なぜ阪神は巨人に13ゲーム差で敗れたのか
デーゲームだった阪神が先に負けて巨人への優勝を献上した。
最後に4番・鳥谷が、見逃しの三振に倒れたのが象徴的だった。一度は同点に追いついたが、後から考えればタラレバの失点がたくさんあって後味の悪い敗戦となった。殘り試合はあるが、優勝が決まった時点での巨人とのゲーム差は13である。巨人と阪神に、なぜ、ここまでの差が開いてしまったのだろうか。私は、これまで他媒体の取材を通じて、1985年のタイガーズ伝説の優勝メンバーである、掛布雅之さんと、岡田彰布さんという2人の阪神OBに、その疑問について訊ねていたので、ここにまとめておきたい。偶然にも、2人は共に同じ感想を口にしていたのである。
それは、チーム作りのビジョンの差ではないかと。
掛布さんの巨人―阪神の比較論はこうだった。
「巨人は理想的だよね。阿部、坂本、長野らチームの生え抜きが育ち、選手同士がお互いに刺激を受け競争心がある。そこに意味のあるFA、外国人を補強している。杉内は、対阪神の対策、村田も『三塁・クリーンナップ』というチームのウイークポイントを埋めるというハッキリした目的があった。上本が育ってきた二塁に西岡を取ってくるような補強ではない。こういう野球をやりたいというチームのビジョンが見えるよな。短期、長期のチーム作りのバランスがいい。それに対して、阪神は、見境なくFAで選手を集めた昔の巨人を見ているみたいだ(笑)。目先の勝利にこだわり、生え抜きを育てるべきポジションを逆に補強で潰している」
岡田さんも、近著「なぜ阪神はV字回復したのか」(角川書店)の中で、こう書かれている。
「伝統の阪神―巨人戦のスターティングメンバーを見て、ふと思ったことがある。阪神の9人のうち生え抜きの選手は鳥谷と大和の2人だけ、それに対して巨人は、外から来た選手が村田、ロペスの2人だった。『4番ばかりを集めている』と巨人が批判された時代もあったが、いつのまにか、その昔と逆転してしまった。寂しい話だ」
岡田さんは、2008年オフに阪神の監督を辞任すると、評論家として訪れた翌年の春のキャンプで、当時の巨人・清武英利球団代表に呼ばれ球場のブースで会談を持っている。そこで清武氏は「なぜ阪神は2軍から井川や藤川や濱中治や関本らの若い選手がどんどん出てきているのか。どういう組織なのかを教えて欲しい」と岡田さんに尋ねた。
岡田さんは、「巨人も、山口や坂本という若い選手が出てきているやないですか? FAで、たくさん選手を獲得するからポジションがなくなって下が出てこないのでしょう?」と、返したらしいが、清武氏は「いやいや、2軍から選手が出てこないからFAを使っているんですよ」と抗弁したという。
巨人は、その清武氏が、ナベツネに謀反して退団するなど騒動を起こしたが、それから、わずか5年で、理想的なチーム編成に変えたのである。
生え抜きのベテランが打線の軸として存在していて空いたポジションを若手に競争させる。そこに外国人選手をアクセントとして配備。投手陣にしてもそうだ。エースは生え抜きで、そこにFA補強、新人、若手、外国人をバランスよく配置する。またコーチ陣にも、積極的に他球団のノウハウを持った人間を入れてきて、組織が活性化するように気をつけている。
この5年で、一体何がどう違ったのだろうか?
岡田さんは、球団フロントの「ビジョンの持ち方の違いだ」と考えている。
「巨人には目先の勝負と同時に3、4年先にどうするかというビジョンが見える。対して阪神には『今年1年を勝つ』という短期的なものしか見えない。巨人のフロントにあって阪神のフロントに欠けているのは、そういう長期的なビジョンやろ」
監督が強い編成権を持ち、チーム作りをしていた時代は、今や古いスタイルになりつつある。阪神も巨人も、ドラフトやFA、外国人補強などのチーム編成はフロントが主導になって行なっている。確かにシーズンを通じて、カラーを鮮明に打ち出した原監督と、采配に行き当たりバッタリの迷いのあった和田監督の指揮官としての統率力や手腕にも差はあった。シーズンに突入して集団の組織力をレベルアップするのは監督の役割ではある。だが、その前にフロントにビジョンがなければ現場が右往左往するにも仕方がない。
阪神は球団初のGM制度を導入したのではなかったか。
ソフトバンクや日ハムに電鉄本社の社員を飛ばして、ヒアリングをしている暇があるならば、まず阪神は、いつどんなチームにしたいのかのチームビジョンを深く議論して能力のあるフロントマンがリーダーシップを取って動き出さねばならないだろう。