「甲子園」のないラテンアメリカの野球大国・メキシコ野球の「虎の穴」
今年の夏の甲子園は、仙台育英高校の「白河越え」で幕を閉じた。年々酷暑がその激しさを増してくる中、一発勝負のトーナメントを連日行う大会のあり方には、様々な批判もあるが、日本の野球選手育成は高校野球に大きく依存していることは間違いない。国際的にも評価の高い、きめ細かい試合運びは、ある意味高校野球によってその基礎を叩き込まれているのかもしれない。
しかしながら、日本流の「部活」というジュニア層における選手育成の場は、世界的には少数派である。ヨーロッパの多くでは、スポーツは地域クラブによって行われ、中高生たちは放課後に自身が選んだクラブでプレーする。複数の競技を行うことも当然可能である。
野球について言えば、MLBという大金を稼ぐ舞台があるゆえ、貧国の多いラテンアメリカの青少年たちは、ものごころついた頃からアメリカへ渡ることを夢見る。メジャーリーガーの「一大産地」であるドミニカ共和国では、その素質を見込まれた野球少年は、10代前半から「ブスコン」と呼ばれる独立系スカウト、あるいはブローカーが運営する「アカデミー」で野球漬けの日々を送る(但し日本のような長時間の練習はしない)。MLB球団の方も、いい素材をできるだけ早期に囲い込もうとするのだが、あまりに早期の囲い込みは、選手本人にとっても、球団にとってもデメリットが大きいと、現在は16歳になる年の7月2日(ジュライ・セカンド)からプロ契約が可能というルールを作っている。このルールはラテンアメリカ各国にも適用され、ゆえに独自のサマーリーグをもつメキシコにおいても16歳からプロ契約が可能という環境をつくっている。
17歳の「高校生プロ選手」
メキシコのプロ野球、メキシカンリーグ(LMB)のレギュラーシーズン最終戦でのこと、ビジターチームのグアダラハラ・マリアッチスのある選手が目についた。動きがよく、打席でも鋭い打球のヒットを放っているのだが、見た目があまりに幼い。レンズを向けると、その姿は今流行りの女子野球の選手かと見紛うほどの美少年だ。
打席に立つ彼の姿を見ながら、カメラマン席のすぐ前で自分の打席に備えていた選手に彼の年齢を聞いてみた。17歳だという。
調べてみると、クリストファー・ガステルムというその選手は確かに17歳。今年の10月にようやく18歳になるというから、甲子園で戦っていた高校球児たちと同い年だ。この試合の4日前にあったホーム最終戦で1番セカンドで先発起用され、5打数2安打2打点でデビューを飾ると、そのまま最後のモンテレイへの遠征に帯同。ここ2試合は9番ショートで起用され、毎試合安打を記録していた。そしてシーズン最終戦にも2番セカンドで起用され、この日も5打数1安打2打点と結果を残した。ガステルムは、初めての「一軍」でのシーズンで、4試合に出場、18打数6安打4打点、長打もツーベースを2本、スリーベースを1本と将来性を十分に感じさせる活躍を見せた。日本ではプロとして契約を結ぶことができるのは、高卒時の18歳からだが、メキシコではこうして18歳以下でもトッププロリーグでプレーするチャンスがある。
マリアッチスはポストシーズン進出はならなかったので、彼はこの後オフシーズンに入るが、夏、冬の「2シーズン制」のプロ野球システムをもつメキシコでは10月からはウィンターリーグのシーズンに入る。メジャーやその傘下のマイナーリーグでプレーする「アメリカ組」が合流し、LMBより球団数の少ない冬の最高峰リーグ、メキシカンパシフィックリーグ(LMP)でプレーするのは難しいだろうが、メキシカンリーグは、若手育成のウィンターリーグを開催しているので、おそらく彼はここでさらなるプレー経験を積み、来年はレギュラーポジションをうかがう存在となっていくだろう。
メキシコ野球の「虎の穴」。メキシカンリーグ・アカデミー
ところで、いわゆる「高校野球」のないメキシコでの野球選手の発掘、育成はどのようにして行われるのだろう。
メキシコでは野球がプレーされている場はかなり偏っている。歴史的に早い時期に野球が伝来したという、南部ユカタン半島や首都メキシコシティの外港であるベラクルス周辺などのメキシコ湾岸、それにアメリカ人がその建設に多く携わったというメキシコシティからアメリカ国境にかけての鉄道線路沿い、それに太平洋岸のソノラ、シナロアの両州といったところがメキシコの「野球処」である。ガステルムもソノラ州の町、ワタバンポの生まれである。
