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エルコンドルパサーとナカヤマフェスタで凱旋門賞2着2回の父を超えろ!!

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
JRA初勝利を挙げた佐々木大輔騎手(右、写真;日刊スポーツ/アフロ)

今春、騎手デビュー

 4月10日の中山競馬場。第8レースを勝利したスイートカルデアの手綱を取ったのは佐々木大輔。2003年11月24日生まれだからまだ18歳だ。

 私が彼に初めて会ったのは2010年代の半ば。当時、美浦近隣の乗馬クラブ・常総ホースパークに通っていた私は、まだ10歳ほどの彼に会った。

 父の幸二は昔から知った仲だった。当時、二ノ宮敬宇調教師(廃業)の下で調教助手をしており、美浦では「乗れる助手」として有名。その彼の3人の子供達の長男が、大輔だった。

 「父が調教助手だった事で、小さい頃からトレセンも競馬場も行っていました。でも、自分からお願いして競馬場へ連れて行ってもらったのはエイシンフラッシュが勝った天皇賞(秋)(12年)が最初でした。そのレースには父が普段、調教をつけていたナカヤマナイトも出走していました」

 翌年あたりから先出の常総ホースパークで乗馬を始めた。

 「二ノ宮厩舎で走っていたブリッツェン(11年ダービー卿CT他)を父が引き取り、乗馬クラブに預けていました。それで僕も父と2人で乗っていました」

常総ホースパークでブリッツェンに騎乗する佐々木大輔少年
常総ホースパークでブリッツェンに騎乗する佐々木大輔少年

 乗り始めて「すぐに面白い」と感じ、騎手になりたい気持ちが芽生えた。小学4年生から中学2年生まで常総ホースパークで乗り続けた。5年生になってからは美浦トレセンの乗馬苑でも乗り始めた。

 「乗馬苑へは自転車で、クラブへは父の運転する車で一緒に行っていました」

 中学2年生になると、乗馬苑で騎手を目指すジュニアチームに入団。ここ一本で乗るようになった。

 「挫折しそうにはなった事はありませんでした。父は好きにやらせてくれました。乗り始めた頃から『馬のスピードと方向は上(人間)で決めてあげられるようになりなさい』と言われました」

ニュージーランドにも2度渡り、乗馬をした(本人提供写真)
ニュージーランドにも2度渡り、乗馬をした(本人提供写真)

 中学を卒業して競馬学校に入学。競馬学校を卒業した今春、美浦・菊川正達厩舎からデビューすると、先述した通り、4月10日にその菊川厩舎のスイートカルデアで見事に1着。デビュー22戦目で念願の初勝利をあげた。

 「菊川先生の次男と乗馬苑で一緒に乗っていました。それが関係あるのか分かりませんが、面倒を見ていただける事になりました。初めて話したのは厩舎研修の時でした。最初から優しくて、デビュー後も、行く競馬場や乗るレース等、自由に決めさせてもらっています」

師匠の菊川正達調教師
師匠の菊川正達調教師

 その上で後押しもしてくれると続ける。

 「元騎手なので『沢山の人に顔を覚えてもらいなさい』と、研修の時から色々な厩舎を手伝わせてもらえました」

 そうして方々の厩舎を手伝ううちに、父の話も耳にする機会が増えた。また、現在は堀宣行厩舎で調教に跨る父の姿を目にするシーンもあった。そして、そのたびに思った。

 「父の乗る姿勢は自分のベースになっていて、まだまだかなわないと痛感させられます」

父が乗っていた馬達

 物心がついた時、家には沢山の馬の写真が飾られていた。自分が乗馬を始めてから、父にその写真の馬について、質問した。すると、父が答えた。

 「これはエルコンドルパサーという馬だよ」

 調べると「どえらい馬」(佐々木大輔)である事が分かった。

 日仏で11戦して8勝2着3回。国内では1998年にNHKマイルC(GⅠ)を勝利した後、3歳でジャパンC(GⅠ)に挑戦すると、エアグルーヴやスペシャルウィークを破って優勝した。

99年フランスで調教するエルコンドルパサー(先頭)。乗っているのが佐々木大輔騎手の父・幸二調教助手(当時、二ノ宮敬宇厩舎)
99年フランスで調教するエルコンドルパサー(先頭)。乗っているのが佐々木大輔騎手の父・幸二調教助手(当時、二ノ宮敬宇厩舎)

 翌99年はフランスで4戦。イスパーン賞(GⅠ)とフォワ賞(GⅡ)を優勝し、凱旋門賞(GⅠ)では日本調教馬として史上初めて2着に善戦。栄冠まで半馬身差に迫ってみせた。

 そして、佐々木大輔が生まれる丁度1年前、早世していた。

 「また、ナカヤマフェスタの話も聞きました」

 同馬は11年にやはり凱旋門賞(GⅠ)で2着。こちらはアタマ差の惜敗だった。

 そして、この2頭のフランスでの滞在中、いずれも調教をつけていたのが父の佐々木幸二だったのだ。

フランスでのナカヤマフェスタ(中央)。騎乗しているのが佐々木幸二助手で引っ張っているのは堀内岳志現調教師
フランスでのナカヤマフェスタ(中央)。騎乗しているのが佐々木幸二助手で引っ張っているのは堀内岳志現調教師

目標は凱旋門賞?

 改めて佐々木大輔が初勝利を振り返る。この週に騎乗したのはそのレースのみだった。

 「1鞍だけだったので気を紛らせる事が出来ませんでした。パドックで見ると1番人気だったため、緊張感が高まりました」

 そんな佐々木を先輩騎手達が助けてくれた。

 「ゲート裏では松岡(正海)先輩が、ゲートの中でも隣の丸山(元気)先輩がいずれも『落ち着いていこう』という感じで声をかけてくださいました」

 外枠からハナを切る勢いで出たが、もう1頭行く馬もいて2番手に。直線に向いて改めて先頭に立った。

 「行くか引くか迷って中途半端なポジションになってしまいました。最後の直線でゴール板の位置を確認したらかなり距離があったのでひたすら『後ろから来ないでくれ!!』と思って追いました」

 長い長い直線を先頭で走り抜けると、2着だった石橋脩から「おめでとう」と声がかかった。

 「声をかけてもらって初めて『勝ったんだ!!』って思ったら最高の気持ちになり、こみあげてくるものがありました」

初勝利をあげて「こみあげてくるものがあった」と語る佐々木大輔
初勝利をあげて「こみあげてくるものがあった」と語る佐々木大輔

 気付くと涙が頬を伝っていた。泣いている佐々木を菊川が祝福の言葉で迎えた。

 「馬主さんもおられました。前走も乗せてもらい、1番人気を裏切っていたから下ろされてもおかしくないのにまたチャンスをいただけたので、オーナーと先生には感謝しかありません」

 競馬を終え、自宅に帰ると、両親からも「おめでとう」と言われた。

 「最近、嬉しかったのは朝のトレセンで『お父さんに騎乗フォームが似てきたね』と言われた事です」と言って表情を崩す佐々木に「父が惜敗した凱旋門賞を勝つのが目標かな?」と聞くと、苦笑しながら答えた。

 「父から『競馬は甘くないから大きい事を言い過ぎるな』と言われています。まずは2勝目を目標にします!!」

 高い山頂ばかりを見ていては目の前の石ころに躓いてしまう。佐々木はまず足元をしっかり見つつ、一歩一歩、頂を目指す。

「現在の目標は2勝目」と語る佐々木
「現在の目標は2勝目」と語る佐々木

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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