンスは、母としてアウォーディーやアムールブリエといった重賞勝ち馬を出した。さらにその下のラニはドバイでUAEダービー(GⅡ)を制すと、アメリカの三冠レースにフル参戦。ベルモントS(GⅠ)では3着に善戦してみせた。それら全てを管理したのが、調教師となった松永幹夫だった。
「ヘヴンリーロマンスとその子供達全てをオーナーブリーダーとして手掛けてきた前田幸治会長とノースヒルズさんには感謝しかありません」
そう語る松永は、改めて、しみじみと述懐する。
「クイーンSを勝てなかった事で、札幌記念を使い、札幌記念を勝った事で天皇賞に出走。そして、勝つ事が出来ました。何か不思議なモノを感じました」
今週末、行われる今年の天皇賞では、果たしてどんなドラマが待っているだろう。刮目しよう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)