AppBankの盗作疑惑と公開生動画アーカイブ謝罪の効用
KNNポール神田です!
2016年12月19日、AppBank(東証マザーズ:6177)が公開した動画を見たRAKUNIを販売する株式会社トーモの東智美社長は、愕然としてしまった…。RAKUNIブランドで販売しているiPhoneケースそっくりのものが、AppBankの動画で「みんなの意見をあわせた最高のiPhoneケース作ります!2016年の集大成だ!」と公開されていたからだ。
動画を見た東社長は、AppBankの担当者あてにfacebookメッセージでクレームを送ったが返答はなかった。しかし、その後、AppBankの動画やtwitterは削除されていた。そう、何もなかったことにされてしまったのだ…。東社長は怒り心頭を通り越し、悲しくなってしまった…。
ソーシャルメディアによるクレーム
思わず、facebookの個人ページで東さんは嘆いた…。
「【号泣】さっき、Max村井さんのAppBank動画を見て、「みんなの意見を合わせた最高のiPhoneケース作ります!」という動画の新規デザイン案が、RAKUNIもろパクリで、腰を抜かしました。もちろん、動画ではひとこともRAKUNIに触れていません。
ちなみに、今年の夏から、AppBankさんには取り扱い頂いて好評いただき、さらに、先方からのオファーでOEMの開発にも着手、RAKUNIのAIデータもAppBankさんに渡し、担当さんと進めていました。
ちなみに、この件に関して、RAUKNI担当者にFacebookメッセで連絡を入れたところ、返事もなく、動画は消されました。
AppBankはいつからこんなセコい商売するようになったんでしょうか。」
この発言は、facebookでまたたく間にシェアされていく。その、結果シェアだけでも180を超えた…。つまり「180シェア=180×facebookユーザー読者数」となり、天文学的な拡散となっていく…。
個人的な発言だけではなく…、メーカーとして企業の公式twitterでも異議を申し立てる…
筆者は、東社長のfacebookでこの事を知り、12月20日の午後に、トーモとAppBankに取材オファーしていたが、当日、双方で緊急に話しあいがなされ、AppBank側の謝罪がなされていたようだ。そして、その後の発表として、AppBankの取締役である村井智建こと「マックスむらいチャンネル」で謝罪生放送がYouTubeで配信された(登録ユーザーは178万人)。
異例のYouTube動画謝罪放送
12月19日に公開したiPhoneケースの制作企画動画について
キュレーションメディアの件でDeNA謝罪会見が、まだ記憶に新しく残っているが、双方が同時に登場する謝罪会見は、斬新であり異例だ。視聴している側も双方の話し合いに納得がいくまで立ち会えることができる。
東証マザーズの上場会社でもあるAppBank社が、YouTubeの自社媒体でしっかりと経緯を双方で確認しながら放送する。しかもコメントも自由に書き込める状況である。
結果は、AppBank側の単純なケアレスミスだ。facebookメッセージをもらった時に、適切な対応をしていればこんなことにならなかった。
トーモの東社長は、生放送の中でも、メーカーとしての矜持を見せると共に、AppBankへの愛あるお説教を聞かせてくれる。それと同時に、感情にまかせて拡散させてしまったことも同時に反省する。
企業として活動していれば、ケアレスミスが日々起きるのは当たり前だ。それが大きな事故になるかもしれない。今回も東社長が声をあげなければ、何も波風は起きなかったかもしれない。しかし、それが、取引先であり、発注先であれば声をあげられない弱小のメーカーは、世の中にはごまんと存在する。トーモの東社長のオトコ前(女性に失礼!)なところは声をあげて荒げてくれたことだ。今回の件は、プラットフォーマーに搾取されるメーカーにチカラを与えてくれたと思う。
そして、謝罪する側もアーカイブ放送で叱咤されるのを真摯に受け止めることのほうが潔い。それを再発防止策や第三者委員会を立てたり、記者を集めて記者会見をする…謝罪。いや、誰もそんな謝罪はまったく望んでいない。そんなことよりも、当事者同士が集まり、しっかりと叱責を受け、反省しているところや、役員が出てきて今後の想いを議論し、謝罪することのほうが、外野の人にとっても、納得がいくと感じた。
もしかすると、謝罪する側が費用を負担し、それがアーカイブとして残る、「謝罪チャンネル」という番組があっても良いだろう。30分枠で放送枠が決まると、このご時世、たったの数日で毎日謝罪するコンテンツは埋まってしまうのかもしれない。裁判で控訴が続き、忘れた頃に判決が決まることよりも、金銭目的でなく、自社のプライドや矜持を守りたいのであれば、謝罪アーカイブ放送という手段を要求することは、マスメディアやワイドショーを介在させないひとつの問題解決策になりえそうだ。