メキシコの野球少年は地域のクラブチームでプレーをし始める。そこで頭角を現したものは、早い時期からプロ球団の囲い込みの対象となる。ウィンターリーグの現場に行くと、よく選手に混じって10代半ばと思しき少年が練習していることがあるが、彼らは「プロ見習い」のような存在で、普段は地元のクラブチームで大人に混じってプレーし、プロ球団から声がかかれば行動をともにし、「テスト」される。その中でさらに将来性を見込まれたものが、LMB球団との間でプロ契約を結ぶことになる。と言ってもガステルムのように即トップリーグの舞台に立てるような選手はほとんどおらず、基本的にはLMBの下部リーグやLMPとは別に実施される独立系のウィンターリーグなどで経験を積み、プロ野球選手としての階段を登ってゆく。その素質を開花させたものは、LMBを通り越してアメリカのMLB球団との契約を手にすることもできる。
彼らが、プロ野球選手としての第一歩を踏み出すのは、LMBが運営するアカデミーである。メキシカンリーグでも一、二を争う人気球団、スルタネスの本拠、モンテレイの郊外にエルカルメンという町があるのだが、この町の外れにこのアカデミーはある。
「アカデミー」と言えば、MLBの球団がドミニカ共和国において運営しているものが著名だが、独自の夏季プロリーグの存在するメキシコにおいては、そのプロリーグ、LMBが独自にこれを運営している。ドミニカのMLBアカデミーのように各球団が単独で運営しているのではく、4面のフィールドをもつ施設をリーグが保有し、各球団が契約した選手がここで合宿生活を行いながら野球漬けの生活を送る。
現在、LMBは18球団から構成されているが、アカデミーでは2球団で混成チームを作り、2ヶ月半ほどの短期のリーグ戦を年2度実施する。
メキシコの学校制度では8月に新学年が始まり翌年の7月に終了する。ガステルムのように高校卒業前にプロ契約を結ぶ者もいるが(ちなみにメキシコでは高校まで義務教育)、多くは高校卒業後、プロ契約を結びアカデミーに送られる。彼らはプロとしての体作りをした後、10月頃から12月半ばまで実施される「リガ・ルーキー(ルーキーリーグ)」で試合経験を積む。このあたりは、MLBのドミニカアカデミーと同じと考えていいだろう。
そして、年が明け、LMBのキャンプが始まる2月ともなれば、再び若い選手たちは、アカデミーに集う。そして5月頃からもうひとつのリーグ戦「ドブレアー(2A)」が行われるのだ。このサイクルで選手たちはふるいにかけられ、その成長を認められた者は、LMBと提携を結んだ夏、冬季のマイナーリーグや、LMBがオフシーズンに実施する教育リーグに派遣される。そこで実力を発揮したものがLMBの舞台にたどり着くのだが、多くの選手にとっての「終着点」はやはりアメリカで、MLB球団は、メキシコにスカウトを派遣し、お眼鏡にかなった選手がいれば、LMB球団からその選手の保有権を買い取り、引き抜いてゆく。
そのLMBアカデミーに足を運んだ。モンテレイの町を走るメトロ(高速鉄道)の終点駅からバスに乗り、約1時間。コロニア・ブエナビスタという住宅地から延びる未舗装路を3キロほど行ったところにそれはあった。残念ながら、コロナ禍で現在活動は中止され、施設を維持管理するスタッフだけがいた。フィールドはドミニカのMLBのそれとは比べようもない粗末なものだったが、スタッフにより丁寧に整備されていた。MLB球団のキャンプ地のサブフィールド同様、中心に監視塔があり、4面のフィールドが背中合わせに配置されている。現在は18球団だが、数年前まではLMBは16球団制だったから、2球団の選手で混成チームを結成すると8チーム。つまりリーグ戦はこの4面のフィールドで同時進行で実施できていたことになる。
そのフィールドに隣接する合宿所の内部は見ることができなかったが、その外観は以前のMLBドミニカアカデミーのそれに匹敵するものだった(現在MLBドミニカアカデミーはイノベーションが進み、選手の合宿所はリゾートホテルを思わせる設備となっている)。
野球の国際化が進む中、各年代別の国際大会が近年盛んに開催されている。メキシコはプロ選手も多く参加するU23ワールドカップの第1回大会のホスト国で、第2回大会ではNPBの若手選手で構成された日本を破り優勝。再度ホスト国として臨んだ第3回大会でも準優勝に輝いている。そのメキシコ野球の基礎をかたちづくっているのは、プロ中心の若手育成システムであることが、「17歳の高校生プロ選手」やプロ野球リーグ組織の運営するアカデミーから読み取ることができる。
(写真は筆者撮影)