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84歳現役弁護士に聞く「生涯現役のススメ」前編

倉重公太朗弁護士(KKM法律事務所代表)

倉重:倉重公太朗の「労働法の正義を考えよう」という連載を「Yahoo!ニュース個人」というところでやっていまして、先生はYahoo!というサイトは見たことがありますか?

森田:残念ながらありません。

倉重:そうなんですね(笑)。先生はパソコンを使わずに仕事をされていますからね。

さて、今日のゲストは身内なのですが、倉重・近衞・森田法律事務所のパートナー弁護士であります、森田先生の自己紹介からお願いしたいと思います。

森田:私が弁護士になったのは昭和30年代です。

倉重:何年前ですか。

森田:おっつけ60年前です。

倉重:60年前、すごいですね。現在84歳ですね。

森田:はい。

倉重:いまだにと言ったら失礼ですけれども、毎日事務所にいらっしゃって、お仕事をされているというのは私も生で見ていますが、まさに生涯現役を体現する方です。

森田:なぜ生涯現役かですが、要は100歳時代をどのように生きるかということを自ら体現しようという願いが根本的なところにあります。

倉重:それはいつごろから思っているのですか。

森田:私が生涯現役でと考えたのは、事務所を独立したのが50歳のときでした。

倉重:50歳のころ、34年前ということですね。

森田:そうです。そのころから弁護士はどういう職業なのだろうということを考えていました。今まで勤務していて、ボスの陰で仕事をやっていたことから独立してやってみると、今度は自分で経営者にならなければいけない、そうなると結局は気力と体力というのが決め手になると考えたので、そのころから生涯現役を自ら表号しています。

倉重:全くお元気で、足取りも軽やかじゃないですか。裁判所で東京地裁などへ行かれるときも、十何階まで階段で行ってしまいますよね。

森田:はい。昔は5階くらいしかありませんでしたから、当たり前のこととして裁判所の階段はエレベーターを使わずに上がっていましたし、弁護士会の階段も左右に往復階段があって、私が所属する第一弁護士会は11階なので、少し込んでいるとエレベーターを使わずに歩くということを心がけています。

倉重:第一東京弁護士会は11階から13階ですから、そこまで歩いて行かれるというのはなかなか若い人でもやらないことかと思います。

森田:いや、ほとんどやらないでしょう。階段があることすら知らないのではないでしょうか。

倉重:そうですね。また、先生は趣味にもかなり精力的です。山岳写真がご趣味ですよね。

森田:それも先ほど言った生涯現役を通そうと考えたときに、子ども時代に山登りをやっていた、それと写真を結び付けて、山や花の写真を撮って、ある時期からプライベートなカレンダーを作っています。依頼者に3、40日留守をする言い訳に、そのカレンダーをお配りするということを1999年から20年間続けています。

倉重:今でも山に登られていますよね。

森田:はい。6,000メートル級の山はヒマラヤ・アンデスなどにしかありませんが、そこには4回登りました。

倉重:すごいですね。他にも趣味という意味ではオーディオもかなりお好きですよね?

森田:そうですね。結局私はお酒が飲めないので、ストレスをどのように発散するかということをいろいろ考えて音楽を選びました。ただし、頻繁に音楽会に行くわけにいきませんし、またいい音楽会も限られています。それでレコードは裏切りませんから、いい状況でとったレコードというのは結局自宅に演奏家をお招きしてという感じで聞くことができます。だからレコードがいつの間にか数千枚になってしまいました。

倉重:数千枚ですか。クラシックだけを聴かれるわけではありませんよね。

森田:はじめはクラシックでしたが、途中からジャズも聴くようになったし、ここ数年はクラシックを聴いていると時々落ち込んだりします。

倉重:眠くなってしまったりとか。

森田:そうです。それでロックを聴くようになりました。

倉重:ロックですよ、80を過ぎてなおロック、これがいいですね。

森田:80近くなってからロックを聴き始めました。

倉重:なるほど。ついにはオーディオのためにマイ電柱まで立てられて、これはどういうことですか。

森田:マイ電柱というのは、レコードやCDを聴くためには電源がどうしても必要になります。電源というのはコンピューターや電話機、冷蔵庫の音が雑音として逆流してしまいます。雑音を切り離すにはどうするか、発電所から6,000ボルトの高圧で送電され、これを家庭で使う100・200ボルトに下げるにはトランスが必要となります。しかし、1個のトランスでだいたい十数件の家庭に振り分けています。そうすると環流してくるので、私の所だけの専用のトランスを設けて配電してもらっています。それがマイ電柱です。

