Yahoo!ニュース

元阪神・福永春吾投手が再び徳島から目指す頂!新たな武器はパワーカーブ

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
合同自主トレ初日、グラウンドで取材を受ける徳島インディゴソックスの福永春吾投手。

 昨年で阪神タイガースを退団した福永春吾投手(26)が、古巣である四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレーすることが発表されたのは1月29日。そのわずか3日後の2月1日には合同自主トレが始まり、私は徳島県鳴門市のオロナミンC球場(鳴門・大塚スポーツパーク)へ会いに行ってきました。入団が決まったのも1月下旬だった福永投手は引っ越し準備に大わらわで、1日だけ自主トレに参加してすぐ大阪へ戻り、2月5日に無事引っ越しを済ませています。

 そして2月25日には、オロナミンC球場で春季キャンプを行っている社会人野球のロキテクノ富山(昨年まではクラブチーム、ことしから企業チーム登録)と練習試合が行われました。ロキテクノと言えば、元阪神のドラフト1位投手で西武やヤクルトでも活躍した藤田太陽新監督(41)のチーム。徳島は今季初の対外試合ですが、ロキテクノ・藤田監督にとっても初采配というわけで、そちらも聞いてきました。藤田監督のことはまた改めて書かせていただきますので、お待ちください。

 では前後しますが、まず2月25日に行われた練習試合の方からご紹介しましょう。試合結果はこちらです。

 <練習試合> 2月25日

ロキテクノ-徳島 (オロナミンC)

  徳島 006 010 001 = 8

  ロキ 000 010 010 = 2

◆バッテリー

 【徳島】白川(3回)-勝田(1回)-中山(1回)-亀山(1回)-河野(1回)-楢嵜(1回)-福永(1回) / 丹治

 【ロキ】飯塚(2回2/3)‐後藤(2回1/3)-松原(2回)-孫大(1回)-斎藤(1回) / 黒田-沢田(6回~)

◆二塁打 徳島:武岡

試合終了後のスコアボード。徳島の方に「P福永」の名前があります。試合では中継ぎ、抑えでの起用になるみたいですね。
試合終了後のスコアボード。徳島の方に「P福永」の名前があります。試合では中継ぎ、抑えでの起用になるみたいですね。

 この日はまだ今季のユニホームができていないため、徳島の選手たちは昨年までのものを着て出場しました。よって背番号が違う人もいます。ただし福永投手はユニホームでなく、練習用の背番号入りTシャツ。「誰も貸してくれなかったから」と試合後に冗談で言っていたけど、本当のところは借りられるものがなかったみたいですね。正式なユニホームはまだ先のお楽しみです。

 福永投手は予定通り9回に登板しました。1人目は真っすぐと変化球をまじえカウント2-2からの6球目(144キロ)で一邪飛、2人目は1-2からの4球目(134キロ)で空振り三振、3人目は144キロの真っすぐでストライクを取ったあと2球目(132キロのカーブ)が死球、4人目はファウルのあとの2球目(133キロ)で遊飛。以上、打者4人に14球を投げています。最速は1人目への3球目(ファウル)の148キロ。とはいえ直球が130キロ前半と表示されたものもあり、ちょっと怪しいですね。

「狙いましたよ!3球三振」

 では試合後に聞いた福永投手のコメントです。2月21日の紅白戦で1イニングを投げていますが、対外試合は初登板でした。まず死球の件を聞いてみると「カーブです。結構曲がりましたねえ」と苦笑い。

 「練習しているんですよ、カーブ。130キロ前後の球速帯で勝負するボール、カウントを取るボールっていうのを意識して、きょうは真っすぐと組み合わせて投げようと思っていたんです。ブルペンではいいのに、やっぱりゲームはどこかで力んでいるので、抜けたり引っかけたり…。きょうもちょっと引っかけ気味だった。そこの修正はしないといけないですね」

 ある程度、真っすぐでカウントを取って変化球で勝負する?「そのパターンと、また逆も。大きい変化を使いながら真っすぐで最後ドーンというパターン。それは今まで使っていなかったので。スラットだけじゃダメ。パターンを増やさないと」

 最後は真っすぐだった?「真っすぐですよ。でもスピードガンは130キロくらいでしたよね?感覚的にはそんなわけないので、あんまりあてにはしてないです。きょうは出力がしっかり出るかどうか確認して、自分の中で感覚はよかったと思う。強いボールを出しながら、真っすぐを内と外、両方のコースにしっかり投げられていたので」

