【福岡・両親殺害】「背景に介護の8050問題」ひきこもり35年次男に届かなかった支援
福岡市の住宅で2021年6月、80代の両親の首を絞め、冷蔵庫に遺棄したとして当時59歳の次男が殺人罪などの罪に問われている裁判員裁判を傍聴した。
次男は、35年以上にわたってひきこもり状態にあり、家事や母親の介護を行っていた。しかし、家で顔も合わせることのなかった父親が要介護状態になり、地域包括支援センターの職員が自宅を訪問して介護保険の申請手続きを進めている最中、事件が起きたという。
叱られた記憶は山ほどある
裁判は22年12月14日、福岡地裁で初公判が開かれ、この日、被告人質問も行われた。
次男は、両親と兄の4人家族。父親は建設会社社長、母親は自宅で酒店を経営し、兄が店を手伝っていた。ところが、大学の工学部電子工学科を3年のときに中退。ミシンの販売会社に就職したものの「営業成績はゼロ」だったという。
その後、店を手伝っていた兄が交通事故に遭い、代わりに手伝うよう母に言われ、会社を半年ほどで退職。配達などの仕事をしていたものの、1年後に兄が復帰してからは、仕事に就いていない。
以来、次男には友人や知人はなく、母親以外とはほとんど会話をしたことがなかった。パソコンや携帯電話もなく、インターネットもやっていなかったという。
父親と顔を合わせたくなかった理由を尋ねられた次男は、こう話した。
「大学を中退したとき、父親にかなり怒られて『家を出ていけ』と言われ、途方に暮れました。それを境に険悪になり、生活のサイクルをずらしました。叱られた記憶は山ほどありますが、ほめられた記憶はありません。父との会話と呼べるようなものは、ありませんでした」
その後、実家を出た兄とも、小学生の時にはよく遊んでいたものの「それほど会話がなかった」という。
「とくに話すこともありませんでしたし、共通の話題もありませんでした」
それでも、次男は朝5時に起床し、炊飯器でご飯を炊き味噌汁を作って両親の朝食を準備。自分の部屋に戻って、両親が食べ終わると自分も朝食をとってきた。昼食も同じルーティンの繰り返しで、夕食時だけ両親の食事の準備を済ませると、部屋に戻り自分は夕食を食べなかった。自室では、漫画を読んだり、DVDやテレビを観たり、時々母親と一緒に食料品などの買い物にも出かけていたという。
また、次男は母親の入院にも同行した。
「母は入退院を繰り返し、リハビリが必要な状態でしたので、いつも入院には付き添っていました」
『バケツを持ってこい』が引き金
そんな日常に変化が訪れるのは、21年6月に入ってからのこと。母親の介護をしていた父親が自転車で転倒し、認知症の症状もあって、地域包括支援センターの職員が介護保険申請の手続きを始めていた。
2人の死亡推定時刻は6月20日夜から21日早朝にかけて。次男は、両親を殺害するに至った理由について、こう話した。
「そもそものきっかけは、父にトイレの介助を命じられたことです。1回目と2回目は脇の下から抱えるようにトイレまで連れて行きましたが、3回目は立ち上がってくれずに『バケツを持ってこい』と言われました。バケツの中に用を足すことを、この後何回もやらないといかんだろうな。明日も、明後日も、その先も…と考えました。やはり自分の時間を削られるのが嫌だったんです」
トイレの介助だけで殺意を抱くのかと聞かれると、こう答えた。
「『バケツを持ってこい』の一言が引き金で、それまで積もりに積もってきたものが一気に暴発した感じです」「何とか顔を合わせないようにしてきたのに、それができなくなりました。父から同じことを何度も繰り返し聞かれたり、置いてきた自転車を取ってきてと言われたり、父が捨てるゴミをカラスに食い散らかされて後始末をやらされたり…」
母親を殺害した理由については、「犯行現場を見られてしまったのがいちばん大きい。あのときは、ブレーキが利かなかった。アクセルを踏み込んでしまって勢いに任せてやってしまいました」などと説明。冷蔵庫にテープを貼って外から見えないようにしたのは、「自分が見たくなかったから」と話した。
この日行われた検察側の証拠説明によると、最初に地域包括支援センターのケアマネージャーや保健師らが自宅訪問したきっかけは、母親から「要支援1の認定を受けた。車いすを使用したい」と電話相談があったことからだという。当時は父親が付き添い、通院にも同行。民生委員にも共有した。
しかし、21年6月7日、父親の身体的虚弱と認知症の症状を知り、父親にも「介護保険サービスを提供することが必要」と判断。民生委員から、自転車で転倒したことなどの報告を受け、6月17日に自宅で両親に面会。帰宅した次男にも「父親にも介護保険申請するので医療保険証が必要」などと説明。次男は了解して、父親の部屋から保険証を探し出した。その際、父親の転倒したことなどを挙げて被告人を気遣う言葉を投げかけたが、次男は保健師らと視線を合わさず、眉間にしわを寄せ、ああと返事するのみだったという。
現実的な支援が必要だった
12月15日の公判では、被告人の次男と面会し、知能検査などをした精神科医が証人として出廷。被告人は、知能指数130で「非常に高い知能」だったことを明かした。また、外部の情報がまったく遮断されている中で「周囲の人たちの視点に立って物事を考えることが乏しい」「こんなことをすればどう思われるか、想像することが困難」な状況があったと説明した。
また、精神科医は「背景に8050問題があった」ことを挙げ、親が要介護、寿命等で、取り残された人たちの生活経済的な自立をどう進めていくかという「現実的な支援が必要だった」と指摘。「最初は介入を断っただろうが、親は年老いていく。何らかの支援が必要なことは理解できたのではないか」「両親が次男のひきこもりを認識して、支援機関に相談する機会がなかったのか悔やまれる」などと話した。
関係者によると、自宅を訪問した介護の職員からは、同居しているひきこもり本人に声をかけていいのかどうか、把握してもどこにつなげればいいのかわからないという悩みもあったという。当時、事件が報じられたとき、当コラムでも紹介したが、同じ状況に直面する当事者からは、「事件と捉えること自体、どうなんだろう」という違和感も聞かれた。
証人尋問の後、改めて被告人質問が行われ、弁護人から「今日までのことを知ったうえで、過去に戻れるなら、どうしたいか?」と聞かれ、次男はこう答えた。
「大学生のときまで戻って中退せずに何とか卒業したい。そうすれば、私の人生はかなり違っていたと思う。自立して生活できていたのではと思う」
35年以上にわたって他者と話ができなかったという次男は、被告人席でやや緊張気味にたどたどしい言葉だったものの、自分なりに一生懸命、質問に答えていたように思う。
しかし、検察側は「身勝手で悪質」などとして、被告に対し無期懲役を求刑した。
判決は、2023年1月6日に言い渡される。