欧風ジャズを予見するジャン-クリストフ・ショレー『アニマ』〔聴く〕気になる…memo
1962年生まれのピアニスト、ジャン-クリストフ・ショレー(Jean-Christophe Cholet)の最新アルバム(2023年1月リリース)『アニマ(animA)』が気になった。
2020年リリースの『Amnesia(アムネシア)』の続編に位置するピアノ・ソロによる第2弾なんだけど、前作に比してかなり先鋭的になっていて、もしかすると彼に対して抱いているイメージ、例えば“印象派ピアニスト”のような先入観を捨てて聴かないと、勝手な違和感ばかりが残って、彼が切り拓こうとしている“その先の世界”へ行きそびれてしまうかもしれないと思い、そうなるととてももったいないから、そうならないようなヒントを書きとめておこうというわけなのだ。
“印象派ピアニスト”ってなんだ?
その前に、彼に対して抱いている(であろう)イメージにも錯誤があるみたいなので、そのことから触れておこう。
ジャン-クリストフ・ショレーには“印象派”という形容がなされて語られることが多いようなのだけど、そもそも印象派とは、1860年代に絵画の分野で起きた芸術運動のことで、フランスでは1648年にルイ14世が王立絵画彫刻アカデミーを創設し、それ以降の絵画の規範が作られることになり、その規範にそぐわない絵画は認められなかったわけだが、「そんなのオカシイ!」と声を上げたのが印象派と呼ばれるようになる画家たちで、彼らはアカデミーが絵画の権威付けのために築き上げてきた様式を無視し、「そう見えること」を優先させた。
要するに、権威付けされた型に一度ハメてからでないと芸術であるとは認めない風潮に反旗を翻したわけだけれど、こうした印象派の行動や思考をそのままジャズに移行するとすれば、インプロヴィゼーションの比率が高いフリー・ジャズに対して用いるほうが的を射ているはず。
ジャン-クリストフ・ショレーのコンセプションはインプロ、すなわち偶然性を主体とするものではなく、かなり構築性の高い(あるいはそれを意識した)作曲作品であり、パフォーマンスの目的はその再現にあると言える。
もちろん、再現する場における偶発(アクシデント)も作品に織り込むことで、インプロヴィゼーショナルな表現も可能にしているのではないかと推測される。
こうして言葉にしてみると、彼が選んでいるコンセプションはやはりフリー・ジャズ的ではなく、もちろんそのように聞こえもせず、どちらかといえば現代音楽に近いものだということがわかるんじゃないだろうか。
実際にそのサウンドはフリー・ジャズの“感情が主体的になっているようなもの”ではなく、しかも内省的で耽美だったりするから、印象派を意味する「見たまま(感じたまま)」ではなく、その印象を思考に落とし込んでからアウトプットするという、絵画で言えばポスト印象派にあたると言ったほうが良いわけだ。あるいは、印象派と対峙する意味でロマン派と言ったほうが適切かもしれない。ただ、ロマン派については、クラシック音楽で確立したゾーニングがなされているため、使いにくいというオトナの事情があるから使わないけど。
ロマンの下に隠れていた音楽家の本質
さて、ようやくジャン-クリストフ・ショレーの音楽は耽美的でロマンチックな印象をもたらしてくれるもの──というところまで漕ぎ着けたわけだが、実はそんなイメージも前作『アムネシア』までで(『アムネシア』がその頂点だったと言っていいかもしれない)、ここで取り上げた『アニマ』では、アルバム前半こそ前述のイメージを裏切らないものの、後半ではミュージック・コンクレートを彷彿とさせる“現代音楽的な顔”が前面に出て、耽美とは一線を画す“アヴァンギャルド"なピアニストだったことを改めて知らしめるのだ。
コロナ禍で内省的なソロあるいは少人数編成の作品に取り組んだアーティストも少なくなかったという感のあるこの3年。
内省にとどまることなく自己を再構築しようとするジャン-クリストフ・ショレーのようなアーティストの進んでいこうとする方向に、これからのジャズ(フランスあるいはヨーロッパ系のジャズ)のヒントがありそうだ、と感じたことがヒントというわけです。
補足(言い訳)
ジャン-クリストフ・ショレーの音楽家的資質がインプロではなくコンセプト・アートだと感じていることに巧くつなげて書くことができなかった。反省。
彼のコンセプションに、キース・ジャレットが手がけたG.I.グルジェフの作品(『Sacred Hymns(祈り)』)に通じるものを感じたことを巧く言葉化できなかった。反省。