『新選組』は味方ばかり粛清や処分をして敵をあまり倒していなかった!?
江戸時代末期、浦賀に開国を迫る異国船がやって来てからの日本は激動の時代に突入していました。
幕府が不平等な条約を結んで異国との貿易が始まると物価高騰により人々の生活が困窮するようになり、外国勢力や幕府に対する不満が募るようになっていきます。
そんな幕末期に結成されたのが新選組で、ファンも多いのではないのでしょうか?
今回は新選組について紹介します。
新選組の結成
新選組が活躍した頃の京都は、尊王攘夷思想を持つ外国勢力を追い払おうとする乱暴狼藉を働く不貞浪士達がたくさんいるような状況でした。そのため、新選組は治安回復を目指して結成されます。
現在で言えば警察のような役割といったところでしょうか。
ただし、新選組の前身組織が「将軍が江戸から上洛(京に上ること)する際の警護役」として「腕に覚えがあれば経歴問わず」の条件で募集されていたため、血の気の多い人たちも多数いました。
敵対勢力の殺害は意外に少なかった?
新選組設立の経緯や鉄の掟「局中法度※」などから「泣く子も黙る人斬り集団」のイメージを持つことから「相当数の敵対勢力を殺害したのだろう」と思いがちです。ところが、鳥羽・伏見の戦いまでに殺害した敵の人数は「26名」だったそうです。
ちなみに鳥羽・伏見の戦いに入るまでの新選組の活動期間は、前身組織も含めて約5年です。あまりに濃密なだけにたった5、6年の出来事なのかと驚きですね。
新選組が最も多い時の人数で200名を超えること、幕末が好きな人にはお馴染みの「池田屋事件」で多くの浪士(この時は7名でした)を討ち取っていること、何より数々の創作物から「他の巡察でもめちゃくちゃ斬っているのだろう」とイメージしがちなので意外に少ないと感じる方もいらっしゃるでしょう。
実際に一年につき約5名と考えると「人斬り集団」のイメージからは離れているような気がします。普段の業務は捕縛がメインで敵を斬るのが仕事ではなかったので、妥当な数字かもしれませんが。
※『局中法度』の名称は小説の中で使われたものですが、現実でも「破れば切腹」の厳格な決まり事は定められています。
法度違反や内部抗争による死者
では、局中法度違反や内部抗争で命を落とした人についてみていきましょう。
総長の山南敬助をはじめ「16名」もの隊士が法度違反で切腹させられました。山南敬助は局長近藤と副長土方との意見の相違の末に、他にも会計処理のミスや不倫トラブルなどで切腹を申しつけられた隊士もいます。
これまで出てきた敵方の殺害「26名」と味方の法度違反「16名」と聞くと、ありそうな人数じゃないか?と思いそうなところですが、実際にはこれだけでは済みません。
法度に触れない内部抗争でも身内が暗殺されています。芹沢鴨や伊東甲子太郎の一派の殺害が有名です。
この内部抗争による死者は「18名」。
法度違反で切腹させられた「16名」と合わせると「34名」が亡くなっています。さらに死因不明の者「6名」。彼らが全員粛清されたとは言い切れませんが、これまでの話を聞く限り何名かは内部抗争の結果、殺害されたのかもしれません。
記録に残らなかった殺害・粛清もあったかもしれませんが、結果的に敵方の殺害16名、味方の粛清・処分(切腹)40名となり、味方の命を奪った数が多いことが分かります。
剣客揃いの集団と言われることが多い新選組。ドラマや小説のように敵をバッタバッタと斬っていたイメージでしたが、この数字をみると意外にも敵を倒していなかった事に驚きました。
メディアで取り上げられ奇麗に描写されていることが多い新選組ですが、その内情は組織の派閥間でドロドロの権力争いが繰り広げられていたのだと思います。