『R-1グランプリ2021』を振り返る なぜあのピン芸は面白かったのか
7日、ピン芸人の日本一を決める大会『R-1グランプリ2021』(フジテレビ系)が放送された。
19回目を迎えた本大会は、ひとつの転機を迎えていた。最も大きな変更点は、芸歴10年以内という出場制限だろう。これにより、同大会の決勝からおいでやす小田やヒューマン中村といった常連の姿が消えた。出場者の顔ぶれがフレッシュになったのと並行して、司会や審査員も相対的に若返った。
総じていえば、”新生”を印象づける大会だったといっていいだろう。
ただ、その新しさのためか、テレビを通して見ている限りでは大会・番組としての”粗”が目立ったのも確かだ。端的にいえば、慌ただしかった。
リニューアルされたR-1は、『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)の演出や審査方法などが参考にされているようだった。が、放送時間の短さゆえか、慌ただしさを感じさせる雰囲気の中でM-1にあったはずのものが削ぎ落とされていく。時間的な”溜め”が無くなる。特に審査員とのやり取りが最小限に省かれていく。M-1であれば芸人のこれまでの”物語”が織り込まれるとともに、ここからの”物語”が紡がれていくはずの時間が切り詰められていく。
が、ここではもう、大会・番組としての”粗”にはこれ以上触れない。
賞レースのメインはネタだ。ファイナルステージに進んだ上位3組について、そのネタの面白さを改めて振り返ってみたい。
「第七のコント男優」かが屋・賀屋
コント師・かが屋の1人である賀屋壮也。相方の加賀翔がしばらく休業中のため1人で活動してきた彼だが、今回がR-1の決勝初進出となった。
その1本目。「3番線ドア閉まります。駆け込み乗車はおやめください」。そんなアナウンスが流れ、ドアが閉まる音がした直後、賀屋が電車に駆け込んでくる。いや、滑り込んでくる。スーツ姿の彼は顔面を汗で濡らし、息も絶え絶え。賀屋はひと言も発さず、しばらくはその苦しそうな息づかいで喘ぐのみ。
「先生」から原稿をもらってきたという男性は、出版社の会社員なのかもしれない。彼は背負っていたリュックを下ろし中を探る。まだ息は切れている。
が、その息切れが唐突に止まる。リュックの中に何かを発見したようだ。息切れのトーンが変わる。全速力ゆえに乱れていた鼓動が、別の意味で高鳴る鼓動に切り替わったことが息づかいの変化で察せられる。リュックの中からは、栓の空いたコーヒーのボトルと、コーヒーに茶色く染まった原稿用紙が出てくる。
その後も、音楽を聞こうとして取り出したイヤホンの線が絡まって解けないときの息づかい。スーツのズボンが破れていることに気づいたときの息づかい――。賀屋はこのひとりコントを、息づかいの違いひとつで表現する。賀屋の演技力が光るネタだ。
舞台の上には見えないはずのもの、日常に紛れて見えないはずのものを感じさせる質の高いコントを、これまでも届けてきたかが屋。その経験の蓄積が、ピン芸でも生きているのだろう。おならのニオイをめぐって交錯するカップルを描いた2本目のネタには、そこにいないはずの彼氏役の相方の姿も透かし見えるようだった。
先日、相方の加賀の復帰が発表された。休んでいる間「かが屋」の名前を守ってきた賀屋。その”物語”をそこに見てしまいたくなるR-1のネタでもあった。
「リズム系フリップ怪人」ZAZY
2011年デビューのZAZY。ロン毛で全身ピンクの衣装に身を包み、ホットパンツに厚底ブーツを履いた彼は、まずはその容姿のキテレツさが目をひく。しかし、ネタはそれ以上のキテレツさだ。
その1本目。「それでは参りましょう。ZAZYの紙芝居、2人の1年」という導入で始まったネタは、フリップの絵とZAZYの語りでストーリーが紡がれる。分類でいえば”フリップ芸”にあたるのだろう。しかし、それはただのフリップ芸ではない。
あらすじはこうだ。ハンカチを落とした女性に男性が声をかける。が、振り向いた女性は鼻孔が尋常ではなく広い。男性はその鼻の穴にズッキーニを突っ込む。「スポン、スポン、ズッキーニ、スポンスポンスポン」とリズムよく突っ込む。さらには冬瓜を突っ込む。この行動で、女性から男性にプロポーズ。2人は付き合うことに。
ここまでですでに意味がわからないが、さらに話の筋は破綻していく。恵方巻をかじる男性が唐突に出てきて「なんでやねん!」とツッコミを入れる。その男性を母親らしき女性が「恵方に集中しなさい」と叱りつける。その女性(刺身皿の上に正座している)にさらに別の人物が「そこは刺し身の場所ですよ」とツッコミを入れる――。最終的に「なんそれ!」とZAZYが叫ぶ。
