【九州三国志】赤星家、その栄華と転落の物語!菊池氏に連なる一族の運命
赤星家は、菊池武房の弟・有隆を祖とする菊池一族の分家でございます。
その名は並び鷹羽の家紋と共に、肥後国菊池郡において栄えました。
主家である菊池家の衰退に伴い、隈部氏や城氏と並び勢力を拡大。
赤星家は菊池城を託され、栄光を極めたものの、隈部氏との対立が宿命の波乱を予感させました。
赤星統家は、享禄3年(1530年)に生を受け、隈府城主としてその名を歴史に刻みます。
しかし、天正年間における龍造寺隆信との抗争が、統家の運命を狂わせます。
龍造寺氏への従属を強いられた統家は、愛する子供たちを人質に差し出しますが、龍造寺氏の苛烈な策謀により新六郎と娘は無念の死を遂げました。
その悲劇に怒りを燃やした統家は、反龍造寺を掲げ、島津氏に属して沖田畷の戦いに挑みます。
その赤装束と縄襷の姿は、壮絶なる決意を象徴しておりました。
しかし、豊臣秀吉の九州平定後、所領を没収され、阿波国でその生涯を閉じます。
赤星家の軌跡は、栄光と悲哀が交錯する物語として、歴史に深い余韻を残しております。