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なぜそこに日本人?中米グアテマラのウィンターリーグで日本人がプレーしていたわけ

阿佐智ベースボールジャーナリスト
この冬をグアテマラの「ロボス」で過ごした大下達彦(左)と土田佳武(右)

 海外のなじみのない国で生活する日本人を紹介するテレビ番組がある。その中で、中米のグアテマラという国のド田舎で現地人と結婚し、たくましく生活する日本人女性を紹介する回があった。日本の便利さとはほど遠い異国の地での生活を充実したものととらえるこの女性の姿に、多くの視聴者は感銘を受けるとともに、不便かつ治安状況も良くないこの国の状況を目にして日本で生活できる幸せを感じていたことだろう。実際、ここ10年程でこの国の治安は急速に悪化しており、途上国支援を行う独立行政法人JICAも中米で唯一この国の首都グアテマラシティには、青年海外協力隊の派遣を中止しているという。

 そんなグアテマラに6年前、プロ野球が立ち上がった。首都にあるこの国唯一の野球専用スタジアムを舞台に、4クラブが2ヶ月ほどの短いシーズンを戦うウィンターリーグだったが、これは1シーズンで頓挫。それでも、翌年からは「BIG(ベースボール・インビエナル・グアテマラ)」という新リーグが立ち上がり今に至っている。

 しかし、サッカーが国民的人気を集めているこの国では他のスポーツの存在感はないに等しい。北の大国、メキシコから輸入されたルチャリブレ(プロレス)も街中のボロ倉庫のような「アリーナ」で100人ほどの観客を集めて行われているに過ぎない。

 そのプロレスよりも野球はさらに人気がない。100人も入れば「超大入り」で、普段は数十人、時として10人に満たないスタンドでこの国の選手たちはプレーしている。というより、そもそもウィンターリーグ・BIGは「プロ野球」であることも今年からやめてしまっている。

「そりゃそうだろ」

 というのは、リーグCEOのフアン・ベルシェ氏だ。元大統領を叔父にもつアメリカ帰りのこの若き実業家は、現在はベースボール事業に専念し、この国に野球文化を根付かせるため日々奔走している。

「国内の選手だけじゃ、なかなかプレーレベルも上がらないんで、外国人選手をたくさん招いたんだが、ここまで来る選手に本当のプロフェッショナルはそうはいないんだ。マイナーでやってたって言っても下の方だし。独立リーグでしかプレーしていないやつも多かった。だから、今年からは、こちらが報酬を支払うプロ選手と、こっちが参加費をもらう選手の両輪で選手を集めることにしたんだ」

 というわけで、グアテマラに集まるほとんどの外国人選手はリーグに800~1600ドルほどの参加費を支払ってプレーしている。ベルシェCEOによると、彼らから集めた費用は、彼らに関する経費で消えてしまうという。選手たちはリーグからあてがわれた宿舎で三食を提供され、2ヶ月の短いシーズンをこの中米の小国で過ごす。彼らが生活するその宿舎のひとつは、セントロと呼ばれる町の中心にある「ホステル」。選手たちはドミトリーと呼ばれる相部屋で、時として世界中から集まるバックパッカーたちと寝食を共にしている。

 そんなウィンターリーグ、BIGに今シーズンは6人の日本人選手が参加した。彼らの経歴は様々だ。名門校に進んだものの、「一軍」に上がることなく高校野球を終えてしまった者、故障でプレーを一旦断念したものの、その故障が癒えたので会社を辞めて再チャレンジする者…。ここに至るまでのストーリーは各々違うが、共通していることは、学生時代、野球で完全燃焼できなかったということだ。

 そう、彼らはこのグアテマラに「忘れ物」を探しに来ているのだ。

「僕ももう独立リーグ3年目、自分自身の引き出しを増やしたいと思って参加しました。そろそろ選手としてだけでなく、将来的には指導者としてでも野球には携わっていきたいんで」

