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箱根駅伝1区の選手は倒れない たすきリレーにみる箱根駅伝の本質

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

「若者のがんばり」を見たがっている

お正月恒例の箱根駅伝は、2022年は青山学院大学が優勝した。

今年もまた見続けた。

日本のお正月TVコンテンツとしては、かなり強い番組である。

陸上競技ではあるが、多くの人は「若者のがんばり」を見たくて見ているのだとおもう。

身を挺してたすきを渡す姿、その心意気を見ているのだ。

その心意気については昨年、書いた。

https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20210104-00216063

今年もまた、彼らのたすきリレーと、そのたすきを渡したあと、使命を終えて倒れ込む選手の姿を見た。

今年もまた、何人もの若者が倒れていた。

箱根駅伝2022でリレー後「倒れた選手」は22人

「もんどり打って倒れる」という選手は少ない。

でもたすきを渡して、次走者が駆けだしたのを見守って、数歩いったところで自分の足に余力が残ってないことに気づいて、そこで膝を落とす選手はけっこういる。

膝を落とし、両手を突いて、そのまま肩から落ちて、くるっとまわって受け身をとってひっくり返る選手もいる。

2022年の箱根駅伝出場選手のなかで(関東学生連合もふくめて全部で210選手)、たすきを渡したあとに倒れた選手は22人だった。けっこういる。

膝をついた選手は34人だった

倒れないまでも、膝をついてしまう選手がいて、さらに手までついて四つん這いになってしまう選手もいる。

「あきらかに動きたくないという状態」の選手である。

たすきを渡したあとは、本来、道をあけないと後続選手の邪魔になるので、動けない選手は、係員や控えの部員たちによって運ばれることになる。

そういう選手は、私がテレビ画面で確認したところ34人であった。

うち何人かは肩を貸してもらって自分の足で歩いてはいたが、一人では危なそうだった。

両者を合わせると56人となった。(あくまでテレビ画面で確認できた人数である)

