定年延長、殺すのは姿勢しだい
■元気な年配者は満足しているのか
なるほどなぁ、とおもう。
朝早く近くの公園に行ってみると(めったにないが)、年配者たちが思いおもいにウォーキングを、体操を楽しんでいらっしゃる。楽しんでいるのか、嫌でも健康のためと割り切ってのことなのかしらないが、熱心にみえる。
その姿をみていると、「まだまだ働けそうだよな」などとおもう。もちろん働いている年配者もふくまれているのかもしれないが、大半が定年退職した男性や、その連れ合いの方のようだ。
彼らの余裕を支えているのは年金なのだろう。学校を卒業して就職し、何十年も働いた結果、それこそ本人に言わせれば「苦労した、我慢した」のオンパレードになる仕事を続けてきて、ようやく辿り着いた最終段階なのだろう。逃げ切れた、という思いを強くされている方も少なくないだろう。そういう生活が充実しているのかどうかは別にして、お元気のようだ。
■定年が延長されたところで
今年4月1日には、希望者全員の65歳までの雇用確保を企業に義務づける改正高年齢者雇用安定法が施行された。定年年齢は60歳というのが相場だが、社員が希望すれば会社側は全員を65歳まで雇わなければならないという「押しつけ」である。
60歳以上の人たちから「もっと働かせろ」という声が強まったとか、65歳までの人材は欠かすことのできない戦力だ、と国が判断したからではない。年金資金が逼迫しているために支給開始年齢を60歳から65歳に段階的に引き上げるために、60歳で定年なると支給開始まで生活費が逼迫することが考えられ、だから「会社が面倒みろ」といういことでしかない。年金制度の運用を失敗した国が、負担を民間企業におしつけたわけだ。
厚生労働省によれば、この法改正を見越して、従業員31人以上の企業のうち95.7%までが高齢者の雇用確保措置を導入しており、希望者全員が65歳以上まで働ける企業も47.9%に達している。この数字だけみると、日本の企業は高齢者の働き方と真剣に取り組んでいるという印象を受ける。もちろん、そのまま受け取ってはいけない。
みずほ総合研究所の試算によると、賃金水準を定年時の6割で希望者全員を継続雇用すると2013年度の人件費総額は約3000億円増え、25年度には1.4兆円にまで膨らむとしている。この負担を減らすため、約4割の企業が若年者の採用抑制を検討しているという調査結果を経団連(日本経済団大連合会)も発表している。
それをマスコミも伝えて、高齢者の雇用延長は、企業の負担が増えるし、若者の働く機会を奪いますよ、と報じている。65歳までの雇用確保は弊害ばかり、といった論調だ。
しかし、そうした論調は、「高齢者は企業では役に立たない」ということを前提にしている。それを出発点にすれば、「高齢者はいらない、効用確保もいらない」となるのは当然である。
■とっくに制度はあるけれど
仕事のシステムそのものを見直さないで、それまで定年という名で排除してきた高齢者を受け入れていれば、そりゃ、うまくいくはずがない。
かつて定年が55歳だったころは、20代は戦力で、30代で中堅、40代で中堅管理職、50代で監督職というケースが普通だった。そうやって階段を一段ずつ上り、最後に「上がり」になるわけだ。
これが最近では早くなっている。30代や40代でも監督職的な役割を担わされるケースが珍しくない。若さに期待するというよりも、給料の若いうちに働かせる発想のほうが強い気がする。そして役職定年といって50歳くらいで役職をとりあげ、給料も下げる。
95%以上が高齢者の雇用確保制度を整えているといっても、かなり早い時期で実質的な定年を申し渡しているのが実態なのだ。そんな実質的定年を申し渡された人に本気で働けといっても無理だし、酷である。
企業としては、やる気をなくした人を抱えなければならないから、早期退職してくれることを望む。望むばかりでは去ってくれないから、「追い出し部屋」なんてものも登場してくることになる。65歳までの雇用確保が制度化されて、この状況はさらにひどくなっていくとおもわれる。
企業内の雰囲気は悪化するから、若い人も働きづらい。そんなことで業績が伸びていくはずもないのだ。
問題は、年齢だけで「不要」と決めつける制度と、それを成立させている意識である。年齢だけで判断するのでなく個人の能力で判断しないのは、なぜだろう。さらに、高齢者の力を活かすこと、高齢者でも能力アップさせて貢献してもらうことを考えないのは、なぜだろう。
それを個人も企業も考えていかなければ、高齢者と若手の対立が広がり、企業もムダな出費が増えるばかりになる。働き方が、人にも企業にも問い直されている。