【今年ふりかえり】平昌五輪「スポーツと政治」議論の発端。金正恩委員長の「新年の辞」とは何だったのか。
2018年が終わりに近づこうとしている。一年の執筆活動を通じ、どうしても言い切れなかった話をひとつ。
個人的に大きな印象に残っているのが、平昌五輪での女子アイスホッケーの南北統一コリア代表取材だ。「スポーツと政治」という点について大いに考えさせられた。
1月20日、大会に臨む韓国女子アイスホッケー代表に北朝鮮選手を一部加えることが発表になった。すると韓国側でも批判的論調が盛り上がった。当のチームと監督が海外遠征中に決定した事項だったからだ。
なかでも15日の韓国イ・ナギョン総理による「女子アイスホッケーはメダル圏外にある」の発言はかなりまずかった。明らかなスポーツへの政治介入と言われても仕方がなかった。当の韓国女子アイスホッケー代表監督も「大会20日前にこんな決定がくだされるとは」と不満を口にした。プレーヤーズファーストの精神が守られていない。
筆者も批判的論調で書いた。社会のなかの事象の一つとして行われる以上、無関係ではありえない。だからこそ上手くやるべきだと。露骨な「介入」は好ましくない。今回のように当事者の確認もなしに政治側が勝手に選手構成を決めてしまうなど、言語道断だ。
2月の現地取材では結果としてチームの成績向上に繋がっていない点を指摘した。韓国代表として2017年8月に2ー5の敗戦を喫したスイスに対し、本大会では0ー8の大敗を喫したのだ。
いっぽう、大会後にデータを綿密に調べなおすと韓国側の選手で平昌五輪で出場機会ゼロの選手は存在しなかった(北朝鮮側には存在した)。大会前には北の選手加入のためにエントリーから外れた韓国選手がいたが、エントリー確定後は政治的決定のために出場機会を得られなかった韓国の選手は存在しなかったことになる。
当時は筆者自身、連日零下の酷寒のなかでの取材が続いた。体力的にもかなりタフだったため、この点を伝えきれなかった点に少し後悔があった。
「なぜ、こういう状況になっていったのか」ということだ。
間違いなく、「スタート地点」のひとつは2018年1月1日の金正恩朝鮮労働党委員長の「新年の辞」にあった。
ここで金委員長がこんな内容を口にした。
「南朝鮮で近く開催される冬季オリンピック競技大会について(中略)我々は代表団の派遣を含めて必要な措置を講じる用意があり、そのために北と南の当局が至急会うこともできるでしょう」
平昌五輪への参加意思を示したのだ。これに対し韓国側が迅速に対応。1月10日に政府が応援団の受け入れや女子アイスホッケー代表の統一チーム化が論じられていることを認め、20日にはIOCに承認された。スポーツ的な是非は別にして、その後の3度の南北首脳会談(うち一度は非公開)など、南北交流の流れの第一歩となったことは確かだ。
この「新年の辞」をぜひ、詳しく紹介してみたかった。後年、「歴史を変えた」とも評価される可能性がありうるからだ。その割にはあまり注目されていない。
北朝鮮では2013年から毎年、金委員長の肉声による「新年の辞」が発表されている。2018年版を全文速報で伝えた韓国「中央日報」のテキストを訳しつつ、振り返りたい。一体何を語っていたのか。
まずは自国の事情、アメリカ批判、韓国の情勢ふりかえりなど
アナウンサーの案内から放送が始まった。
只今より、朝鮮労働党委員長であられ、国務委員会委員長であられ、最高司令官、党と国家軍事の最高領導者金正恩同士におかれまして、2018年の新年に臨まれる新年の辞をお送り致します
続いて、金委員長の映像に切り替わる。
愛するすべての人民と、勇敢な人民軍将兵、同胞兄弟の皆さん!
