第2のノイシュヴァンシュタイン城と絶賛される城へようこそ!
ドイツ第2のノイシュヴァンシュタインと絶賛される城が東部ドイツにある!と聞いて、さっそくその城のある街ヴェルニゲローデに向かった。(画像撮影は特記以外、すべて筆者)
ドイツで不動の人気を誇るノイシュヴァンシュタイン城と日本国宝の姫路城の友好協定が今年3月末に締結されて話題となった。外国人観光客が選ぶドイツの観光名所トップ100の中で毎年1位のノイシュヴァンシュタイン城は、死ぬまでに行きたい城(トリップアドバイザー)でも、1位に躍り出ている。
さて、そのノイシュヴァンシュタイン城に匹敵するほど美しいヴェルニゲローデ城を有する街ヴェルニゲローデへは、ベルリンからドイツ国鉄列車で約3時間、ハノーバー駅から約2時間で到着する。
ドイツ皇帝の狩猟城館だった城
中世の面影を残すヴェルニゲローデ城は、東部ザクセン・アンハルト州のハルツ郡に属するヴェルニゲローデの街を見下ろすアグネス山の丘の上に聳え立っており、この地方の象徴的なシンボルとして市民に愛されている。
城のガイドさんによれば、間違いなく、この城は第2のノイシュヴァンシュタイン城という。
1213年にはじめて史誌に記述が見られるヴェルニゲローデ城は、かってドイツ皇帝がハルツ地方へ狩猟に来た際に利用するための城館として建てられたそうだ。
城主は時代と共に変わった。17世紀後半、エルンスト・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ伯は、城塞の一部をバロック様式に修復、また19世紀中盤には、同家オットー伯が更なる大改築をして、改築部分にネオゴシック様式を導入したことから、バロック様式とネオゴシック様式が混在した現在の姿となったという。
オットー伯は、政治的に飛躍的な成功を収めた権力者。プロイセン王国首相ビスマルクの代理・つまり副首相にまで上り詰め、権力と富を手中に収めた有力者だった。
城内には50ほどの部屋があり、ルネッサンスから19世紀までの宗教芸術、絵画、工芸作品、そして室内装飾などを堪能したい。数ある素晴らしい部屋の中で個人的に強烈なインパクトを受けたのは、祝宴の間の華麗さだ。
城の教会チャペルを借り、結婚式を挙げることも可能だ。城内のサロンを借り切ってイベントを行うのも楽しいだろう。かっての喫煙サロンにて子供の誕生日パーティを開催したり、これから晴天が続く夏の日には、テラス、中庭なども人気のある会場という。
城のテラスからは、ヴェルニゲローデの街とハルツの山並みを一望でき、素晴らしいパノラマを満喫したい。ドイツの典型的なオレンジ色の屋根と緑に囲まれた景観は言葉で言い尽くせないほど圧巻だ。
城へのアクセスは、ヴェルニゲローデの市庁舎裏側やブライテ通りから乗る「ビンメルバーン」や馬車で行くのがお勧め。
文豪ゲーテも滞在した街「ヴェルニゲローデ」
ヴェルニゲローデ城の麓にあるヴェルニゲローデは、人口3万3千人ほどのこじんまりとした街。ハルツ山地の色彩豊かなこの街は、1121年に初めて史誌に登場しており、ハルツ地方のなかでも、際立って古い家並みが残っている。かって織物の街として栄えた街だったが、前出の30年戦争やペストの流行により、寂れてしまった。
文豪ゲーテは、1777年にこの街を訪れた。しかし誰もこの小さな街の魅力に気づかず、当時はヴェルニゲローデで休暇を過ごすことなど考えられなかったという。
19世紀終わりになると、ブロッケン山頂まで続く「ハルツ峡軌(きょうき)鉄道」が開通し、ヴェルニゲローデは始発駅としてハルツ観光の中心地となった。それ以来、ヴェルニゲローデは保養地、観光地として発展し、魅力溢れる中世の木組み建築の街としてドイツ国内はもちろんの事、海外からの観光客に注目されるようになった。特に、ドイツ東西統一後(今年は統一25周年を迎える)は、観光客もうなぎのぼりという。(ヴェルニゲローデ駅には国鉄とハルツ鉄道の二つの駅が隣接している)
童話の世界へタイムスリップ!マルクト広場の市庁舎
ドイツ国鉄ヴェルニゲローデ駅から徒歩10分ほどで石畳のマルクト広場に到着。この広場に面する市庁舎は、1277年に「遊戯館(スペルフス)」としてはじめて記述が見られ、裁判所または娯楽施設として、あるいは曲芸や踊り、結婚式祝宴城として利用されていた。
市庁舎となったのは、1544年からで、その時に改築され、熟練マイスターの技が木組み建築芸術の最高峰を達成したといわれる。とにかく一度この市庁舎の前に立ってみたい。童話の世界に迷い込んだような気分になること請け合いだ。
見所満載の旧市街
市庁舎の左を歩いていくと、ヴェルニゲローデ城へ行くビンメルバーンの発着所に行き着く。この広場オーバープァルキルヒホーフにある花時計の横の家13番は、お勧め観光スポットのひとつ傾いた家だ。この家に見られる水車はタイヒミューレと呼ばれ、17世紀につくられたものとか。水車用の水路の水により礎石が崩れて、家の一部が沈降し、傾いてしまったという。
旧市街のコッホ通り43番は、ヴェルニゲローデで一番小さい家。
18世紀に建てられたバロック風の木組みつくりの家が立ち並ぶコッホ通りは、職人の住んでいた通りだった。この小さな家は、軒までの高さが4.2メートル、幅が2.95メートル、ドアの高さはわずか1.7メートル。10平方メートルの内部は、日本式の1階にキッチン、2階にリビング、屋根裏に寝室があった。この家の両隣りの家が既に建っており、その隙間を埋めるかのように建てられたのがこの家という。
この家では、7人の子どもと共に計9人で生活していた郵便局員家族や、11人一緒に過ごした家族もいたというから驚きだ。
旧市街の中心・ブライテ通りの72番にあるのが、木造建築として欧州で例を見ないほど素晴らしいといわれる家「クルンメルシェス・ハウス」。この家の壁にはバロック芸術のレリーフ彫刻がいたるところに施されており、ブライテ通りでも際立って美しい装飾だ。
ブライテ通りを歩いていると、店のあちこちに魔女人形が目に入る。ドイツでは全国各地に魔女伝説があり、ここヴェルニゲローデでは、4月30日から5月1日に行われる「ヴァルプルギスの夜」が有名だ。
ヴァルプルギスの夜は伝説として伝えられてきたが、19世紀後半になり、春の到来を喜ぶ祭りとして開催されるようになった。 ゲーテの「ファウスト」の中で、ヴァルプルギスの夜が登場する。ファウスト博士は悪魔メフィストと「あの世での魂の服従をする」と契約を結び、魔女の祭典「ヴァルプルギスの夜」へと繰り出し、饗宴に酔いしびれたという。そんな背景から、ヴァルプルギスの夜の知名度が一気に上がった。
さて、魔女といえば、皆さんどんなイメージを抱くのでしょう。漫画にでてくるかわいい魔女、それともグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」に登場するような怖い魔女ですか。現在日本では「魔女の秘密展」が本年3月より開催されており、今後新潟、名古屋と続く。
私事ですが、この秘密展のドイツ・コーディネートを担当させていただいた。この機会に、知らざれるドイツ・欧州の魔女の歴史を探ってみてはいかがか。
取材協力・ドイツ観光局