 と言うのはルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツに所属する土田佳武(かむ)だ。国立の和歌山大出身という変わり種の彼は、昨シーズン、同リーグで本塁打、打点の二冠王に輝いたスラッガーだ。広い視野を持ちたいと国外でのプレーを希望していた彼は、昨年のオフにウィンターリーグ初挑戦した。メジャー傘下のマイナーリーガーも多数参加するオーストラリアンリーグのニュージーランド球団、オークランド・トゥアタラで武者修行し、20試合に出場し、ホームランも1本放った。その効果は今シーズンにあらわれ、リーグ5位の打率.349を残すなど確実性を身につけた。

 昨年プレーしたオークランドのチームが活動を休止してしまったこともあり、このオフはグアテマラでプレーすることに決めたという。もともと外野手だが、所属する「ロボス(ウルブズ)」では内野の要、ショートを守っている。

 土田と同じロボスでライトを守っているのは、今年まで北海道ベースボールリーグのすながわリバーズでプレーしていた大下達彦だ。北海道出身の彼は、大学までプレーしたものの、レギュラーには手が届かず。それでもプロ目指して野球を続けたいと、2年前、独立リーグの門を叩いた。最初はトライアウトにも合格しなかったが、リーグ関係者から新規参入球団のすながわ球団を紹介され、入団するに至った。そして2シーズンプレーした後、退団。新天地を求めてグアテマラにやってきた。

「もともと大学時代、全然試合に出ることができなくてっていうか、ずっと二軍だったんです。でもプレーはまだ続けたかったんで、地元の独立リーグに進むことに決めました。親はさすがに普通に就職して野球は趣味程度にやったらどうだって言っていたんですけど、やっぱり野球に専念したくて…」

 グアテマラに来たのは、海外で野球をやってみたかったからだという。

「まあ軽い気持ちですね。球歴を見た時、やっぱり目立つじゃないですか。それで最初はオーストラリアにしようと思ったんです。ワーキングホリデーで行けば、あそこは給料も高いからお金も貯まるかなって。でも、他人が行ったことないところでやりたいなってことでここを選びました」

 海外のチームを紹介してくれるエージェントにリクエストした結果、グアテマラが行き先となったが、それまでそんな国の名を聞いたことがなかった。改めて調べると、評判は極めて悪い。なにしろ「中米最悪の治安」だ。それでも結局は、プレーする舞台に立たない選択肢はなかった。

「強盗だ、殺人だって言っても、日本でもあるでしょう。屁理屈じゃないけど、自分にそう言い聞かせてやってきました。でも球場は北海道のリーグのより広いし、芝もしっかりしていて思ったより環境はいいですよ」

 レベル的には、北海道のリーグとさほど変わらないが、トップ選手のレベルはドミニカやパナマ、ニカラグアといった野球強国からの選手が参加するBIGの方が上だと言う。そういう「一流」ピッチャーとの対戦を大下は楽しみにレギュラー選手としての異国でのシーズンを謳歌している。

 土田と大下の2人は、体が続く限りまだまだプレーを続けていくつもりでグアテマラ野球を「中継点として」位置付けているが、ゴールを決めてこのBIGに参加したのが、元プロ野球選手を祖父にもつ土屋剛だ。彼も大下と同じく北海道で独立リーガーとしての一歩を踏み出している。

 名門・習志野高校から東洋大に進んだものの、大学では準硬式でのプレー。祖父の背中を追うことはなかった。

 野球漬けだった高校時代と違い、準硬式に進んだこともあって多少の余裕も出てきたのだろう。大学で人生観が大きく変わった。

「留学生の人なんか30歳くらいの人もいるんですよ。そういうの見てたら、大学卒業して、就職して、2、3年経ったら結婚して、子供生まれてっていう人生ってなんだろうと思うようになったんですね。だからせっかく野球を一生懸命やっているんだからそれを使って人生を豊かなものにしたいなって思うようになったんです」

 そういう中、海外に次第に目が向くようになっていった。

「大学1、2年の頃からですかね、海外でプレーしたいと思うようになったのは。そんな中で、インスタでヨーロッパのポーランドでプレーしていた方とつながったんです。東北の方だったんですけど会いに行きました」

