【京都市右京区】帷子ノ辻にまつわる物語 美貌と知性を兼ね備えた橘嘉智子の「無常」の教え
京都市右京区。太秦の地に「帷子ノ辻(かたびらのつじ)」という、どこか哀愁を漂わせる地名があります。
現在、京福電鉄嵐山線(嵐電)の駅名にもなっているこの地名は、平安時代初期に生きた一人の皇后にまつわる物語を伝えています。
その皇后とは、嵯峨天皇の后、橘嘉智子(たちばなの かちこ)。性格が温和で手と髪が長く、目にする人が驚くほどの美しい女性でした。
仏教への信仰が篤く、檀林寺を建立したことから「檀林皇后」と呼ばれた彼女は、教養を重視し、一族の子弟のために学館院(のちに大学別曹として公認)を設立するなど、知性も兼ね備えていました。
数々の伝説に彩られた皇后の人生は、まさに波乱万丈。
若い頃は賀美能(神野)親王(後の嵯峨天皇)の寵愛を受け、皇后にまで上り詰めました。その後、皇太后、太皇太后と、生涯にわたり権力の中枢に身を置きました。
皇子を二人も天皇に据え、承和の変では藤原良房に通じて陰謀を阻止するなど、政治にも深く関わった皇后でしたが、晩年は仏教に深く帰依し、世の無常を悟ります。
そして、自らの死後、遺体を埋葬せず辻に打ち捨てるようにという、驚くべき遺言を残したのです。
遺言通り、皇后の遺体は辻に放置され、日に日に朽ち果てていきました。人々はその様を見て世の無常を感じ、僧侶たちは煩悩を捨てて修行に励んだといいます。
皇后の遺体が置かれたその場所こそ、後世に「帷子ノ辻」と呼ばれるようになった場所です。
地名の由来には、皇后の死装束である経帷子にちなんだという説もあります。
また、皇后の遺体が朽ち果てていく様を描いたとされる「九相図」も存在し、この地が「無常」を象徴する場所であったことを物語っています。
もちろん以上の物語は伝説で、史料『日本文徳天皇実録』には、橘嘉智子は現在の嵯峨鳥居本深谷町の山中の陵に葬られたとの記述が存在します。
いずれにしても、帷子ノ辻は、美貌と知性を兼ね備えた皇后が遺した「無常」の教えを今に伝える、歴史深い場所と言えるでしょう。
参考:
本郷真紹 "日本の古代を築いた人びと 橘嘉智子(檀林皇后)" 立命館大学父母教育後援会 .会報2024年 冬号掲載 URL (参照2024-01-10)
京極夏彦 他文,多田克己 編 『竹原春泉 絵本百物語 桃山人夜話』(国書刊行会、1997年)
場所:
帷子ノ辻駅
京都府京都市右京区太秦帷子ケ辻町