けっこう多い。

参加選手の四分の一は走り終わって力尽きる

とはいえ残りの150人余は、たすきを手渡したあと、自力で動いていたわけで、全体の四分の三は、走ったあとも元気である。

でも四分の一は、かなり力尽きていた。

どういう人たちがたすきを渡したあとに倒れ込んでいたのだろうか。

すこしケースに分けて、数えてみる。

倒れた選手の多い区間はどこか

まず区間別ではどうなのか。

箱根駅伝のおもしろさは、各区間の距離の違いと、地形の違いにある。

それぞれの区間にそれぞれの物語が秘められており、それが長丁場の中継を見続けるひとつの要因になっている。

各区間ごと、その走者の倒れこみ数(厳密には、走り終わったあとに立っていられなかった選手の数)は以下のとおりであった。

1区 0人

2区 7人

3区 4人

4区 8人

5区 4人

6区 8人

7区 5人

8区 9人

9区 7人

10区 5人

1区で誰も倒れない理由

1区では誰も倒れない。

これは2021年でもそうだった。

2区のランナーにたすきを渡したあと、倒れ込む選手はいないのだ。

2021年も1区は一人も倒れていなかった。

まことに興味深い。

たしかに1区が終わった時点での差はあまり大きいものではない。

残りの選手で逆転可能なくらいの差しかつかない。だから誰も絶望してないということはあるだろう。

でも本質は「たすきの重さ」にあるのではないか。

1区選手のたすきに見る箱根駅伝の「本質」

当たり前の話だが、1区の選手は全員同時にスタートする。

1区の着順は、完全に1区走者「個人」の成績である。

たすきには走った本人のぶんの重さしかない。

その違いである。

つまり次走者に渡すたすきが、ここではかなり「軽い」のだ。

他の誰かのおもいは、まだ、つないでいない。

だから誰も倒れない。

誰のおもいも背負っていないから、彼らは元気に立っていられるのだ。

それが「箱根駅伝」のひとつの本質であり、多くの日本人に愛されるポイントでもあるのだろう。

私たちは「つないでいく重さ」をTVコンテンツとして楽しんでいるのである。

もっともつらそうだったのは「6区」

区間別に見たとき、立っていられなかった選手が多かったのは、4区、6区、8区である。

たすきにいろんな重みが出ているところだ。

見ていて、特に身体がつらそうだな、とおもったのが6区終わりである。

多くの選手の足が動かなくなっていた。

たすきを渡したあと、ぎくしゃくして、ポキンポキンと音がしそうな歩き方になっている選手が多かった。おそらく膝が曲げられないのだろう。

6区は箱根の山を下ってくるコースである。

5区の山登りはよく注目されるが、おそらく山は下りのほうが、身体的負担が大きいのだ。上りは息が切れるが、下りは足がつらい。

健康番組で、階段は上るよりも下るほうが筋肉がつく、と言っていたのを見たが、それと同じだろう。

全中継所の、すべてのリレーを細かく見た感想としては、6区の選手の身体が一番、きつそうに見えた。

5区で「包み込まれる」選手たち

5区と10区の選手があまり倒れないのは、たすきのリレーがないからである。

それぞれ往路のゴール、復路のゴールである。

だいたい仲間の選手がタオルを持ってゴール先で待ち構えてくれている。

そこへ飛び込んでいく。

特に5区箱根のゴールは、おそらく下りになっているのだとおもうのだが、ゴールラインを越えたあとも止まらずにかなりのスピードで進む選手が多かった。

その先に仁王立ちした仲間が、クッションとなって、どんと飛び込んでくる選手をタオルで包み込むのである。

いかにも「包み込む」という気配がして、見ているほうも、ほわっとする。

謝る選手をみて泣きそうになる

ゴール後、仲間の手前で崩れ落ちる選手もいる。

たぶん「仲間に申し訳ない」という気持ちでいっぱいなのだ。

手を合わせて往路ゴールしている選手もいた。

謝っているのだ。

仲間の腕に飛び込まず、その足元に突っ伏して泣いている選手もいた。

見てるだけでこっちも泣きそうになってしまう。

謝らなくていいんだよ、とテレビを見ながら、つい声が出てしまう。

そういう心持ちにさせるのが、箱根駅伝である。

青学の優勝ゴールあとの風景

そういえば、優勝した青学は、最終ランナーはテープをきると、そのまま速度を落とさずまっすぐ仲間が集団で待ち構えているところまで全速で走り込み、抱擁した。

そのためゴール付近で「受け止める係」で待機していた2人は置いてけぼりをくらうことになり、ゴールした選手をうしろから全力で追いかけたのだろう、彼らが抱擁しあっているところに駆け寄り、おそらく、おれらを置いてくなよ、とでも声をかけだのだろう、この二人を加えて笑顔の輪が広がっていた。

「下級生から上級生」へのたすきが重い

箱根駅伝は大学生の競技なので、1年から4年生まで、混在して出場している。

たすきリレーのとき、「下級生から上級生へつなぐとき」と「上級生から下級生へつなぐとき」では、渡したあとにどちらが倒れやすいだろうか。

それも少し調べてみた。

全体の結果で言うと、下級生が上級生へ届けるときのほうが倒れやすい。

それぞれの学年差リレーと、そのあと「立っていられなかった選手」の割合は以下のとおりであった。

上級生から下級生へ 101人中23人が立っていられなかった。 23%。

同級生同士のリレー  44人中12人が立っていられなかった。 27%。

下級生から上級生へ  65人中22人が立っていられなかった。33%。

(関東学生連合を含む総計210人)

つまり下級生が「先輩、あとは頼みます」とたすきを渡したあとに倒れるのが3割、上級生が下級生に「あとは任せたぞ」と渡して倒れるのは2割、ということである。

「先輩、頼みます」というたすきのほうが重いのだ。

下級生のおもいの熱さ

下級生の「この先輩たちは今年が最後だから何とかしなきゃ」というおもいのほうが強いのだろう。

当の卒業学年はわりと淡々としているのに、下級生が熱くなっている、というのがよく見かける体育会系集団の物語である。

甲子園で負けたチームで、三年より二年がわんわん泣いているのと同じである。

ちなみに「4年から1年へのリレー」は8回あったけれど、さすがに1年に渡した4年は、誰も倒れていない。それが「体育会系4年の威厳」なのかと、ひそかに感心している。

「抜かれた選手」と「抜いた選手」の差

もうひとつ、自分が走っている区間で何人かに抜かれた(つまり自分のせいで順位を落とした)場合と、その逆の、前の選手を抜いたとき(順位をあげたとき)は、どうだったか。

「見た目の順位」(実際に走っているときにリアルに何人抜いたか抜かれたか)で見ていく。

1区の選手は含めない。なので全189人。

抜かれた選手は67人。立ってなかったのは23人。(34%)

抜いた選手は71人。立ってなかったのは21人。(30%)

順位をキープした選手は51人、立ってなかったのは13人(25%)

「抜いた選手」もけっこう倒れてしまう

順位を落とした選手は、リレー後に崩れている印象が強かった。だから抜かれた選手の比率が高いだろうとおもっていたのだが、そうでもなかった。

抜かれたほうで34%、抜いたほうで30%。

そんなに差が無い。

順位を上げたが、そのまま競い合い、前のめりになって渡す選手がけっこういるのだ。

その場合、転びやすい。

たすきを渡す手前でスピードを緩めない選手は、かなり転倒しやすいのだ。

みんなのおもいのこもった「たすき」のことしか見えてないからである。

渡したあとの自分の身体のことを考えておらず、とても転倒しやすい。

「たすき」はつながれていく

たすきを渡したあと、倒れてしまう選手にはさまざまの理由がある。

べつだん倒れる選手を見たいわけではない。

でも、また来年も必ず何人も倒れるはずである。

「たすき」にいろんなものが込められているからだ。

見ているほうも「たすき」の重さを想像できたほうが、真剣に見られる。

どうも、日本人にとって強く刺さってくるものを箱根駅伝は内包しているようである。「正月」だからこそ、より広く見られている気がする。

「日本」が感じられるからだ。

また来年も「たすきのリレー」を真剣に見るのだとおもう。

そのまま「転倒」も真剣に見てしまう。

そういう繰り返しである。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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