デビュー17年、今w-inds.が注目を集める理由<前編>「自分たちの信念を貫いたからこそ今がある」
今w-inds.が“面白い”。面白いというのは、2017年からメンバーの橘慶太が音楽プロデュースを手がけるようになり、彼が作り出す音楽が、最新の洋楽と完全にリンクして、今の邦楽には足りない部分をしっかりとフォロー、一石を投じているのを業界内外の人々が注目しているからという意味だ。斬新で新鮮な独自の音楽を確立し、それを詰め込んだ最新アルバム『100』を7月4日に発売し、好調だ。来るべき20周年に向かい突き進む橘、緒方龍一、千葉涼平の3人にロングインタビュー。今のw-inds.のリアルな姿、声を、前編・後編に分け、お届けします。
「自信がついて、軸が自分たちの中でしっかりでき、カッコつける必要がなくなった。今すごく楽しい」(慶太)
今回、3人にインタビューするのは10数年ぶりだが、目の前に座った3人が作りだす空気感は、当時と全く変わらない。「気づきました?(笑)。一時期、変わっていた時期があったかもしれませんが、今またデビューの頃の雰囲気に戻りつつあります。デビューしてからはとにかく楽しくて、責任感がなかったというか。でも僕らはアイドルじゃない、カッコいい音楽をやらなければいけないんだって、変なプライドみたいなものが出てきて。それが自分たちの中で、変わってきた時期だったと思います。でも今こうやって、自分たちで曲を作ったり、ライヴをプロデュースしていると、カッコつける必要はないんだなって思えるようになりました。カッコつけていた時期って、自分の本質を見抜かれたくなくて、見栄を張っている部分があったんだと思います。今はもう、ただ楽しんでやっていても、例えアイドルっぽいことをやっても、何をやっても自分たちでやっているという自信があるというか。自分たちのスタイルがあって、音楽のやり方があって、ライヴのやり方があって、w-inds.というものの軸が自分たちの中でしっかりできたことで、みんな余裕が出てきて、楽しむことができていると思う」。
「いいことも悪いことも、苦しいこともあった。でもこれまでの全ての出来事に感謝している」(慶太)
「色々な方から、最近w-inds.の音楽いいねと言ってもらえる。活動の幅が広がってきた」(龍一)
「今までやってきたことはムダじゃなかった。過去の経験がやっと繋がった」(涼平)
橘慶太はインタビューの冒頭で、充実している今のw-inds.の状態を、一気に話してくれた。音楽を作る事、こうして3人でいることが楽しくて仕方ないようだ。それは他のメンバーも同じだ。20周年を目前に非常に健全な状態で活動できている。それは“強さ”でもある。「色々な意味で、これまでの全ての出来事について感謝できるのって、いい成長の仕方だと思うんですよね。いいことも悪いことも、苦しいこともあった。でも、それがあったからこそ、今楽しめているし、曲を作るという作業もそういうことがあったからこそ、自分の道として模索して、探し出した道だし。だから活動をスタートさせてからの18年間をありがとうと思える、自分のメンタルというか気持ちが、非常にいい場所にいると思います」(慶太)。「最近、色々な方からw-inds.の曲いいねって言われることが多く、キャラクターよりもまず音楽から会話が始まることが多くなりました。2014年のアルバム『Timeless』あたりからサウンドが変化していって、そこから僕らの音楽を気に入ってくださる方が増えて、取材を受ける雑誌も、ゲストに呼んでいただけるラジオ番組もそれまでとは変わってきて、幅が広がってきたと思います」(龍一)。「慶太も言っていますが、過去の経験が最近やっと繋がった感じがしていて、色々な音楽のジャンルをやってきて、当時は「もっとこういうのやりたいのにな」とか、現実とやっていることに気持ちのズレがありました。でもその時代があったからこそ、今に繋がっているなと思えるようになってきて。そこを通らずに、いきなりこういう音楽はできないというか、聴き手がびっくりしてしまうと思う(笑)。色々なことを経験してきたからこそ、今回のアルバムのように、幅広い音楽を素直に僕らもできるし、ファンの人も受け止めてくれる。今までやってきたことはムダじゃなかったと思うし、これまであまりメディアでの露出がなかったこともネガティブに捉えていなくて、逆にプラスに考えていて、だからこそチャレンジングなことができたと思っています」(涼平)。
