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ある騎手が、調教助手や先輩騎手、そして師匠らに助けられて掴んだ菊の大輪の逸話

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
09年の菊花賞(GⅠ)を制したスリーロールスと浜中俊騎手

GⅠ未勝利騎手と同期の助手の逸話

 「チャンスがあれば是非、もう1度、乗らせてください」

 初めてこの馬に騎乗した後、そう語ったのは当時まだ20歳だった浜中俊。“この馬”とはスリーロールス(栗東・武宏平厩舎)で、初めて騎乗したのは2009年の毎日杯(GⅢ)。結果は8着に敗れたが、その走りは若き日の浜中の感性に訴えるものがあった。

 「僕自身まだGⅠを勝った事がなかったので、GⅠ馬の背中とか、感触とかが分かるわけではありませんでした。でも、良いモノは感じたので、そうお願いしました」

スリーロールスと浜中俊騎手
スリーロールスと浜中俊騎手

 更に当時を述懐する。

 「スリーロールスを担当していた調教助手が、現在は調教師になった杉山晴紀先生でした。杉山先生とは競馬学校でも同期で、作業も同じ厩舎でやった仲。また、自分の所属していた坂口正大厩舎と(杉山調教助手の)武宏平厩舎がすぐ近くだった事もあり、トレセンに入ってからも懇意にさせてもらっていました」

 だからスリーロールスに初めて乗った後も、事あるごとに同馬について語り合った。結果、その後の自己条件でも乗せてもらうと、2、1着。昇級後の野分特別(1000万条件)でも手綱を取ると、ここも見事に勝利してみせた。

 「杉山先生から『春当時より成長している』と伺いましたが、実際、最終追い切りに乗った時に、トモが大きくなって良い走りになっていると感じました」

 だから、好勝負になると思った。

杉山晴紀現調教師
杉山晴紀現調教師

ある先輩騎手の核心をついたアドバイス

 しかし、実は、当時の浜中は自分自身に問題を抱えていた。

 「夏の小倉で、狭いところへ突っ込んで行き、自爆する形で落馬してしまいました」

 この頃はまだ若く、粗削りな騎乗も多かった。「周囲の先輩騎手達が上手に回避してくれていたため、大きな事故にはつながらずに済んでいた」(浜中)が、そんな幸運はいつまでも続かなかった。そうして起きた事故に、誰より心を痛めたのは浜中自身だった。

 「これ以上、迷惑をかけられないという気持ちで、馬群に入る事に恐怖心を覚えるようになってしまいました」

 そんな浜中の様子に気付いた男がいた。

 「『落馬の影響で消極的になっているな』と、核心をつかれました」

 そう言ってきたのは岩田康誠だった。

 「野分特別の際も『怖くてもジッと我慢していればいずれ前は開くから……』と言われました。それでその通りに乗ったら勝てました」

 レース後、岩田に「それや!!」と言われ、自信を取り戻した。

浜中に核心をついたアドバイスを送った岩田康誠騎手。写真は10月15日に府中牝馬Sを制したイズジョーノキセキとのパドック
浜中に核心をついたアドバイスを送った岩田康誠騎手。写真は10月15日に府中牝馬Sを制したイズジョーノキセキとのパドック

菊花賞当日の師匠からのゲキ

 こうして迎えた菊花賞当日、1つの事件を起こした。

 「その日は朝、栗東トレセンで自厩舎である坂口正大厩舎の馬の調教をつけてから、競馬場へ移動してレースという予定でした。でも、朝、出遅れてしまいました」

 この“出遅れ”というのは競馬村のスラングで、要は寝坊して調教に間に合わなかったという意味だ。

 「坂口先生には『君は騎手に向いていないから他の職業を探しなさい』と言われました」

 温厚で知られる師匠の厳しい言葉に目が覚めると同時に、改めて認めてもらえるよう、競馬でしっかりと結果を残すしかないと心に誓った。

浜中の師匠である坂口正大元調教師
浜中の師匠である坂口正大元調教師

皆で掴んだ初めてのGⅠ

 そんな気持ちで臨んだ三冠最後の一冠を前に杉山に言われた。

 「状態は今までで1番良いくらい良いです」

 レースでは「全く掛かる事なく、見事に折り合い、さすが菊花賞馬(ダンスインザダーク)の子供だと感じた」(浜中)。これなら勝ちに行く競馬が出来るかと、3コーナー過ぎには馬群の外へ出して進出しようと考えた。しかし、そんな心中を見透かすように、浜中の耳に飛び込んだ声があった。

 『まだ我慢しろ!!』

 声の主は、ライバル馬であるアンライバルドに騎乗する岩田だった。

 「言われた通り我慢して、直線に向いてから追いました。僕が甘くてフラフラとヨレてしまい、最後は接戦になりました」

 結果、フォゲッタブルの猛追をハナ差だけしのぎ、浜中とスリーロールスは初のGⅠ制覇を成し遂げてみせた。

 「着差が着差だけに、4コーナーで我慢出来ずに外へ行っていれば負けていたと思います」

 岩田に感謝しつつ、引き上げて来ると、満面の笑みで迎えてくれる男がいた。

 杉山だった。

 「2人とも初めてのGⅠ制覇でした。互いに『良かった、良かった』と喜びを分かち合いました」

09年、菊花賞直後のスリーロールスと浜中、そして曳いているのが杉山(当時、調教助手)
09年、菊花賞直後のスリーロールスと浜中、そして曳いているのが杉山(当時、調教助手)

 また、レース後、1人の男に電話を入れると……。

 「『自分も調教師としての初GⅠ勝ちが菊花賞(マヤノトップガン)だった。スグルも良かったなぁ~』と言って、僕以上に喜んでくれました」

 坂口だった。

 「朝は厳しく叱られたけど、誰よりも喜んでくれたんです」

 ちなみにスリーロールスは続く有馬記念(GⅠ)のレース中に故障で競走を中止。検査の結果、左前浅屈腱不全断裂により競走能力喪失と診断され、引退を余儀なくされ、浜中も杉山もガックリと肩を落としたが、これはまた別のお話。機会があれば紹介しよう。

ラストランとなった09年有馬記念でのスリーロールスと浜中
ラストランとなった09年有馬記念でのスリーロールスと浜中

 さて、現在は調教師となった杉山は、今週末の23日に行われる菊花賞(GⅠ)に、ガイアフォースとジャスティンパレスの2頭を送り込む。

プレップレースの1つ、セントライト記念を制したガイアフォース。左から2人目が杉山
プレップレースの1つ、セントライト記念を制したガイアフォース。左から2人目が杉山

 共にプレップレースを勝った有力馬に対し、浜中が語る。

 「共にチャンスは充分でしょうね。でも、僕の馬も出走出来れば、なんとか負かせるように頑張ります」

 浜中が騎乗予定なのはシホノスペランツァ。獲得賞金的に抽せん次第で出られるか否かという立場だ。ちなみに同馬を管理する調教師の寺島良は杉山と同期で2016年に調教師試験に合格している。浜中は言う。

 「それだけでなく、寺島先生も競馬学校でも同期なんです」

 スリーロールスから干支はひと回り以上して13年が過ぎたが、今年もドラマチックな長距離戦が見られる事を期待しよう。

09年菊花賞、表彰式での浜中と杉山(当時調教助手)
09年菊花賞、表彰式での浜中と杉山(当時調教助手)

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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