生で福永投手は投げる姿を見るのは、ちょうど1年前の安芸キャンプ以来でした。
生で福永投手は投げる姿を見るのは、ちょうど1年前の安芸キャンプ以来でした。

 3球目のファウルが最速の148キロ。「あそこは三振を取りにいきました。当てられたけど」。狙っていたの?「狙いましたよ!3球三振(笑)。まあ、でも得意なボール、スラットをしっかり投げきれていたし、真っすぐと得意なボールに関しては問題ないと思います。あとはカーブを」

 なお“スラット”は、スライダーとカットボールの中間とか、2つを合わせたものという説明が多いですね。スラッターと同じ、かと思えばスラッターとスラットは違うものだという解説も。福永投手はどうなんでしょう?2019年に「自信のあったスライダーで腕を低めに振るようにしたらスピードが上がって、たまたまスラッターのようになった」と話す試合がありました。→<平成最後の鳴尾浜決戦、1点差を守り切った福永投手の4球>

大きく、強く曲がるカーブを武器に

 今回、カーブを練習したのは必要性を感じて?「もともとカーブは持っていたけど、自分ですごく扱いにくいボールだったので、少しこの冬に改良して今臨んでいます」。改良点はスピードだけ?曲がり方も?「スピードと曲がり方です。カーブを投げる時に多分、腕がちょっと緩んでいたので。動画を見ていてそう思いました。『若干、抜けるよね』って結構言われていたし」

 じゃあ握り方も変えた?「変えました。ガッツリ変えました!球速自体は満足しているんですけど。あとはブルペンではいいので、ゲームで力が入った時にもしっかり扱えるように」。それは空振りを取るため?それとも…。「空振りを取るためです」

9回1イニングを0点に抑えて試合終了!戻ってくる野手を迎える福永投手です。ホッとした顔?
9回1イニングを0点に抑えて試合終了!戻ってくる野手を迎える福永投手です。ホッとした顔?

 スローカーブは投げない?「投げていたんですけど…やっぱり不器用なので合わせてしまうんです」。じゃあバッターにも合わせられてしまう?「そうです。結局、1軍レベル相手となった時にパッと反応で打たれてしまうので、それならもう真っすぐに近い軌道から大きく曲げよう、強く曲げようというふうに変えました」

 囲み取材が終わって、また「あー、カーブが!ブルペンであんなによかったのに。悔しいです!」と繰り返します。ただカーブに関して1つだけ収穫もあったそうで「カーブを投げたあと、真っすぐをコントロールできたこと。今までは抜けてしまっていた」とつけ加えました。それでもなお「カーブがなあ」と行ったり来たり。次の試合に期待しましょう。

野球人生最後の挑戦をかけて

 続いて、合同自主トレがスタートした2月1日の話です。徳島インディゴソックス・吉田篤史監督(50)は、福永投手について「本人が望むところになるべく近づけるよう後押ししたいというだけですね。いろんなことを思って来ているでしょうから、そこに本人が到達できるよう足りないところを後押しできれば。周りの選手にどう作用するかはまだわからないですけど、いずれにしてもいい作用しかないと思っています。チームにとっては、いい刺激になるんじゃないですかね」という言葉でした。

徳島の吉田監督。試合の日は写真を撮れなかったので、2月1日のものです。
徳島の吉田監督。試合の日は写真を撮れなかったので、2月1日のものです。

 そのあと取材陣に囲まれた福永投手は「この徳島から再スタートして、しっかりと自分の課題を見つめ直し、そこを克服してまた最短でNPBへ戻れるように頑張っていきたいと思います」と決意表明。具体的な目標を聞かれ「やっぱり(今季NPB復帰の)期限である7月に、というのが最大の目標です」と答えました。

 去年、元阪神の歳内宏明投手(27)が同じ四国アイランドリーグplusの香川からヤクルトに入ったことは意識しますか?「そうですね、はい。歳内さんは一番身近でやっていた方なので。自分も同じように復帰したいと思います」。戦力外通告を受けたあと歳内投手からも連絡をもらったそうで、台湾の話などいろいろ教わったみたいです。

