驚くような死因で亡くなった歴史上の人物10選
歴史に名を残した人物達も一人の人間、必ずどこかで人生の最後をむかえています。ある人は名誉の戦死を遂げ、またある人は病で亡くなるなど死因も人それぞれ。今回は、その中でもちょっと遠慮したくなるような死をむかえた人物たちを世界にも目を向けて紹介します。
いたずらで置いた石につまずく
鎌倉時代の四条天皇は2歳で天皇に即位。
12歳に成長した天皇はとてもいたずら好きで、側近や女中をツルツルした石で転ばせようと廊下にトラップを配置。しかし、だれも引っかからないので、すぐに飽きてしまい帰ろうとしたところ自分がトラップにかかり転倒。打ち所が悪くそのまま崩御してしまいました。
あまりにも突然のことで周りからは祟りを疑われたのだとか…
お尻をかきむしり過ぎて…
室町幕府4代将軍・足利義持は、お尻のできものをかきむしり病状が悪化。この時、お尻の肉が壊死するまで悪化し、最終的には敗血症で亡くなったと言われています。
茶器に火薬を詰めて城と一緒に爆死
戦国時代の武将・松永久秀は信長に反旗を翻した際に「平蜘蛛」の茶器に火薬を詰め込み爆死したと言う有名な逸話があります。実際には自刃したと言うのが定説ではありますが、人生の締めくくりとしてはとてもインパクトがあります。
敵陣で遊んでいて囲まれる
豊臣秀吉に仕えていた中川秀政。朝鮮出兵の際に、現地で防衛を任されるも敵陣でのんきに鷹狩をしていたところ敵に囲まれ戦死。完全に油断が生んだ悲劇でした。
当時、油断して戦死した場合は家督相続が出来ないルールがあり、彼の戦死は虚偽で報告されましたが、すぐにばれてしまいます。
トイレを我慢しすぎて膀胱が
ティコ・ブラーエは16世紀の天文学者で、当時としてはとても高い技術を持っていました。皇帝の主催する晩さん会に出席したティコは、途中で用を足したくなりますが皇帝の前だということで我慢。そして、いざトイレに行くと激痛を伴い11日後には膀胱破裂で亡くなったそうです。
空から亀が降ってきた!?
紀元前のギリシアの悲劇詩人のアイスキュロスは、神話を題材にした作品を多く残している人物です。彼の生涯について不明な点は多いが、その死因が特殊すぎて世界史好きの間では結構有名。
亀を岩に落として甲羅を割って食べるヒゲワシが、アイスキュロスの頭を岩と間違えて落とし、直撃を受けて亡くなったとされています。おそらくアイスキュロスの頭に毛がなかったからなのではと思われます。
バレリーナのコスプレ中に心臓マヒで死亡
ドイツの軍人ディートリヒ・フォン・ヒュルゼン=ヘーゼラーは、ヴィルヘルム2世時代のドイツの陸軍大臣に昇り詰めました。
ある時、皇帝が出席する晩餐会で隠し芸を披露します。持参したバレリーナの衣装を着て踊っていたところ、急に心臓マヒを起こし、そのまま死亡。50過ぎのおじさんがバレリーナの衣装で運ばれる姿を想像するとなんとも言えない気持ちになります。
不老不死を求めて寿命を縮めてしまう
中国初の統一王朝を設立した始皇帝は、強力な中央政権を作り上げ自身の権力を強固なものとしました。圧倒的な力を誇示しようと永遠の命を求めた始皇帝は、すべての国民に不老不死の薬を探すように強制されています。その不老不死の薬が水銀で彼は水銀中毒で亡くなりました。
近視による迷子で敵陣に突入
北方の獅子王と呼ばれるグスタフ2世アドルフは、スウェーデン近代化の父とも呼ばれている名君です。ヨーロッパの言語をほとんど理解する天才で、フランスのナポレオンも評価する程の軍略家でもありました。
しかし、極度の近視であった為、戦場が霧に包まれると味方とはぐれてしまい迷子に。ようやく合流したかと思えば、敵陣の真ん前に来てしまいそのまま一斉射撃で戦死しました。
嫌われすぎて生き埋めにされた皇帝
東ローマ皇帝のゼノンは皇帝に返り咲いたのち、反乱を起こそうとした人に対して徹底的な弾圧を加えます。そのため、敵を作りすぎて市民や貴族層からも嫌われていました。
そして、ゼノンはこの世を去るのですが、なんと棺に納められた後に息を吹き返します。ゼノンは「許してくれ!」と叫びますが人々は無視。結局埋められて死んでしまいました。
色々なところで「生き方で死に方が決まる」とも言われています。
歴史を見ていると、悪政を敷いた王などはあまりよい人生の終幕ではない印象を受けます。東ローマ皇帝のゼノンはまさに生前の行いが招いた結果とも言えます。
このようなことにならないために私たちは、誠実に生きていけたらと思いますね。