ここまでワンセット。この破綻した紙芝居があと3セットある。最終的に、4つの紙芝居に出てきた「スポンスポン」などの音がサンプリングされて曲をなし、ZAZYがEvery Little Thingの『出逢った頃のように』のサビを歌い上げ、「なんそれ!」と叫んでネタは終わる。
夢のように破綻していく筋。いや、夢以上に破綻していく筋。そのどこに向かうかわからない流れと個々のワードが面白い。が、その無傾向に見える流れを、耳に残るリズムのサンプリングと「なんそれ!」を決めゼリフとした全体の構成がまとめ上げる流れも快感だ。容姿も含めたZAZYのキテレツな存在感が、散らばりかねない要素を統合している面もあるだろう。最後に「なんそれ!」で終わるそのネタは、そもそも最初から「なんそれ!」なのだ。
ZAZYのリズムに乗せた紙芝居ネタを初めて見たとき、フリップはまだ1つだけだった。それが4つに増殖。自分が面白いと思ったネタを練り上げ、自分が見つけた鉱脈を地道に掘り続けてきた彼のストイックさもうかがわれる。
だからこそなおさら、2本目のクリップのミスは悔しい。優勝を逃した舞台の上でしばらく腕を組み、唇を噛みしめていた彼の姿が印象的だ。
いずれにせよ、今回のR-1で世の中的に一番”バレた”のは彼だったのではないか。チャンピオンに手が届きかけたZAZYの、これからの”物語”に期待したくなる。
「クイーンオブやりたい放題」ゆりやんレトリィバァ
改めて考えてみると、ひとり芸は見るほうにとっても難しい芸だと思う。
相方のいる漫才やコントであれば、1人目の声に答える2人目かいる。反応がある。応答が見える。だからこそ、そのやり取りがいかに”変”なものであろうと、見る側はスムーズに入っていける。”変”なことをやっている人の傍らにいるツッコミ役に、見る側は視点を重ねることができる。理解できない”変”に唖然とする人を理解して、笑うことができる。
けれど、舞台の上でひとりで”変”なことをやっている人を見るとき、私たちは舞台上に重ねるべき視点を発見できない。理解できない”変”を唖然として見るだけの時間が過ぎることもある。見る側に、想像力が必要とされる。だからこそピン芸には、私たちの足りない想像力を補うために、見る者を引き込む演技力や、快感を覚えるような見事な構成や、演じる者の強烈な存在感などが余計に必要だったりするのだろう(あるいは、社会や日常にある”変”な「あるある」などにツッコむ側に徹するか)。
ただ、今回の決勝進出者の中で、彼女は誰とも違ったような気がする。彼女だけは、ひとり芸の難点を補うのではなく、むしろ前に押し出すことで突き抜けようとしているように見える。今回チャンピオンに輝いた、ゆりやんレトリィバァのことだ。
その1本目。オフィスで忙しそうに働く女性が部下を呼びつけ、書類のミスを指摘する。しかし、女性は部下の態度が気に入らない。「黙ってじーっと下向いてるけど、どうせアレやろ? 『また先輩に怒られちゃった~、まぁいいや、下向いて反省した感じだけ出しておけばいいや』……ちゃうねん!」。そんな調子で彼女は部下を「ちゃうねん!」とツッコんでいく。
徐々に彼女のツッコミは部下以外にも広がっていく。「ちゃうねん!」がインフレーションを起こす。
特に、観葉植物に対する執拗なツッコミ。一つひとつのツッコミは「『折らないで~』……ちゃうねん!」などしょうもない。が、しょうもないことに意味がある。「何やってんだ……」と見る側は思う。理解できない”変”に唖然としてしまう。けれど、それが執拗に繰り返されるに連れ、「何やってんだ(笑)」に変わっていく。
理解できない”変”をむしろ前に押し出すことで、”唖然”が”笑い”に突き抜けていく。1人で”変”をやることが、むしろ面白さの中心に置かれている。だからだろう、このネタは「残業中の会社員が深夜、誰もいないオフィスで1人でやっている光景」として見ることができるし、そう見てもなんだか可笑しい(と同時に、辞表を出すオチが別の意味をもつ)。
もちろん、彼女の特異なキャラクターに依存しているところも大きいだろう。”唖然”から”笑い”に変わる特異点を越えられるかどうかは、バラエティ番組などで彼女をどれだけ見慣れているかどうかにも依るかもしれない。
だから、驚いた。見慣れているからこそ裏切られる展開が最後に待っていた。審査員の採点の結果、チャンピオンに輝いたゆりやん。決まった瞬間、彼女は手で顔を覆った。肩を揺らした。下を向いた。なるほど、いつものやつだ。泣くフリをして、変な顔をするやつだ。そう思っていた。
その予感は半分当たる。半分だけ当たる。彼女は実際に例の変顔をした。が、その目からは実際に涙がこぼれていた。
いつだってふざけ続けてきたゆりやんが見せた涙。R-1にかけてきた彼女の思いを知った瞬間だった。彼女の”物語”にまた、新たなシーンが付け加わった瞬間だった。
今年のR-1も、面白いピン芸を見ることができた大会だった。来年もまた、面白いピン芸を見られる大会でありますように。