 背番号99については「野球人生最後の挑戦をかけて、この徳島で勝負しようと思っているので、そういう意味も込めて99にしました」と回答。あとはないという意味も?「そうですね」

 徳島インディゴソックス球団の南啓介代表取締役社長とも少し話をさせていただきました。タイガースに行く前と比べて、どんなふうに変わっているでしょう?「それはもう楽しみですね。ただ(チームとして)頼りにしているというより、しっかり調整してくれたらいいと思っています」

 また橋本球史野手コーチ(28)いわく「僕たち、同期なんですよ。2015年のドラフト1位が福永で、2位が僕」とのことで、ともに徳島でプレーをしていた仲間でもあります。だからこそ頑張ってほしいと親身になって応援されているように見えました。海外に目を向ける福永投手に「絶対戻ってきた方がいい。NPBの可能性もある」と力説したのも橋本コーチだったとか。

徳島のは橋本野手コーチ。福永投手への思いが伝わってきました。
徳島のは橋本野手コーチ。福永投手への思いが伝わってきました。

 5年ぶりに同じユニホームを着ることになったものの「あいつは普通にプレーしてくれればいい。その背中を選手が見ることによって、いい刺激をもらえると思います。そして本人が望むところに、なるべく近づけるように後押ししたいですね。また本人の足りないところを埋めてあげられたら。いずれにしてもいい作用しかない。チームにとっていい刺激でしょう」と、やはり親身な言葉です。

着々と進んでいた渡米準備だが…

 昨年11月の戦力外通告を受けた際、福永投手は古巣の徳島インディゴソックスに「トライアウトでNPBへ復帰できるよう頑張ります」と連絡。そして12月、12球団合同トライアウトが終わったあと、報告も兼ねて徳島の球団事務所へ挨拶に行ったそうです。「NPBからの話がなければ海外へ行きたいので、代理人がいたら教えてくださいとお願いしました」

 社会人野球の企業チームや台湾の社会人チームからも誘いはあったとか。特に日本の方は、現役を終えても会社に残れる終身雇用という非常にありがたい提示でしたが「僕も30歳だったら考えたと思います。でもそうしたらNPBもアメリカも、道はないので…」と辞退。26歳、5月で27歳になる今、どうしてもプロの夢は捨てられなかったのでしょう。

 ただし、その時点でまだNPBからの話がなく「自分としては海外で最後の挑戦をしたいと、それを伝えに徳島へ行ったんです。社長や皆さんに『あれ?僕、徳島からオファーないんですか』なんて冗談を言っていたけど、その時は独立リーグでの野球も考えていませんでしたね」と福永投手。

2月1日、今季のチームスローガンを発表する南社長。なおスローガンは毎年、四国大学書道文化部の皆さんがこのように作成されているそうです。ことしは『悠縁(ゆうえん)』というグループの作成でした。
2月1日、今季のチームスローガンを発表する南社長。なおスローガンは毎年、四国大学書道文化部の皆さんがこのように作成されているそうです。ことしは『悠縁(ゆうえん)』というグループの作成でした。

 周囲の人からも海外でやることを勧められていた中、オーストラリアでプレーした経験を持つ南啓介代表取締役社長に「海外はいいぞ!」と言われ、また同球団の荒井健司オーナーがメジャーのスカウトを知っているという嬉しい情報を得て、アメリカへ行く気満々でした。

 「12月までは出国できたんですよ。PCR検査で英語版の陰性証明書を出せば2週間の隔離もなく、即テストを受けてトレーニングして、いったん帰ってきて国際免許を取りにいこうと。それで年が明けたらすぐに向こうへ渡って…と、そこまで段取りができていたのに、コロナの影響で出国できなくなった」

「ユニホームを着続けてほしい」

 渡米が困難な中、日本国内でテストをすることになったはいいけど今度はマイナーチームが選手のカットを始めたと言います。そうなると、さらに可能性が減る?ましてや海外選手を受け入れる余裕はないかもしれないですね。

 「社長も僕のことを考えて、自分の足で動け、いろんなところに行って情報を取ってこいと言ってくれた。だから韓国の代理人に会いに東京へいったり、横浜では台湾でプレーしていた人に話を聞いたり、アメリカの代理人に電話をしたり、自分にできることは全部やりました」

