駅名の由来は鳥居強右衛門! 飯田線 鳥居駅(愛知県新城市)
織田・徳川連合軍が武田軍を破った長篠の戦い。その舞台となった愛知県新城市には、この戦いで散った一人の武将の名がついた小さな駅がある。飯田線の鳥居駅がそれだ。
鳥居駅の駅名の由来は、長篠の戦いで長篠城を守り抜いた奥平信昌の家臣・鳥居強右衛門勝商(とりい-すねえもん-かつあき)で、彼の最期の地であることにちなんでの命名である。強右衛門は身分の低い足軽で、記録もあまり残っていないが、現在の豊川市市田町の生まれで、享年は数えで36歳だったと伝わっている。
長篠の戦いでの強右衛門についは以下のような話が残されている。彼は長篠城が武田軍に包囲された際に、城を抜け出して岡崎の徳川家康に援軍を求める役目を託され、岡崎での援軍要請には成功した。しかし、それをいち早く仲間に知らせようと長篠城に戻った際に近くの有海村(現在の鳥居駅周辺)で武田軍に捕まってしまう。強右衛門から援軍の情報を知り、いち早く長篠城を落とす必要に迫られた武田勝頼は強右衛門に、助命と武田家臣としての厚遇を条件に、「援軍は来ないから降伏した方がいい」と味方に虚偽の情報を伝えるよう命じた。それを受けた強右衛門は表向き従ったふりをして城に近づき「あと二、三日で援軍が来るからそれまで持ち応えるように」と叫び、勝頼の命令で殺されてしまう。籠城していた味方は「強右衛門の死を無駄にすまい」と奮戦し、援軍が来るまで持ち応えて、武田軍に勝利を収めた。
強右衛門は以降、命をかけて忠義を尽くした武士の鑑として語り継がれることになり、戦前には国定教科書でも紹介された。大正12(1923)年2月1月の駅開業時に地名の「有海」ではなく、強右衛門にちなんだ「鳥居」が採用されたのは、当時の教科書で強右衛門が多くの人に知られていたというのもあるだろう。
鳥居駅はホーム一本の小さな駅で、駅舎は無い。ホーム上には平成8(1996)年12月築の小さな待合室が設置されている。駅周辺には長篠の戦いに関する史跡が点在しているが、特に目立つものもなく、長篠城址への観光客も利用する隣の長篠城駅と比べるとひっそりとしている。大河ドラマ『どうする家康』では岡崎体育さんが鳥居強右衛門を演じるが、大河を機に強右衛門に興味を持った方は、鳥居駅で降りて彼の最期の地を訪れてみてはいかがだろうか。