 だから、就活にはあまり身は入らなかった。通常3年で引退する準硬式野球部にあって、最終学年の4年までプレーした。土屋は卒業後の進路を独立リーグにすることにした。

「って言っても、そこからNPBとは思いませんでしたよ。自分のレベルはある程度わかりますから。一応教員免許取ったんで、4年の秋に教育実習は行ったんですが、もうその時点で北海道のリーグにお世話になることは決まってました。実際にプレーする前、大学卒業する春にリーグの紹介でプロ(NPB)のキャンプの手伝いに行ったんですよ。そこで思い知らされましたね。自分もそこでプレーするんだけど、北海道でやってても仕方ないなって」

 その後は、さらに上を目指して独立リーグを転々とした。プロを目指すわけではないが、できるだけ高い場所でプレーしてみたかったからだ。しかし、現実は厳しかった。独立リーグ2年目は、BCリーグの信濃グランセローズに移籍したが、常に優勝争いを演じるチームの中では出番はなかった。キャプテンシーを買われて、今シーズンはヤマエグループ九州アジアリーグの大分B-リングスに兼任コーチとして入団するが、戦力と言えるような活躍はできなかった。シーズン後、自由契約が言い渡された。

 そんな中、出会ったのがグアテマラのBIGだった。今年で25歳。自分の実力は分かっている。「次の人生に向けて踏み出すのは早い方がいい」と現実を見据えた彼は、野球は来シーズンまでと決めている。最後は大学時代に海外で野球をしたいと思うようになったきっかけの地、ヨーロッパを目指すという。そのためのステップアップの場として中米を選んだ。

 彼が所属していた「アギラス(イーグルス)」は、レギュラーシーズンで敗退。ポストシーズンに残ることはなかった。同じホステルで過ごす他の日本人の仲間に別れを告げて、一足早く日本への帰路についた。

 現在、日本の独立リーグ球団との契約が決まっている土田を除いて、この冬をグアテマラで過ごした選手は、この春からのプレー先は決まっていない。まさに「なんとかなるさ」という若者のもついい意味での無謀さゆえに中米の小国でプレーしているわけだが、その中で日本ではアマチュア経験しかないものの、アメリカ独立リーグとの契約を手にしようとしているのがやはりロボスでプレーする左腕の小東良だ。

 高卒後、スポーツ系の専門学校に進み、卒業後はサラリーマンとして所属企業傘下のクラブチームでプレーを続けていた左腕は、25歳で一念発起して会社を辞め、海外で「プロ野球選手」という夢を追うことにした。トライアウトを受験し、オーストラリアのウィンターリーグ・ABL唯一のニュージーランド球団・オークランドとの契約にこぎつけ、昨年の冬は土田とともにプレーした。寮ではかつての巨人のドラ1かつ、メジャーのマウンドにも立った村田透と同室で、マイナーリーガーとも対戦していく中、プロの舞台への思いはますます強くなった。

 この夏は、カナダのアマチュアリーグでプレー。制球の良さが独立リーグ球団の目に留まり、来シーズンに向けてカナダの独立リーグ球団との契約の話が進んでいるという。

 グアテマラにその球団のスカウトが足を運んでくるわけではないが、小東はBIGへの参加を初めての夏のプロリーグへの布石ととらえ、低迷するチームの中で孤軍奮闘し、チームの勝ち星の半数以上の3勝を挙げた。

 日本人選手たちの所属するロボスは、レギュラーシーズン3位からの下剋上を狙ったが、上位2チームの壁は厚く、2位チーム、ディアブロスロッホスとの3戦制のプレーオフでは全試合日本人投手を先発に起用。1勝1敗まで持ち込みながら惜しくも敗退。彼らの冬のシーズンは終わった。

 彼らは皆、今シーズンもプレーする。土田は、茨城でセカンドキャリアも見据えながらコーチ兼任でチームを支える。小東は再びカナダを目指す。土屋と大下はまだプレー先は決まっていないが、世界中どこへでも行く覚悟でいる。彼らの球春ももうすぐやってくる。

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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