 それでも新型コロナという壁に阻まれて、諦めざるを得なくなった海外挑戦の夢。「そんな時、荒井オーナーから『アメリカの状態を見ながら、インディゴで1年プレーするのもありだと思う』ってLINEが来たんです」

これはまだ練習用のシャツですけど、決意の背番号99が青い地に映えています。
これはまだ練習用のシャツですけど、決意の背番号99が青い地に映えています。

 南社長に伝えると「コロナの影響で(海外の)現地で見てもらうことはできないけど、徳島でプレーする姿をスカウトが見てくれるし、NPBへの道もある。NPBに戻れる可能性があるなら、そっちを目指した方がいい。徳島で次のステップのためにやってくれたらいい」と背中を押してくださったそうです。

 また海外の代理人の方々も「ユニホームを着続けてほしい」と励ましてくれたとか。いい言葉ですよねえ。ユニホームを着て投げ続ける福永投手がいる限り、その可能性は消えません。「NPBが無理なら海外と思って動いたけど、可能性がある今は海外のことは考えていない。NPB復帰のために頑張ります!全力でNPBを目指します!」と宣言。

優しいお兄ちゃん!“ラオウ選手”

 ここで唐突ですが、福永投手とラオウさんの話をご紹介します。2月1日に会った時、「背番号99になったと言ったら、ラオウさんが『マジか~!』って、めっちゃ喜んでくれた」と楽しそうに教えてくれたのです。ラオウさん?ラオウさんって、もしかして?「はい、杉本さんですよ」。やはり。でもオリックス・杉本裕太郎選手(29)とどんな関係なんでしょう?

 福永投手は昨年11月、翌月に行われる合同トライアウトに向けて広島でトレーニングをしました。ジムとブルペンもあり、トレーニングにおいてもすごく勉強になった、いい時間だったと言います。そしてトライアウト後に「もっと勉強したいと思ったんです。チームも決まっていないし、今後どうするかもわからないまま、クリスマスから年末まで1人でまた広島へ行った」と。

2月1日の合同自主トレで、グラウンドにいたら「お久しぶりです!」と声をかけてくれました。
2月1日の合同自主トレで、グラウンドにいたら「お久しぶりです!」と声をかけてくれました。

 年末年始は地元の大阪でトレーニングし、さらに年明けから今度は杉本選手ら何人かが自主トレしているところに合流しました。もちろん同じ広島のジムです。「アメリカでテストを受けるか、もしくは日本国内でのテストになるかわからないけど、その準備のために。結局はいずれにしてもテストすら受けられなくなったけど、ギリギリまでいました」

 ウエスタンの試合で顔を合わせ、ホームランバッターの杉本選手とは対戦するのが楽しみだったという福永投手。杉本選手は徳島の出身なんですよね。その自主トレの打ち上げくらい(1月下旬)に徳島から連絡があり「徳島へ行くかもしれません」と言ったら「徳島市内と阿南なら任せとけ!」と言ってくれたそうです。

背番号もグラブもおそろい?

 そして先ほど書いた背番号の件。「99に決まりました。一緒ですね」と連絡したら「マジか~!」と大喜び。さらに「グラブもまったく同じのを作っています。メーカーは違うけど色使いも一緒」と福永投手も嬉しそうですねえ。「ユニホームが届いたら写真を送る」と張り切っていました。もちろんグラブも持って撮るんでしょう?「インスタに載せますって言ったら、ラオウさんが俺も載せるわ!と言ってくれて。“徳島”で一気に距離が縮まりましたね」

 なにこれ、相思相愛ですか?(笑)。また福永投手が「独立リーガーなんで、ユニホームとかいろいろお願いします」と言ったら、杉本選手は「また送るけん。事務所を教えてや~」と快諾。「本当にお兄ちゃんみたいな人です」とニコニコでした。

 そうそう、お兄ちゃんと言えば!阪神・藤谷洸介選手の弟である藤谷勇介投手(21)が、三菱自動車岡崎から徳島に入団したんですよね。同じルーキーたちと一緒に走ったり、トンボかけしたりしていて、笑うとお兄さんそっくり。背番号は25で「候補の中に38もあって、小幡にしようかと思ったんですけど(笑)。125の25にしました」とのこと。江越選手ではなく?「はい(笑)」。そこは一応、確認してみただけですので。

徳島のルーキー・藤谷勇介選手。笑った顔がお兄さん(阪神・藤谷洸介選手)とおんなじです!
徳島のルーキー・藤谷勇介選手。笑った顔がお兄さん(阪神・藤谷洸介選手)とおんなじです!

