澤円×倉重公太朗「あたり前を疑え」~軽やかに生きるヒント~第4回
倉重:自分の頭で考えてという話で、ちょうど次のテーマに関係するのですが、後悔しない人生をという流れの中で、やはり澤さんはかなり変わった人生かなと一見、思われがちかと思うのですが。
澤:意外とそうでもないのです。結構つまらない人生と言うと少しあれですが、平々凡々とした人生のほうが圧倒的に長くて、ただ上手にアジャストできたためしがないというだけなのです。
倉重:その場、その場にうまくフィットし続けたわけではないのですね。
澤:常に浮いた存在であったり、常にずっこけていたりとかするわけです。結果的にそれが僕にとっては全てがエピソードになって、今につながっているということなので、最近は超楽しいわけです。
倉重:学生時代とかはそれがうまくいかなかったと。
澤:うまくいっていない所に目が向いていたというのが正確です。
倉重:なるほど。それがあったからこそ今があるわけですね。
澤:そういうことです。
倉重:社会人になってから、今の仕事、生き方というものができていく中で、澤さんの働き方、本業と副業の区別もなくとか、人生の生活スタイルというものは、一般の日本人のサラリーマンの平均的な方から見れば相当変わっているように見えますね。
澤:変わったキャリアなのでしょうね。
倉重:そういう大企業の正社員でいるというのが正解だと考えている人もいると思うのですが、ではそれだけが正解かという話ですよね。
澤:全然それは違います。もちろんそれを一つの正解と捉えてそこに行くということをやるのは別に止めないし、僕も実際には大企業にいる状態なので、それはそれなのですが、だけが正解かというと全くそんなことはないですし、大企業でもつまらない仕事で人生を浪費していたら、これは全然人生としてハッピーではないと思います。日中最も長き時間を仕事に費やしているのであれば、それが楽しくないというのは、自分の人生を非常に粗末にしていると思うのです。
これはオーストラリアで看護師の人が聞いた、患者の最後の言葉というので何かリストがあって、それを見たことがあるのですが、オーストラリアなので日本よりもう少しリベラルな雰囲気だと勝手に思っているのですが、それでもトップが確か「あんなに働かなければよかった」です。「もっと自分を大切にしてあげればよかった」とか、あるいは「もっと家族とか友人と一緒に過ごせばよかった」とか、だから事を成さなかったことを後悔している人なんて全然いなくて、なんでもっと自分の人生を楽しまなかったんだと後悔するのが圧倒的多数なのです。あんなに働かなければよかった。いくら働いたところで、そこでためたお金は地獄にも天国にも持って行けないですから。
だからもう働くことが駄目だとは言わないけれども、自分の人生を楽しんでいないという状態というのは、自分を非常に粗末にしてしまっています。人生というのは基本的に1人1回限りです。2回目の人に今のところ会ったことがないので、たぶん1回だけなのです。それを徹底的に大事にするというのは、非常に大事なことかなと思います。
倉重:起業するのが素晴らしいだとか別にしていないのがおかしいとか、そんなことを言うつもりは全くないのですけれどもね。
澤:そうです。全然ないです。
倉重:しかしやっぱり一つのあり方が正解では全くなくて、その人が自分の頭で何を考えて、どういう人生の選択を積み重ねた結果、それで自分自身が満足しているのかどうかという話ですね。
澤:今僕が今の会社に長く勤めているのは、非常に新しいテクノロジーが次々に生み出されていて、かつそれを汎用的にいろんな人たちに伝えることができるという僕がやりたいことと、与えられている環境が完全に一致しているからなのです。
テクノロジーがどんどんアップデートされていって、それをお客さんに広くあまねく伝えるということがそのまま仕事になっているので、非常に快適なのです。ただ快適な所にずっと甘んじていて、自分の成長が遅くなってきたなと思ったら、これはさっき言った(本対談第三回参照)列車を降りるタイミングなのかもしれないです。今それを副業という形とか、いろいろな所に対して、多方面に対していろいろな貢献をする、自分の時間を有効に使うことができているので、今のスタイルでできていますけれども。
倉重:やはり快適すぎるから環境を変えるというのは大事ですね。私も去年弁護士として独立したのですが、やはり独立するときにはそこはすごく考えました。前の事務所に13年とか14年いたので、だいぶ慣れてきて、仕事の見通しとかもすぐにつくし、そうなってくると、自分が最初必死でやっていたときと比べて、やはり頭の回転速度も少し鈍っているという気がしてしまったのです。
澤:そうなります。いわゆるコンフォートゾーンというもので、そうすると確かに楽だし、パフォーマンスもすごく出るし、みんなも喜んでくれるのは間違いないのだけれども、ただそれによって自分の成長が少し阻害されているなと思うのであれば、少し一歩踏み出すタイミングかもしれません。
倉重:居続けるのか、踏み出すのか、迷っていらっしゃる人もいると思うのですが、一方で踏み出した人に対して、風当たりが強いのです。特に澤さんはそういうのが多いのではないか思うのですが。
澤:それは仕方がないかなと、逆に最前線にいる、一番前にいるということは、見えている風景も他の人よりも広かったり、高かったりするので、それは役得だなと思うしかないです。
倉重:そういうことですよね。当たりが強いというのは、それだけ最先端、あるいは嫉妬、やりたいと思っていたことをやられたとかでしょう。だって興味がなかったら、どうでもいい、興味を感じていなければ無視するわけですから。