アジアツアーで感じた、日本の音楽と世界の音楽の違い。「世界で戦える音楽が必要だと思った」(慶太)
2009年に発売した、今井了介プロデュースのシングル「New World」が、w-inds.覚醒のサインだった。この頃から橘も曲作りに興味を持ち始めたという。そして彼らは度々アジアツアーを行い、そこで各国の音楽に触れて、大いに刺激を受けた。「僕が楽曲制作に目覚めたのは今井さんの影響です。でも当時は先進的な音楽を作っても、まず周りから受け入れられなく、でも落としどころを見つけないと変われないと思っていたので、落としどころしか探していなかったです(笑)。僕たちはよくアジアツアーをやっていたので、韓国や中国、ベトナム、色々な国に行って気づいたのが、どの国の音楽もアメリカのメインストリームの音楽を取り入れている音楽が、若い人に受け入れられていることでした。でも日本の音楽はそうじゃない。アジアに行ったときにみんなと同じ土俵で戦える音楽をやりたいと思ったし、今はネットを通じて、世界中の音楽が聴ける環境で、その中でJ-POPの素晴らしさは理解した上で、世界で戦える音楽が絶対に必要だと思った。でも誰にもわかってもらえなくて、逆にいうと、ここで変わらないと自分たちの居場所はなくなると思っていたので、そこの道を切り拓くにはどうすればいいかをずっと考えていました。少しずつでも変わることに意味があるというか、一気に変われなくても、ちょっとずつ変われば10年後には変われるという考え方でした」(慶太)。
「もっとわかりやすいことをやれと言われ、例えばそれに従って、失敗したらそれを人のせいにして、自分が腐っていく気がした。だから信念を貫き、自分で責任を負いたいと思った」(慶太)
自分たちが好きな音楽、やりたい音楽を自由にできないもどかしさ、そして海外で体感した世界の音楽の潮流。しかしそこで投げやりになることなく、“落としどころ”を見つけ、理想型に少しでも近づこうと、努力を怠らなかった。「いつダメになっても後悔しないようにとは常に思っていて。ああいうことやれ、こういうことをやれ、もっとわかりやすいことやれよって言われて、それに僕が従って、ダメになった場合、僕はその人たちのせいにしてしまうと思ったんです。人のせいにしてどんどん自分が腐っていく気がしました。だから責任を自分で負いたいと思ったし、自分で選んだ道を歩んでいって、それで失敗しても誰のせいでもなく、僕がこういうやり方をやったから、結果、こうなったけど、次はこうしようとか、自分の経験になると思いました。自分たちの信念を貫いたからこそ、今があると思います」(慶太)。
「J-POPの幅を広げ、底上げしたいという意識が強い」(慶太)
音楽を聴く環境が変わっても、変わらない日本の音楽に対しての危機感だった。ダンスで魅せるアーティストが増え、ダンスをやる人も増えてきたのに、本格的なトラックを作る人が増えない、少ないという危機感。「そこに貢献したいっていう気持ちも強いです。J-POPの幅を広げるというか、底上げしたいという意識は高いです」(慶太)。ユーザの音楽の聴き方、聴く環境の変化にも敏感に対応してきた。「僕たちの音楽もサブスクリプションで聴かれることが多く、それも日本の次はアメリカで聴かれているというデータがあるので、今一番世界で聴かれているSpotifyを基準に、Spotifyでいい音が鳴る音圧を考えて、アレンジやミックスを施しています」(慶太)。
<後編>に続く。