【京都市右京区】冬枯れの奥嵯峨散歩 全国理美容者の聖地 中世の歴史ロマンをギュッと!
【昭和男子の京都時空観光案内 嵐山・奥嵯峨編中編】
嵯峨野は今や京都屈指の観光地となっています。2022年12月10日、この地に息づく歴史ロマンを訪ねてみました。
文禄四年(1595)方広寺大仏殿を建てた豊臣秀吉が、千僧供養会を計画して各宗へ出仕を求めた時、不受不施の宗法を持つ法華宗(後の日蓮宗)では、宗法を守るべきか、宗法を破ってでも出仕するかで意見が二分することになりました。日禛は日奥らとともに、たとえ権力者の要求でも宗法を破るべきではないと主張したのです。
しかし、時の為政者の力は大きく、日禛は翌文禄五年に本国寺を退去し、小倉山の一角に隠棲しました。今の「常寂光寺」がこれにあたります。この時に土地を提供し、支援したのが法華宗の大檀那でもあった角倉了以でした。仁王門から本堂へ続く石段付近は嵯峨随一の紅葉名所。小倉山の中腹に多宝塔始め、堂宇が点在し、見下ろす風景が絶景です。
小倉池には、早朝に待機しているカメラマンさんも多いですね! 何を捜しているかというと、碧い宝石といわれるほど美しい「カワセミ」なんです。まさに小倉池の宝です。「トロッコ嵐山駅」の駅前にある「御髪神社」は、日本でも唯一ここだけにしかない、髪の毛と頭の神社です。1961 年(昭和 36 年)に、京都の理美容関係者によって創建されました。7月17日には髪供養なども行われています。
御髪神社が小倉山の亀山天皇の御陵の近くに建立されたのは、御祭神の藤原采女亮政之(うねめのすけまさゆき)と亀山天皇との深い縁によります。亀山天皇(1259〜1274 年)の時代に藤原鎌足の末孫で、皇居の宝物守護にあたる武士だった北小路左衛尉藤原基春が下関に居を構え、紛失した宝刀「九王丸」の探索にあたりました。基春卿の三男、藤原采女亮政之は、その間、生活の糧を得るため、その地において庄屋の婦女の髪を結って父を助けました。これが「髪結い職」のわが国の起源となります。
政之は、建武二年(1335 年)7 月 17 日に亡くなりましたが、その立派な処世と功績により従五位を天皇より賜りました。昭和のはじめごろまでは命日の 17 日を月の定休日にしているお店も多かったそうです。ミニチュアのハサミとクシが可愛すぎる「福髪守」は初穂料 800 円で、色は、青色・白色・ピンク色から選べます。
奥嵯峨散歩はまだまだ続きます!
「常寂光寺」(外部リンク) 京都市右京区嵯峨小倉山小倉町3
「御髪神社」(外部リンク)京都市右京区嵯峨小倉山 嵯峨観光鉄道トロッコ嵐山駅前