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カタルーニャ首相がスペインから「独立」宣言へ 住民投票で治安部隊と独立派激突 負傷者761人に

木村正人在英国際ジャーナリスト
カタルーニャ独立の住民投票を阻止するため投票所のドアを打ち破る治安部隊(写真:ロイター/アフロ)

建築家アントニ・ガウディの代表作「サグラダ・ファミリア」やサッカーの強豪FCバルセロナで有名なスペイン・カタルーニャ自治州の独立を問う住民投票が10月1日行われました。

「住民投票は違法」として阻止する中央政府の治安部隊と独立派の住民が激突。カタルーニャ自治州政府の発表では負傷者は761人にのぼりました。カルレス・プチデモン自治州政府首相は同日深夜「カタルーニャは独立国家になる権利を得た」と宣言しました。

現地の詩人で編集者のBlanca Llum Vidalさんは衝撃の映像を連続ツイートしています。警棒やゴム弾が投票阻止のため使用され、流血した住民の姿が映し出されています。

マリアノ・ラホイ・プレイ首相の強硬姿勢があぶり出され、中央政府とカタルーニャ住民の対立感情はさらに悪化するのは必至です。

「カタルーニャが共和国として独立国になることを求めますか」という問いにイエスかノーの二者択一で答える形で住民投票は行われました。住民投票の結果には法的拘束力があるとカタルーニャ自治州政府は主張しています。

中央政府は「住民投票の根拠となる州法は憲法違反」として提訴し、憲法裁は州法の効力を停止。ラホイ首相の指示で中央政府の治安部隊は投票所に立てこもる独立派の住民を強制排除しました。

最近の世論調査では70~80%が独立を問う住民投票の実施を求めていましたが、独立をめぐっては賛否が二分していました。

治安部隊に妨害される中、住民投票の有効・無効、独立への意思をどのように判断するのか、それが正当なのか、カタルーニャ自治政府は一方的に独立に突き進むのか、全く予想がつきません。

ラホイ首相は投票が締め切られた午後8時(現地時間)、記者会見で「今日、カタルーニャで住民投票は行われなかった。住民投票の試みは対立の種をまき、住民を衝突させるだけだ。(中央政府と自治州政府の)共生に深刻なダメージを与えた」と住民投票を強行したカタルーニャ自治州政府を強く非難しました。

18世紀のスペイン継承戦争でハプスブルク朝についたカタルーニャはブルボン朝に敗れ、独自の政治権力を失いました。

バルセロナが陥落した9月11日はカタルーニャのナショナル・デーに定められています。そしてフランコ独裁下(1939~75年)、カタルーニャ語は禁止されました。

79年に自治州となったカタルーニャは中央政府に協力しながら自治権を拡大させてきました。

10数年前まで、中央政府とカタルーニャは国会で多数派を形成するため持ちつ持たれつの関係でした。

しかしスペイン・ナショナリズムを掲げる国民党のアスナール政権が2000年総選挙で絶対過半数を獲得してから状況は一変。

カタルーニャの地域政党の協力を得る必要がなくなった国民党政権は再中央集権化の動きを見せ始めたのです。

カタルーニャは05年、スペインを連邦的な国家にしようと試みる新自治憲章を制定しました。

しかし国民党や他の自治州が反対し、憲法裁判所は10年「新自治憲章は憲法の定める『スペインの揺るぎなき統一』に反している」と違憲判決を下しました。

バルセロナで110万人が参加した違憲判決に対する抗議デモは「私たちはネーションだ。決めるのは私たちだ」と大声を上げたのです。

11年末に国民党のラホイ政権が誕生してから再中央集権化はさらに強まります。カタルーニャ語による授業は必修時間の定めがない自由選択科目とされました。

フランコ独裁時代に自分たちの言葉と文化を失いかけたカタルーニャは、スコットランドと同じように独立住民投票を行おうとしました。

その時も今回と同じように憲法裁が「住民投票は国の専権事項」として停止命令を出したのです。そのため非公式の住民投票が14年に行われ、80%強が独立に賛成しました。

カタルーニャ独立運動と言っても最初は自治権と、言葉や文化の違いを認めてもらうのが目標でした。世論調査を振り返ると05~06年ごろまで独立を支持する世論は15%にも届きませんでした。

多数意見は自治州としての現状維持派で40%。連邦制への移行を求める声が30%余。それが、独立派が50%に迫るようになったのです。

独立運動が急激に盛り上がった背後には、国民党がスペイン・ナショナリズムを煽って票を集めたことがあります。

それから政治もメディアも独立か否かの二元論に陥り、自治権の拡大や連邦制の導入といった現実的な議論は棚上げされてしまいました。独立運動は弾圧されればされるほど強まり、過激化します。

ラホイ首相はカタルーニャを弾圧するのではなく、住民たちの意思に真正面から向き合う必要があるでしょう、すでに遅すぎたのかもしれませんが。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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