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ダンクシュートで異国にバスケ文化を築いた男

林壮一ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属
ダンクシュートでカナダにバスケットボールを根付かせたカーター(写真:ロイター/アフロ)

 NBA プレイオフ地区ファイナルが始まった。クリーブランド・キャバリアーズを引っ張るレブロン・ジェームズもゴールデンステイト・ウォーリアーズをリードするステフィン・カリーも存在感を見せつけ、順当に生き残っている。

 トロント・ラプターズはポストシーズン東地区で1位だったが、地区セミファイナルで1勝も挙げられずに姿を消した。その相手こそ、“KING” レブロンが率いるクリーブランド・キャバリアーズだった。

 敗れたとはいえ、今季2位のボストン・セルティックスに4ゲーム差を付けてポストシーズンを独走したラプターズには目を見張らされた。誰がここまでの飛躍を予想したであろうか。

 カナダ、トロントを本拠地とするラプターズの発足は1995年。かつてトロントには、ハスキーズというNBAチームがあった。産声を上げたばかりのNBAで、ハスキースは開幕ゲームに登場している。だが、市民の関心はアイスホッケーの方が断然高く、ハスキースは僅か1年の活動で潰えた。

 ラプターズが誕生した当初も、雪深いトロントにバスケットボールが根付くのか? と危惧される。アメリカと違って公園にはフープが無く、バスケ経験者である親もほとんどいなかった。そのうえNBAプレーヤーたちも、新興チームのユニホームを着たがらなかった。

 そんなラプターズで今日の礎を築いたのが、1998年にノースキャロライナ大から入団したビンス・カーターである。カーターは全体5位でゴールデンステイト・ウォーリアーズに指名されたが、ラプターズにトレードされる。背番号は15。

 身長198センチのカーターは、視聴者を虜にするパフォーマンスを見せ続ける。特にダンクシュートは力強く、それでいて華麗だった。

 ルーキーイヤーに新人王を獲得。カーターは今日までにオールスターで8度プレーし、2000年のスラムダンクコンテストでは優勝を飾っている。同年に開かれたシドニー五輪でもアメリカ代表に選出され、金メダリストとなった。

 少しずつ増えだしたバスケットボールファンは、カーターのダンクに酔いしれ、次第にトロント市民もバスケに興味を表すようになる。背番号15はトロントだけでなく、NBAの象徴となっていく。

 ラプターズに7シーズン在籍中、カーターは3度のプレイオフを経験。しかし、30歳頃から怪我に悩まされ、ダンクシュートを見せる機会が減る。愛したトロントを離れ、ニュージャージー、オーランド、フィニックス、ダラス、メンフィスと渡り歩き、今シーズンはサクラメント・キングスでプレーした。

 41歳となったカーターは今季、プレイオフ出場を逃した。が、若手選手には生きた手本となっている。

 繰り返しになるが、現在のNBAの顔はレブロンであり、カリーである。とはいえ、カナダにバスケットボール文化をもたらしたビンス・カーターの名を忘れてはならない。

ノンフィクションライター/ジェイ・ビー・シー(株)広報部所属

1969年生まれ。ジュニアライト級でボクシングのプロテストに合格するも、左肘のケガで挫折。週刊誌記者を経て、ノンフィクションライターに。1996年に渡米し、アメリカの公立高校で教壇に立つなど教育者としても活動。2014年、東京大学大学院情報学環教育部修了。著書に『マイノリティーの拳』『アメリカ下層教育現場』『アメリカ問題児再生教室』(全て光文社電子書籍)『神様のリング』『世の中への扉 進め! サムライブルー』、『ほめて伸ばすコーチング』(全て講談社)などがある。

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