投資信託よ、金集めから投資へと、死して甦れ
他人の資産を預かり、守り、殖やす、これが、投資運用業の原点です。他人から資産を預けられるほどに社会的な信頼を得ているという誇り、他人の資産管理を一任で行うことの重責、この二つの自覚にこそ、投資運用業の本質はあるのです。しかし、日本の投資運用業の不幸な歴史は、資産を営業力で集めることから始めてしまったのです。さあ、今こそ、浅ましい金集めから、重責を担う誇り高き投資の事業へと、死して蘇らねば。
金集めから始まった投資信託
資産が集まってくるのと、資産を集めるのとは、根本的に違います。投資運用業においては、本来は、社会からの信認の厚さと、投資の技術の優秀さによって、資産が集まってくるものであって、決して、営業力によって、資産を集めるものではないのです。
従って、事業としての投資運用業が成立するには、その前段において、長い歴史が必要です。つまり、あるとき、どこかで、ある必要から、社会的な信認関係によって他人の資産を預かるという行為がなされ、それが、普及して、一般化の過程において、専門的な資産管理技術の形成がなされたとき、事業としての投資運用業が成立したのです。事実、英国では、その原点は、中世にまで遡るのです。
いうまでもなく、歴史的背景の全く異なる日本では、投資運用業の自生的発生は不可能でした。戦前においては、急激な産業近代化のために、戦後においても、急速な復興と高度経済成長のために、日本は、常時、産業資本が大幅に不足する事態にあったのです。そこで、どうしても、国民の零細な貯蓄を、産業資本へ還流させるための仕組みが必要でした。
要は、政策として、お金を集める仕組みが必要だったのですが、そのために実施されたのが金融機関の保護です。銀行、保険会社、証券会社等を厚く保護し、そこに個人の貯蓄を集中させる、というよりも、より積極的に、個人の貯蓄を集めさせるようにしたのです。集められた貯蓄は、産業界への投融資に振り替えられ、日本の経済成長の原動力になりました。
投資信託もまた、この政策から生まれたものです。それは、証券会社の営業力によって資金を集め、株式市場へ還流させるための道具として、発足したのです。このことは、経済政策としては、優れていたといえるのですが、投資運用業の原点としては、非常に不幸なことだったのです。つまり、日本の投資信託は、投資家の利益よりも、政策、産業界、証券会社の利益が優越する仕組みとして、発足してしまったということです。
投資信託は、証券会社が集めた資金を、証券会社が運用するものとして始まり、その後、運用部門を子会社として独立させることにより、投資信託の運用会社が生まれました。運用会社は、投資信託を販売する証券会社に完全に従属するものとして発足したわけで、このことは、販売会社主導の投資信託事業の構造問題として、現在に至るも、深刻な問題を残しているのです。
しかし、かくいうことは、決して、証券会社と投資信託が演じてきた過去の社会的機能を否定するものではありません。重要なのは、過去の社会的機能は、今日、もはや必要ではなく、現在の投資信託には、全く異なる社会的機能が求められているということです。
遅れた金融制度改革
日本経済の成長に伴って、金融機関保護の政策自体について、必要性よりも弊害が目立つようになり、新たなる金融政策が求められるに至る、これは、時間の問題で、不可避なこととだったのです。
転機は、日本経済の安定成長化が明確になり、産業界の資金需要が急激に低下したとき、つまり、1980年代の初めのころにあったはずです。実際、このとき、当時の大蔵省は、金融機関保護政策の転換に着手し始めたのです。しかし、今日からみれば明らかなように、結局、この時点での改革はなされませんでした。
この機を逃したことは、日本の金融の発展にとって、非常に悔やまれる結果を招来します。産業界の資金需要の低下にもかかわらず、銀行保護を続けたことは、銀行の巨大な融資余力を不動産に向かわせるというバブルを生み、そのバブルが崩壊して深刻な金融危機が生じたのです。
この危機のなかで、金融庁が発足して、ようやく改革が本格化し、金融機関保護は終わりを告げます。その後も、改革路線は続いて、現在に至るのですが、30年という長い時間が経過すれば、さすがに、古い金融体制も、一部に名残をとどめるだけになったわけです。昭和も遠くなりにけり、です。
昭和の名残
その昭和の名残は、今では、個人金融資産の圧倒的大部分が預貯金と保険になっているという有名な事実と、投資信託のあり方、この二つが主なものでしょう。そして、誰がどうみても、この二つの間には、強い連関があるはずなのです。
なぜ、預貯金と保険から、投資信託へと、個人の選好が移っていかないのか、この長く問われ続けてきた問題には、これまで一貫して、投資家教育によって答えようとされてきました。つまり、投資信託が伸びない理由を、顧客である個人の理解力の不足に帰してきたのです。
しかしながら、常識的に考えて、商品が売れない理由を顧客の商品理解力に求めることは、商人にあるまじき不遜ではないでしょうか。料理がまずいとされるのは、客の舌が肥えていないからでしょうか、それとも、料理人の腕が悪いからでしょうか。そもそも、料理店がはやらない理由は、料理がまずいか、接客が悪いか、質の割に値段が高いか、いずれにしても、料理店側の問題としてとらえるのが素直ではないでしょうか。
まずい料理屋ははやらない
つまり、素直に考えて、旧態依然たる投資信託のあり方が、投資信託の発展を妨げているということです。この点について、金融庁は、昨年、抜本的な路線の転換を行いました。投資信託の問題点として、初めて明確な形で、真の顧客ニーズとの不一致を指摘したのです。