 兄・藤谷洸介選手から「弟は自分から言えないタイプなんで、面倒見てやって~」と連絡があったと福永投手が教えてくれました。ちなみに「面倒を見てやってください。よろしくお願いします」ではなかったようで(笑)。25日の試合ではチャートつけをしていた勇介投手の投げるところも、早く見てみたいものです。

一番の恩返しはNPBに戻ること

 1月末の入団で、福永投手は「既に新シーズンの選手契約が終わっている中、最後に入れてもらったわけですから、球団に恩返しをしないといけない」と言っていました。帽子や球場ゲートに飾るタペストリーなどのスポンサーを募るため、初めて使うタブレットを駆使して作った資料と、生まれて初めての名刺を手に営業活動も。

 また、2月初めに「新しいことを始めますよ」と話していたので、その件を25日の試合後に聞きました。すると「地域貢献の1つです。今、小中学生に教えているんですよ。きょうで4回目か5回目」とのことでした。きっかけは?「僕がトレーニング道具を買った会社があって、そのつながりです。地域貢献をしたいので、野球やトレーニングを教えてほしいという人がいれば自分の空いている時間で教えます、と」

合同自主トレ初日の全員ランニング。最年長の福永投手は寒いのか、グレーの上着を着ています。
合同自主トレ初日の全員ランニング。最年長の福永投手は寒いのか、グレーの上着を着ています。

 「そうすれば、トレーニングや勉強しているものを、人に伝えることによって自分に深く落とし込めるし、わからないことは自分でまた勉強して身につける。小中学生相手でもそうです。しかも大人のような動きはすぐにできないので、余計に自分が考えないといけない。もっと簡単にパッと動かせるにはどうしたらいいかと考えることで、自分もさらに頭を使っています」

 いつやっているんですか?「練習後のトレーニングが終わる6時か7時くらいから。今はまだ少人数ですけど」。地域貢献の一環ゆえ、自身は無償です。ただし「ジムの使用料がかかるので(教わる側には)その分だけは、すみませんけど…と言って」負担してもらう形だそうです。それが授業料の代わりみたいなものですね。

いつかは自分に還ってくる地域貢献

 「球団の理念に沿ったことだと思ったので始めました。それと、今までやってきたことや自主トレで勉強してきたことを、自分だけで処理するんじゃなく、人に伝えて自分自身により深く落とし込みたかった。今まではそんなことできなかったじゃないですか。周りにいるのは言ったらすぐできるメンバーとか、しかも別にわざわざ自分が言う必要すらない人たちだった」

 なるほど。でも学んだことや経験は自分自身の財産だから、それを人に教えるのはもったいないと思ってしまう私は小さい人間ですかね。福永投手は「せっかく知識を得てきたのに、多少なりとも経験をしたのに、だからもっと深く落とし込めるようにと思いました。いつかそれが、しっかり自分に還ってきたらいいので。お互いにプラスでしょ?」と言います。

初の対外試合を終え、記者に囲まれる福永投手。いい眼をしています!
初の対外試合を終え、記者に囲まれる福永投手。いい眼をしています!

 “情けは人のためならず”とは少し違うかもしれないけど、伝えることが自分のためになり、やがて自分に還ってくるという考え。私も勉強させていただきました。また「徳島は慣れているので。すごくやりやすいです。だからすぐジムも見つかって自分の道具を入れたり。人のつながりはありがたい」と笑顔になった福永投手。NPBは自分のため、インディゴソックス球団のため、そして徳島のために、どうしても帰りたい場所なのでしょう。

 最後に「死ぬ気で頑張りますよ!半年なので」と力を込めました。

 来年ではありません。福永投手が見据えているのは、ことし7月末までの新規選手契約可能期間です。

 ※4年前、阪神のルーキーだった福永投手が安芸キャンプで実戦登板した際の記事です。毎年、春季キャンプでは早くからガンガン投げていましたね。→ <阪神・安芸キャンプ初の練習試合 福永が無失点デビュー、大和は左で初安打、伊藤隼チーム1号!>

   <掲載写真は筆者撮影>

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

岡本育子の最近の記事