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英国の女性失踪事件で個人情報露出 その是非とは - 過熱メディア報道で家族にさらなる苦しみ

小林恭子ジャーナリスト
ブリーさんの遺体が見つかった川の上にかかる橋から(写真:ロイター/アフロ)

 (「英国ニュースダイジェスト」掲載の筆者コラムに補足しました。)

 今年2月、英国のメディアがトップ扱いで報じたのが、イングランド北西部ランカシャーに住むニコラ・ブリーさん(45)の失踪事件だった。優しそうなほほ笑みをこちらに向けるブリーさんの顔のクローズ・アップが大々的に報道された。

事件の発端は

 1月27日午前8時50分ごろ、ブリーさんは子どもたちを学校に連れて行った後、ワイヤ川近辺セント・マイケルズ・オン・ワイヤを愛犬と一緒に散歩していた。携帯電話で上司に電話し、オンライン会議に参加。9時半ごろに会議を終了し、歩いていたところを犬を散歩させていた通行人に目撃されている。

 まもなくして、川べりのベンチに携帯電話と犬が残されていることを通りかかった人が発見。犬の首輪は川とベンチの中間地点に落ちていた。午前11時に捜索願が出され、翌28日ランカシャー警察は行方不明事件としてドローン、ヘリコプター、警察犬を使って捜索を開始した。地元消防隊、山岳および水難救助隊が動員された上に地元市民も一丸となって捜索開始。

 2月3日、警察はブリーさんが「自ら川に入った可能性がある」として、犯罪が行われた形跡はないという見方を表明したが、連日の報道によって事件は多くの憶測を生んでいった。

そこまで明らかにする必要があったのか

 ブリーさんが住む地域や川周辺にやってきて、自ら捜索する人々が続出し、警察はこれをけん制する声明を出さざるを得なくなった。ネット上でも失踪原因についてさまざまな説が飛び交うなか、同15日、地元警察は会見を開き、ブリーさんが「高リスク状態」で、「アルコール問題を抱えていた」、「閉経期(menopause)で苦しんでいた」と述べた。

 行方不明前の1月10日、ブリーさんのアルコール問題に関連して、警察と保健当局の職員がブリーさんの自宅を訪れていたので、こうした要素を基に仮説の一つとして「自ら川に入ったと想定した」、と説明。この時点でブリーさんは見つかっておらず、失踪原因も確定していなかったので、ここまで個人的な事柄を公にするべきなのかと疑問が呈されるようなった。

 国民医療サービス(NHS)のメンタルヘルス・トラストの代表ゾーイ・ビリンガムさんは、BBCラジオ4の番組で「もし公にするのだったら、なぜもっと前に発表しなかったのでしょう」と警察の対応を批判した。

 会見の後にブリーさんの家族が警察を通じて出した声明文によりますと、ブリーさんは確かに閉経前後の数年に当たる「閉経周辺期」による「大きな副作用」に苦しんでいた。

 ホルモン補充療法を受けていたが、これによってブリーさんは重い頭痛を発症し、治療を停止せざるを得なくなった。

 警察がブリーさんの個人的な事情を発表する前日には、家族に連絡があった。ブリーさん自身は情報公開を嫌がったかもしれないが、「憶測をし、情報を売るぞと脅す人がいる」ため、このような動きを止めるために情報公開に同意したという。

 2月19日、事件は大きな展開を見せる。ブリーさんと思われる人物の遺体がワイヤ川で見つかったのだ。最後に姿を目撃された地点から1.6キロの場所だった。

 ブリーさんの個人情報公表を巡って、警察の情報伝達能力が問われた事件だった。

 しかし、ブリーさんの家族の批判は別にあった。遺体の本人確認が済んだ後で、遺族はこんな声明を発表している。メディアや一部の市民がブリーさんの「娘たちの父親を容疑者扱いし、家族や友人たちを誹謗した」「その責任は追及されるべきだ」と。また「プライバシーを尊重してほしい」と訴えていたにもかかわらず、遺体発見当日、複数のテレビ局が家族に直接連絡を取って取材しようとしていたことを明らかにした。

 警察以上にメディアの責任が問われた事件となった。

キーワード 閉経期(Menopause)

 更年期という場合もある。女性ホルモン「エストロゲン」の低下によって生理が止まる時期を指す。45~55歳で生じる場合が多いが、卵巣摘出やガンの化学治療などで早期に発生することもある。閉経期には、不安感、感情起伏、ほてりなどの症状が出る。対処方法は休養、睡眠、運動、健康的な食事のほかにホルモン補充療法がある。

ジャーナリスト

英国を中心に欧州各国の社会・経済・政治事情を執筆。最新刊『なぜBBCだけが伝えられるのか 民意、戦争、王室からジャニーズまで』(光文社新書)、既刊中公新書ラクレ『英国公文書の世界史 -一次資料の宝石箱』。本連載「英国メディアを読み解く」(「英国ニュースダイジェスト」)、「欧州事情」(「メディア展望」)、「最新メディア事情」(「GALAC])ほか多数。著書『フィナンシャル・タイムズの実力』(洋泉社)、『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス』(洋泉社)、共訳書『チャーチル・ファクター』(プレジデント社)。

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