雇用契約の相手は「上司」 脱法的な労務管理を行う「QBハウス」を労働者が提訴
2023年2月14日、低価格の短時間カットで有名なヘアカット専門店「QBハウス」で働く理髪師8名が、QBハウスを運営するキュービーネット株式会社(以下、「QB本社」とする)を相手に、未払い残業代総額約3千万円を請求する裁判を提起したと記者会見で発表した。
QBハウスでは、一部の店舗の従業員を会社(キュービーネット株式会社)ではなく、エリアマネージャーが雇用するいわば「社員が社員や雇用」する形態をとっており、同社の美容師の労働条件改善を求める労働組合・日本労働評議会の告発で社会問題になっている。
QBハウスの「社員が社員を雇用」するという契約形式は、残業代支払いや社会保険加入など、労働者に法的に認められた権利を会社が逃れる目的で導入されていると思われる。要するに、労働法の「脱法行為」ではないかと疑われている。
実際に、同社の労働者は、残業代の不払いや、有給休暇が取れず、さらには社会保険にも未加入になっており、健康診断の実施もないという。これらの労働問題について、労働者らが加入する労働組合・日本労働評議会が改善を求めていた。交渉では解決できなかったために、今回の訴訟に至ったのである。
参考:「社員が社員を雇用」 ヘアカット「QBハウス」で異様な契約が問題に
参考:「社員が社員を雇用」 ヘアカット専門「QBハウス」が団体交渉も拒否 真意は?
この固定残業代は、何に対する賃金?
労働組合側の訴状によれば、今回の裁判の最大の論点は固定残業代の有効性だ。
固定残業代は、月の賃金にあらかじめ一定額の残業代が支払われる賃金のことを指す。使用者にとっては、新たな残業代を発生させずに残業を命じることができる。労働者側にとっても固定的に残業代収入が得られるため、「労使にメリットがある」と経営側は主張することが一般的だ。
しかし、実際には「給与を水増し」することにつながっており、中には固定残業代の存在を知らせずに、「額面の月給が高い」と思い込ませて労働者を採用する事例もあとを絶たなかった。また、経営者側には残業抑制のインセンティブが働かず、長時間労働が常態化してしまう傾向も強い。そのため、私は長年にわたって固定残業代の問題点を指摘してきた。
今回問題となっているQBハウスの原告らの賃金は、基本的に基本給、職能給、固定残手当から成り立っていたが、原告らが組合を作るまでその詳細は給与明細や就業規則に表記されていなかった。原告らの勤める店舗は10人以下の従業員であることを理由に就業規則がそもそも作成されておらず、入社時の労働条件明示書しかなく、それもあまりにもいい加減だったという。
原告の一人が採用時に示された「QBスタッフ採用書」には次の通りの記載があることが確認できる。
- 勤務時間 平日10時~20時30分(土・日・祝 9時~19時30分)
- 基本給 ¥160,000
- 職能給 ¥53,000
- 固定残業手当 ¥57000(1.5h)
まず、ぱっと見でおかしいとわかるのは時給が計算できないことだ。勤務時間は10時間30分になっているが、休憩時間が表記されておらず、所定労働時間がわからない。そのため、基本給と職能給が何時間分の所定時間に対する賃金であるのかを正確に把握することができない。
固定残業代の表記も不可解だ。もし「¥57000(1.5h)」が、1.5時間分の割増賃金だとすると、1時間当たりの残業単価は3万8千円という異常な額になってしまう。このように、採用の時点で示された情報はあまりにずさんというほかないものだった。
その後、別途社員雇用契約書という書面も結ばれている。しかし、その書面では賃金に関する記載が「空欄」になっており、そもそも金額が不明である。しかも、労働者には一方的にサインを求めた上で会社側が回収してしまっており、労働組合が雇い主であるマネージャーとの団体交渉で要求したことで、ようやく確認することができたという(使用者側は労働者に原本が渡されていると主張している)。
さらに、労働委員会では、公益委員の要求によって、初めて「空欄」に記入済みの書類も提出された。労働組合側は会社が勝手に記入したものだと主張しているが、もし、実際に「空欄」にあとから会社側が都合の良いように金額を書き込んでいたのであれば、極めて悪質なやり方だといわざるを得ない。
次に、この書類には賃金の総額や「固定残業手当(40時間)」の記載があるものの、それがいくらなのか記載がなかった。これとは別に、労働者に毎月渡される賃金明細では、一定額の「残業①」という手当が支払われていたが、これも何時間分の賃金なのかはずっと不明だった。