今日我々は、すべてが勤勉でやりがいあふれる労働、誠実な汗と努力により、去る一年に自分たち成し遂げた誇らしい仕事に対し、大きな喜びと自負心とともに感慨深く記憶し、新しい希望と期待を胸に2018年を迎えます。
こう切り出したのち、苦しみに打ち勝ち、統一に向かわなければならないという内容を続ける。
ここは率直に言って長いので省略を。2017年に韓国で保守政権から革新政権に変わったこと、アメリカへ対する批判、自国の経済がどう変わったかなどが続く。
現地語にして約2300字。A4の用紙が8枚びっしりと埋まるくらいだから、かなりの分量だ。
そのうち、南北関係に関しては、その時点では「2017年に政権交代があったが、変化がなかった」と言及している。
南朝鮮で、激怒した各階層人民の大衆的抗争によってファッショ統治と同族対決を追求していた保守「政権」が崩壊し、執権勢力は代わりましたが、北南関係において変わったものは何もありません。
むしろ、南朝鮮当局は全同胞の統一の志向に逆行してアメリカの対朝鮮敵視政策に追従することによって、情勢を険悪にし、北南間の不信と対決を一層激化させ、北南関係は修復しがたい梗塞の局面に陥りました。
こうした不正常な状態に終止符を打つことなしには、国の統一はおろか、外部勢力が強要する核戦争の惨禍を免れることもできません。
(目下)造成されている情勢は、今こそ北と南が過去に縛られることなく、北南関係を改善し、自主統一の突破口を開くための決定的な対策を立てていくことを求めています。この切迫した時代の要求を無視するのなら、誰であれ民族の前に堂々と姿を見せることができません。
変化が必要、という内容はこれまでも多く述べられてきたものではある。
オリンピックの話は終盤に登場
スピーチの様子は、冒頭部分をカットし、韓国のYTNのインターネット版でも速報で全文が報じられた。50分にも及ぶの話のうち、「オリンピック」のフレーズが出てくるのは全体の4分の3に差し掛かったあたりのことだ。
今年は、朝鮮人民が共和国創建70周年を大慶事として祝い、南朝鮮では冬季オリンピック競技大会が開催されることにより、北と南にとってともに意義のある年です。
われわれは、民族的大事を盛大に執り行い、民族の尊厳と気概を内外に宣揚するためにも、凍結状態にある北南関係を改善し、意義深い今年を民族史に特記すべき画期的な年として輝かせなければなりません。
何よりもまず、北南間の先鋭化した軍事的緊張状態を緩和し、朝鮮半島の平和的環境を作り出さなければなりません。
今のように戦争でもなく平和でもない不安定な情勢が持続している状態では、北と南が予定されている行事を成功裏に執り行うことができないばかりか、対座して関係改善の問題を真摯に論議することも、統一に向けて真っ直ぐに進むこともできません。
オリンピックへの言及とともに、2018年が「共和国創建70周年(建国記念日。1948年9月9日から70年)」である点もまた、関係を変えていく契機であるとしている。
ここからまた、1000文字近いアメリカ批判、さらに韓国がアメリカに同調すべきではないという内容が続く。
そして、ほぼ最後の文脈で「五輪参加意思」を口にした。
南朝鮮で近く開催される冬季オリンピック競技大会について述べるなら、それは民族の地位を誇示する好ましい契機となるであるでしょうし、われわれは大会が成功裏に開催されることを心から願っています。こうした見地からして、われわれは代表団の派遣を含めて必要な措置を講じる用意があり、そのために北と南の当局が至急会うこともできるでしょう。
同じ血筋を引いた同胞として、同族の慶事をともに喜び、互いに助け合うのは当然なことです。
われわれは今後も、民族自主の旗印を高く掲げてすべての問題を「わが民族同士」で解決していくであろうし、民族の団結した力によって内外の反統一勢力の策動を粉砕し、祖国統一の新しい歴史をつづっていくでしょう。
私はこの機会を借りて、国内外のすべての朝鮮同胞に今一度温かい新年のあいさつを送り、意義深い今年、北と南で万事うまく行くよう心から願います。
金委員長にとって、結論的にこれが一番言いたいことだったか、どうか。いずれにせよ、原文を読んで考えさせられたのは「スポーツと政治の分離」を北側の改めて文脈から切り取ったときの視点だ。
平昌五輪への北朝鮮の参加表明は、50分のスピーチのうち、終盤に少し出てきた話だったということだ。その他はほぼ、政治の話だった。
「スポーツと政治の分離」かなり主張がしづらい、タフな相手だ。韓国側はその細い糸を紡ごうとした結果、あのいびつともいえる南北コリア代表結成に至ったとも想像できる。
もちろん政治社会体制の大きく違う国に対しても、「政治からは分離すべき」と伝えていく努力は怠ってはならないが。2018年の現在はまずは同じステージに立ってみることが大切、という段階にある。
新年の辞は、毎年発表のタイミングが変わるという。2013年、15年、18年は1月1日の午前8時30(東京・ソウル時間9時。当時は平壌と30分の時差があったため)から録画放送され、2016年、17年はいずれも12時30分(同12時)からスタートした。2019年はどんな内容が出てくるだろうか。