つまり、料理人は顧客の舌を把握できていないのではないか、接客において顧客の舌に合わないものを押し付けているのではないか、値段が料理の質に見合っていないのではないか、こうした可能性を問題としたのです。
ここでの論点の中心は、いうまでもなく、接客にあるのです。金融庁の問題意識は、接客が顧客を支配しているから、料理人の腕も上がらず、顧客の舌も肥えていかないのではないか、というものだと思われるのです。つまり、投資信託が販売会社主導によって資金を集めることで成り立っていること、この昭和の古い仕組みが今日まで続いていることが問題なのではないのか。
投資信託の味の良さが資金を呼び寄せる仕組みならば、顧客は、よりよい味を求めて投資信託を探すので、競争により、料理人たる運用者の腕も上がっていき、顧客の舌も肥えていきます。質の競争は、供給側の技術の向上を招き、需要側の選好の高度化を引き起こすことで、循環的に、投資信託の質と量の両面における発展をもたらすのです。
金融庁のいう好循環
投資信託が、顧客の真のニーズに適うもののうちから、運用の質と、手数料等の合理性に基づいて選別されて、売れていくのならば、自然な競争により、運用の質は向上し、手数料等の合理化が進み、そのことが、顧客の真のニーズの質的深化と量的拡大をもたらす、これが金融庁の好循環の実現です。
好循環の起点は、顧客の真のニーズに適うものを供給することです。では、顧客の真のニーズに適うものとは何か。この問いの答えは、市場原理的には、自明です。それは、現に売れているものにほかならないからです。しかし、現に売れているものは、必ずしも、顧客の真のニーズに適うものとは限らない、ここに、金融行政の究極の課題が潜むのです。
つまり、現に売れているものが、販売会社の強力な営業力によって売れているのならば、それは、正確にいって、売れているものではなくて、売っているものだということです。売ると、売れるとは、根本的に違うのです。
飲食店街のお店が、どれもこれも、熱心に客引きをしているようでは、料理の腕は上がりませんし、たまたま、そこに味のいい店があっても埋没してしまいます。そもそも、そのような飲食店街に、質を求める優良な顧客は足を踏み入れること自体しないでしょう。日本中の料理屋が客引きで成り立っているとしたら、一体、味を知っている顧客は、どこへ行けばいいのでしょうか。どこで、顧客の真のニーズを満たせばいいのでしょうか。
客引きをやめてみえる顧客の真のニーズ
投資信託を運用する投資運用業者は、当然といえば当然のことながら、資産運用の腕前を上げることに、専心すればいいのです。運用の質がよければ、自然に顧客の支持が集まる、そのような信念を貫けず、生活のためにお金集めに専心しているようでは、資産運用を職業とする資格はないのです。
販売会社のために、販売会社の営業政策に忠実に、販売会社が売りやすいものを作っていては、資産運用の質が上がることはありません。真に優れた資産運用ができているのなら、販売会社に頭を下げて売ってもらう必要はなく、逆に、販売会社のほうこそ、顧客の真のニーズに適うものを探す過程で、自然に、優れた投資運用業者を発見するはずなのです。
要は、投資信託を運用する投資運用業者は、販売会社から、完全に独立しなければならないのです。独立という意味は、販売会社の販売力に依存した経済の仕組みから、完全に脱却するということです。独立は、常に、経済の独立です。真の投資運用業者ならば、運用の質だけで、経済を成り立たせなければならない、それが投資運用業者の存立条件です。
最後の稼げる場所
それにしても、なぜ、投資信託は、今日まで、昭和の遺風をとどめた販売会社主導のものとして、残ってきたのでしょうか。
金融庁発足の契機となった金融危機は、個人貯蓄が集積する銀行等の預金取扱金融機関を直撃したことで、信用秩序の安定を目指した大胆な改革につながったのです。しかし、そのことは、銀行等に集積した預金が融資を経由して産業界に流れるという仕組みの再確立になったわけで、資本市場の育成という改革を先送る結果にもなったのです。
また、金融機関保護行政の終焉は、競争の激化を通じて、金融機関の収益性を顕著に低下させます。そこへ、長期間続く超低金利政策が追い打ちをかけます。銀行等の収益は、調達と運用の利鞘に依存するわけですから、金利の絶対水準の極端な低さは、利鞘の極端な圧縮に帰結しています。
そのなかで、投資信託の販売は、全ての金融機関にとって、残された数少ない稼げる事業になったのです。ここに、全ての販売会社の利益の方向が一致してしまうという不幸な事態が生じたのです。
投資信託の社会的機能
では、なぜ、今、投資信託改革なのでしょうか。それは、投資信託に、大きな社会的機能が期待されているからです。
資本市場改革は、日本では、まだ実行されていません。資本市場改革の中核は、企業の資金調達を、銀行等の融資から社債の発行へ、大きく移動させることですが、その実施のためには、社債の投資家としての投資信託の機能は不可欠です。これが、融資の原資としての預金から投資信託への資金移動の論理的背景です。
また、老後生活資金形成においては、相互扶助型の公的年金や確定給付企業年金から、個人貯蓄型の非課税積立制度や確定拠出企業年金へという大きな流れがあります。この老後生活のための個人貯蓄こそ、まさに、投資信託に求められる機能なのです。
このような社会的背景において、どうして、投資信託を売る必要があるでしょうか。投資信託が正しく運用されている限り、それは、自然に売れるものではないでしょうか。