澤:それに対しては、その人たちと向き合って、この野郎と言うつもりも特にありません。まあ言っていれば?という感じですが、ただそれよりももう少し面白いことを一緒にやったほうがいいんじゃないかなとは思います。
倉重:本来であれば協力関係を築けたほうがいいですよね。私も学生のときに、うまくクラスになじめずに、少しいじめのようなことがあったのですが、そこで当時高校生ながらに、そこと戦って、例えば先生に言ったり、それをやめさせることに労力を使うのであれば、もう図書館に行って勉強をしていようと思いました。要はそれと向き合う、悪いことを言う人たちと向き合うというのは、たぶん時間の無駄だというのは、ずっと十代のころから思っていました。
澤:結果それを自分の成長のほうのパワーにするという、僕はアンガーマネジメントのファシリテーターもやっているので、アンガーマネジメントの中で、怒りというのはパワーを生むというのはイコールなのです。ただパワーの方向を定めにくいという特性があるのです。だから怒りをうまく自己成長に向けられるのであれば、それに向き合っても全然構わないと思うのです。その怒りというものは、ものすごく腹が立つ。
倉重:「この野郎」という感情ですね。
澤:それを健全な方に向けることができる、それをコントロールできるのであれば、大いにそれを怒りとして爆発させてもいいと思います。
倉重:ベクトルというか、怒りの方向性が大事ですね。
澤:少し自分が不安定になってしまいそうであれば逃げてしまえという話です。
倉重:この野郎、何クソと思った力を私は「ダークフォース」と言っていますが、「ダークフォース」は一時期であれば爆発力があっていいのですが、使いすぎるとマイナス感情に染まってしまうのでよくないですね。
澤:自分が蝕まれますからね。
倉重:失敗も必ず起こるけれども、それは捉え方次第だという。
澤:僕はでも本当に失敗が苦手で、失敗なんか本当にしたくないのですが、おかげさまで失敗のほうが圧倒的に多い人生を歩んでしまったので、失敗のフルコレクションですという感じです。だからその代わりそれを学びという形にして、先にやっておいたからみんなに配るねという形で、それをナレッジとして今はコンテンツ化しているという形です。
倉重:それは失敗し続けている中で、やはりなりたい自分というのがあったのですね。それはどのように設定したのですか。
澤:なりたい自分というのは、軽やかに生きている人になりたいとずっと思っていたのです。
倉重:軽やかに?
澤:それの典型が誰だろうといろいろ考えたのだけれども、最近亡くなったモンキーパンチさんがいましたが、「ルパン三世」なのです。ルパン三世というのは僕にとって超ロールモデルで。
倉重:主人公ですね。
澤:そうです。あの人は軽やかじゃないですか。
倉重:女好きだし。
澤:そう、女好きだし。
倉重:面白いし、でも格好いいし。
澤:格好いいし、何かいろいろなことができるし。なので、ルパンみたいな人生はいいよなとすごく思うわけです。
倉重:なるほど。なりたい自分というのはアニメのキャラでも何でもいいのですね。
澤:何でもいいのです。人でももちろん構わないのです。僕の場合はそうやって軽やかに生きている人という、でも軽やかになかなか生きられなくて、もうあっちにぶつかり、こっちで転びという状態でしたが、だんだんそれが上手にまっすぐ走れるようになってきたら、「結構俺、いい感じに生きられるようになったかも」と思い始めたわけです。
倉重:それは何歳ごろですか?
澤:それがさっきの話で30半ば過ぎた辺りからだんだんそうなってきました。その辺りから髪型がこんなになってしまったりとか、洋服も好きなものを着るようになったりしてきたら、それがある意味、市民権を得たのです。要は、それはあなたが成功したからでしょうというよりも、いや、たまたま僕は軽やかに生きるという選択をこの時点からすることを優先しただけだと、それかでもずっとしたかったのだけれども、別に外圧に負けてとか何とかではなくて、それをすることというのを、自分に対してある意味まだ許可していなかったのだと、キャップをしてしまっていたのです。それがいろいろな形で成功体験を積んできたり、自信になるようなことが起きたり、あるいは他者から求められることが増えてきた。これを教えてくれとか、やり方を少しチェックしてくれと頼まれるようなことが起きてきたら、ああ、自分は結構人に貢献しているじゃないか、ということはもっと自分の生きたいように生きてもいいということなのではないかと、そのタイミングで何となく思ったのです。貢献できているのであれば、もっと好きなことをしてもいいということだよなと、何となく思ったわけです。
倉重:やはりその生き方というのは責任も伴いますよね。
澤:そうです。
倉重:その分成果をきちんと出さなければいけないですし。
澤:求められている間は花だから、俺は自分に対して自分で許可をしているだけであって、世の中的に俺を全部許せと思っているわけではないのです。これは大きな違いなのです。だから、もっと自分を開放してもいいのではないかと思い始めたのがちょうどそこら辺です。
(最終回へつづく)
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手IT企業に転職。 ITコンサルタントやプリセールスエンジニアとしてキャリアを積んだのち、2006年にマネジメントに職掌転換。
幅広いテクノロジー領域の啓蒙活動を行うのと並行して、サイバー犯罪対応チームの日本サテライト責任者を兼任。
現在は、数多くのスタートアップの顧問やアドバイザを兼任し、グローバル人材育成に注力している。
また、美容業界やファッション業界の第一人者たちとのコラボも、業界を超えて積極的に行っている。
テレビ・ラジオ等の出演多数。
Voicyパーソナリティ
琉球大学客員教授。
Twitter:@madoka510