倉重:他からの干渉を避けてということですね。

森田:そのようなことをやっている人は全国に何人もいないかもしれません。

倉重:要するに森田先生専用のおうちの電柱があって、それがオーディオだけに使われているということですね。

森田:はい。他の人とは共用しないということです。

倉重:こういうマイ電柱を持たれているパワフルな森田先生ですが、一緒に事務所をさせていただいていて、そして労働事件を主に取り扱っていらっしゃいますが、これまでの弁護士歴50~60年の中で、50年以上前ですと今と法律的なルールなども、要するに解雇権濫用法理や不利益変更法理などは、まだ積み重なっていないときの話だと思いますので、そういう思い出深い事件の話や昔の話などをあえてしていただければと思います。

森田:最近は組織対個人という争いが多くなっていますが、僕らの世代が扱った事件は組織対組織、会社対労働組合という事件が圧倒的に多かったです。

倉重:集団的労使関係が中心だったということですね。

森田:そうです。特に全国金属という組合と戦うことが結構多くありました。今でも相手方の弁護士とお付き合いしていますが、組織対組織ということになると、結局は今よりも弁護士の力量が問われることになります。そういう意味では思い出深い事件というと、解雇権濫用の問題、ユニオン・ショップの問題もありました。一番思い出に残っている事案は、組合に会社を売り渡した事案です。売り渡したとは、どのような形を取ったかというと、2つ事件があって、1つはある大手企業の孫会社で組合問題が深刻化などの理由から、会社は経営に行き詰っていました。地方労働委員会を含めて10件や15件という事件になってしまい、一向に解決しません。そこで弁護士を抜きにして組合のトップと話し合って、それでは退職金を全て払う代わりに、会社の株式を買い取りなさいという形で組合に会社の経営権を譲り渡しました。でも結果的には3年持ちませんでした。

倉重:つぶれてしまいましたか。

森田:つぶれました。もう1件は設計事務所です。バックに全国的に有名な暴力団組織があって、その支配下にある組合でしたが、組合員は全員退職して、組合が新しく会社を設立する、株式を取得するのは組合員が退職金を積み立てて行うという形、こちらも結果的には2年持ちませんでした。

 後日聞いた組合員の率直な意見は、やはり会社の経営は、外から見ているのとは全く違って大変難しいものだというのがよく分かりましたと。

森田:これは今でも真理ですよね。

倉重:はい、真理です。人を使うというのと使われるというのは全く違うということを、やはり組合の幹部の人たちはその当時は理解していませんでした。

倉重:そういう組合の方も経営目線に立って、別に経営に迎合しろと言っているのではなくて、本当に経営するとしたらどうするのか、要するに賃金、原資も限られているわけですし、いろいろな外的事情もあって、予算を稼ごうと思っても稼げないときもあります。将来も不安であると、あるいは投資しなければいけないなど、いろいろなことを考えると、そう簡単にベアや賞与何カ月分を大盤振る舞いするなどはできないという時に説得力は持ってきますね。

森田:そういう意味では、組合員から漏れ聞いたところによると、先生が経営に関与していたころに比べて、相当ひどい労働環境に置かれていると言っていました。

倉重:そうですか。

森田:どこに圧縮がいくかというと結局は人件費です。

倉重:そういうことですよね。

森田:そういう意味で、先生が関わられていたころのほうがよかったということを言っているのは笑い話ですね。

倉重:いざやってみると難しいということですね。あともう一個、思い出深いと言えば、この労働法の分野では極めて有名な日本食塩製造事件、これは先生がご担当されましたよね。

森田:はい。あの事件も実は私自身は、上告趣意書を書く段階で関わったのですが、個人対企業ではなくて組織対組織という事案の中で、1人の労働者の雇用を確保できないとなったときにどう考えるかというのは、解雇に理由がある程度ある以上、やはり金銭解決ということで新しい仕事を見つけるほうが彼にとって幸いではないかと、今はそう思います。

