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生田絵梨花ドラマ『素晴らしき哉、先生!』が圧倒的に素敵なドラマになった理由

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:つのだよしお/アフロ)

明るい学園ドラマ『素晴らしき哉、先生!』

『素晴らしき哉、先生!』は素敵なドラマだった。(以下ネタバレしています)

生田絵梨花が主演の学園ドラマで、全体にずっと明るかった。

明るいドラマはいい。

いまどきの高校生のお話で、かなり深刻な題材も扱っていたので、暗い展開にすることも可能だったとはおもうが、一切、そういうほうにはいかなかった。

ドラマの狙いが明確だったからだろう。

『素晴らしき哉、先生!』と『素晴らしき哉、人生!』

タイトルの「先」の一文字だけを「人」に入れ替えると、『素晴らしき哉、人生!』となって(ちゃんと!もついて)、それは1946年のアメリカ映画のタイトルである。

主演はジェームズ・スチュアートだ。

ジェームズ・スチュアートを見るといつも「アメリカの良心」という言葉しかおもいだせない。

人間賛歌の物語

映画『素晴らしき哉、人生!』は清く正しく生きようとする男の物語で、二級天使がそれを助けてくれる。

アメリカ人にこよなく愛され、もっとも有名なクリスマス映画のひとつとされている。

無器用であっても誠実に生きていけば、人が助けてくれる、という話である。

人間っていいものだという人間賛歌の物語だと言える。

教師にだっていろいろある

生田絵梨花の『素晴らしき哉、先生!』もあきらかにそれと同じ精神で作られていた。

教師にだって、いろいろある。

婚約者の部屋で浮気相手と遭遇する修羅場を経験したり、若い女性の教師というだけで保護者にまったく信用されなかったり、彼氏と別れた直後に妊娠していることが発覚したり、いろいろとある。

もちろん生徒もいろいろと問題を起こす。

万引きや、違法駐輪、迷惑動画でSNS炎上、未成年飲酒、パパ活、特殊詐欺の受け子、といろいろやらかしてくれて、教師はそのたびに対応に走りまわらないといけない。

何だかんだと続ける大事さ

彼女は何度か逃げだそうとする。転職を決意する。

でも何だかんだと教師を続ける。

この、何だかんだ、というところが大事なのだ。

瑣事にとらわれて生きていく。大事なところだろう。

強い信念や決意や、犠牲の精神で、教師をやっているわけではない。

でも、いま向き合っているこの問題だけは、と対処していくうちに、ずっと続けていくことになる。

人生はそういうものだろう。

目の前のことにとらわれて、人生が進んでいく姿を描いて、それが間違いではないと示していて、見事であった。

3年C組の担任でいつづけたい

そしてドラマ終盤での彼女の願いは、教師を続けたい、ということになった。

具体的に「3年C組の担任でいつづけたい」と願う。

「誰かの」ではなく、「いま目の前にいるC組の子供たち」の力になりたいと考えているのだ。

ドラマの芯にあったもの

このドラマの芯は「願うこと」にあったのだとおもう。

最終話でそういうセリフがあった。

ヒロインではなく、同僚の美術の大隈先生(桐山漣)が言った言葉である。

ヒロイン笹岡先生は、この大隈先生と、あとC組副担任の山添先生(葉山奨之)との三人でいつも飲みに行って、愚痴を言い合っていた。

「こんなに他人の幸せ願う仕事ってない」

大隈先生のセリフはこうだった。

「教師ってさ、教え子とかその親御さんに本当に幸せになって欲しいじゃん。こんなに他人の幸せ願う仕事ってないよね、きっと」

笹岡先生も山添先生も深く同意しながらうなづくばかりであった。

願う力について

「教師というのは、他人の幸せ願う仕事だ」というのは、あまり言われないセリフである。

幸せにするではなく、幸せを願う、である。

このドラマがすごいのはここにあった。

昔の感覚だと、生徒の問題にできるだけ関わって、幸せの方向に導く、というのが学園ドラマのひとつの型であったはずだ。

でもいまは違う。

生徒が特殊詐欺の受け子をやってしまう

最終話では教師の限界を問題にしていた。

3年C組の生徒の一人が、特殊詐欺の受け子をやってしまう。

許されない犯罪行為に加担した。

いちおう犯罪途中でクラスメイトに止められ、被害者に返金する。

そして警察に自首する。

最後にとどまったということで警察でも大きな問題にはされなかったが、転校することになった。

若い山添先生は「教師って限界あるよなあ」と嘆息していた。

「こういう状況になったら救えないの」

ヒロイン笹岡先生は、クラスメイトにこのことを穏やかにしっかりと伝えた。

彼は自分でいろんなことに気づいた、立派だったと説明したあとこう続けた。

「でもさ、そんなきっとちゃんと更生していくだろう真面目な生徒だって、学校は救わないの。こういう状況になったら救えないの。言い方は悪いけど、見放しちゃうんだよ」

生徒は黙って聞いている。

「冷たいなっておもわれるかもしれないけど、現実ってこうなの。社会に出たらもっとそう。自分の生き方に責任を持たされるの」

しっかりと生徒を見つめてこう話した。

凛としてかっこよかった。

他人の幸せを願う仕事

教師の仕事には限界がある。だからいつも必ず力にはなれるわけではない。だけど、そのときでも幸せであることは願う。

最終話はそういうお話であった。

ドラマを見ながら、いろんな「働く人」をおもいうかべてしまった。

「他人の幸せを願う仕事」はべつだん教師にかぎらない。

レストランで働いている人も、ラーメンを作っている人も、水道工事の人も、駅で働く人も、トマトを作っている人も、イカを獲ってくる人も、仕事によって誰か幸せになって欲しいと考えていいわけで、考えたほうが、たぶん、いろいろと、いい。

そうおもわせてくれる素敵なドラマであった。

こういう「古典的喜劇」の底にあるのは、人が生きていることへの賛歌であるのだなあとおもう。

素晴らしき哉、明るい人生肯定ドラマ、と感じ入った次第。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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