これでは、固定残業手当が何に対する賃金なのかを労働者は計算することができない。計算不能の手当てであるために、会社の主張する固定残業代にはそもそも時間外割増賃金としての性格はない、と原告たちは主張しているのだ。
これまでに固定残業代をめぐる裁判例では、固定残業代がどの部分の賃金に該当するのかが完全に明確ではない場合、その有効性が否定されている。今回の裁判においても、労働者側の主張が裁判で認められる可能性は非常に高いものと思われる。
労働者側が勝訴した場合、固定残業代は基本給に組み込まれ、残業時間に対する賃金は、給与全額をベースとした一時間当たり賃金に労働基準法上の割増賃金が加算された額となる。そのため、今回のように固定残業代に関係する未払い賃金の請求は高額になるケースが多いのだ。
残業代未払いを生み出す「固定残業代制」
すでに述べたように、固定残業代はQBハウスだけでなく、多くの会社で問題になってきた。
固定残業代の問題の一つは、実労働時間と賃金の対応関係が曖昧になり、本来払わなければならない残業代が未払いになってしまうことにある。
(適法な)固定残業代を導入されている場合、残業代が支払われるのは固定残業代を超えて残業する場合だけだ。毎月一定の残業代が固定残業代として支払われることにより、多くの労働者は「ただしい残業代が支払われているだろう」と思い込むようになってしまう。こうして固定残業代の導入によって実労働時間と賃金の対応関係が曖昧になってしまうのだ。
そこに漬け込むのが脱法行為を行う「ブラック企業」である。賃金の支払い額をあいまいにし、残業代の未払いを常態化させてしまうのだ。今回のQBハウスの例は、中でもかなり悪質な部類に属する。
これもすでに簡単に述べたが、固定残業代が法的に有効であるためには、少なくとも①所定内賃金と固定残業代が明確に区分されていること、②固定残業代が対象とする時間外労働時間数が明確であること、③固定残業時間以上働いた場合に上乗せで割増賃金が支払われる旨が記載されていること、④実際に労働時間管理が正確に行われ固定残業代以上の残業代が支払われているが満たされる必要があると考えられている。
QBハウスの事例は極端な事例だが、固定残業代を導入している企業の多くが上記のような要件のいくつかを満たしていない。そうした場合には固定残業代の違法性を問える可能性が高く、請求も高額になる傾向がある。
「社員が社員を雇用」する契約は適法か?
固定残業代の問題に加え、QBハウスでは「社員が社員を雇用する」という異様ともいえる労務管理を行っている。
原告の笠川隆さんは記者会見で、使用者がエリアマネージャーであるの問題について、次のように話した。
会見に出席したもう一人の原告の林広道さんは次のように語った。
QBハウス本社は「社員が社員や雇用」する形態をとっていることを盾にして、労働法上の使用者性を否定している。
しかし、募集や採用の段階ではエリアマネージャーが使用者であるとの説明はなく、明細にも記載がなかった。業務の遂行方法はQBハウス本社のマニュアルに従って行わなければならず、コロナの際の閉店もQBハウス本社の指示に従って行われており、実際の使用者はQBハウス本社である、というのが原告らの主張だ。
通常は、労働契約上の使用者とは労働者を雇った企業であり、労働者と使用者の関係性は明確である。だが、請負労働や派遣労働は、親会社など複数の企業が関与することになり、労働契約上の使用者責任を誰が持つのかという点が大きな問題になる。
これらの契約形態では、親会社(本来の雇用主)が法的責任を回避し、労働者の権利が守られないことが多いのだ。労働運動はこうした状況にたびたび異を唱え、法整備も進んできた。例えば建設業では、下請け企業の労働者の労災や賃金未払いについて労働者が元請の責任を明確にするよう求めてきた結果、法的にも元請責任が規定されるようになっている。
昨今、政府がプラットフォームワークなど「雇用によらない働き方」を促進する中で、契約の形態よらず、実態として使用者の役割を担う者に使用者責任を負わせることは労働者保護の観点から非常に重要になってくる。今後この裁判の判断にも大きな注目が集まるだろう。
引き続きこの裁判に注目していきたい。
追記(2023年2月5日16時42分)
QBハウス社に求めていた取材依頼への回答(期日を2月4日中としていた)が電話であり、「訴状がどどいていないので現時点でのコメントは差し控えさせていただきます」とのことである。
常設の無料労働相談窓口
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