倉重:まさに日本食塩製造事件と言えば、現在もなお労働契約法16条として残っている解雇権濫用法理の先駆けであり、リーディングケースとして、どのような教科書にも書いてありますけれども、まさかそれをつくった方と今一緒に仕事をしているとは思いもしませんでした。

まさに今このように時代が移り変わろうとして働き方改革だ、そして解雇規制に関しては今後どうしようかと厚労省で、金銭解決の検討会なども行っているように、60年たって時代が大きく変革している最中ですよね。

森田:そう、今ですね。

倉重:先生の目から見て、今の働き方改革ということはどのように見えるのかを少しお伺いしたいと思います。

森田:働き方改革という中で、労働時間問題が中心に論じられていますけれども、働き方改革であって働かせ方改革ではないと。従って改革は官庁指導になっているように見えますが、本質的には労働者が主体になって、将来自分たちはどうあるべきかということを考えようというのが本質部分だと思っています。その本質的な部分で言うと、私たちが弁護士になったころは、時間外労働というのは権利だと考えていました。

倉重:そういう人は多かったですか。今でもたまにそういう主張を見ますけれども。

森田:圧倒的に多くて、なぜ労働時間を制限するのかということ、それで差別扱いということもよく主張されました。だから今のように考えることが本当にいいのかどうか、ただし健康問題が表に出て来てしまう以上、労働時間というのは制限すべきだということになると、やはり複業問題、複業というのも、また労働時間規制が働くというようなことを言っていますが、そうではなくて複業ということは、やはりキャリアアップ、それから労働市場が昔のように終身雇用ではなくなった時代に、自らどう生きていくかということを考えなければいけないのではないかと思うと、官庁指導や法律が前にあってというのでなくて、改革は改革として自分たちの将来を自ら考えなければいけないのではないかというのが僕らの古いタイプの弁護士の意見です。

倉重:まさに法律を守ることが企業の目的でもなければ、各労働者の人生の目的でもないので、法律を守るのはあくまでも最低限のルールとして、その上でどう働くか、どう生きていくかという話ですよね。

倉重:また4月以降労働時間の上限規制も始まり、管理職の方もすごく大変になりますね。

森田:僕らの乏しい経験で言いますと、日本の会社を支えてきたのは経営者ではなくて、中間管理職である課長職であるとずっと考えていました。ある時ひょっと気が付いたことを申し上げると、管理職は労基法41条該当者と誰が一番初めに言い出したのでしょう。それからもう一つ、課長職になったら資格を失うと、この制度を考えた人は、日本の戦後の労働改革の中では最大の功労者ではないのかと思っているぐらいです。

倉重:なるほど。そういった意味でも、今でも恐らく現場の管理職の方というのは負荷が非常に高まっていて、やはり部下に残業をさせられないから、自分がその分を引き受けている方も多い、この方が健康を害しては何の意味もありませんからね。

森田:そうですね。そういう意味では、むしろ中間管理職である課長職の残業規制をしてもいいぐらいだというように冗談には思っています。

(中編に続く)

森田 武男 弁護士

東京都世田谷区出身早稲田大学法学部卒、神戸地方裁判所にて司法修習

1964年 馬場東作法律事務所

1990年 森田綜合法律事務所

2018年10月 倉重・近衞・森田法律事務所

第一東京弁護士会 経営法曹会議会員 日本山岳会会員

弁護士登録以来、一貫して経営者側弁護士として経験を重ねる。

日本食塩製造事件(昭和50年4月25日最二小判、労判227号32頁)をはじめ数多くの労働紛争事件を手がける。

弁護士(KKM法律事務所代表)

慶應義塾大学経済学部卒 KKM法律事務所代表弁護士 第一東京弁護士会労働法制委員会副委員長、同基礎研究部会長、日本人材マネジメント協会(JSHRM)副理事長 経営者側労働法を得意とし、週刊東洋経済「法務部員が選ぶ弁護士ランキング」 人事労務部門第1位 紛争案件対応の他、団体交渉、労災対応、働き方改革のコンサルティング、役員・管理職研修、人事担当者向けセミナー等を多数開催。代表著作は「企業労働法実務入門」シリーズ(日本リーダーズ協会)。 YouTubeも配信中:https://www.youtube.com/@KKMLawOffice

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