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プーチンと黒い傘。ワールドカップは誰のものか?

小宮良之スポーツライター・小説家
ワールドカップを制し、恍惚のフランス代表選手たち(写真:長田洋平/アフロスポーツ)

プーチンと黒い傘

 7月15日、ルジニキスタジアム。

「今は撮影しないでください!」

 ロシアW杯決勝の表彰式を携帯のカメラに収めようとした記者たちを、ボランティアスタッフたちが必死になって制していた。試合中は別にして、選手整列や終わった瞬間、あるいはハーフタイムには記念にセルフィをするような記者は多いし、その行為は許されている。しかし突然、禁止になった。

 違いは明らかだ。

 表彰式の壇上に、ロシアの大統領であるウラジミール・プーチンが上がったからだろう。

「携帯電話から光線でも出ると思ってんのかよ」

 そんな感じで毒づく各国記者たちの不満が伝わる。雨が降り出したとき、プーチンだけはお付きの人に黒い傘を差し出されていた。誰もが濡れ鼠になる中、一種異様な光景だった。

スタンドから見たセレモニー
スタンドから見たセレモニー

 権力の正体が垣間見えたが、それは現場でも同じだったようだ。

 ピッチでは、優勝したフランスの選手のトロフィーセレモニーが準備されていた。大会のフィナーレを飾るシーン。カップを天高く掲げ、紙吹雪が舞い、花火が上がることになっていた。

 カメラマンたちは、その決定的瞬間をファインダーに収めようと、脇でじっと待っていた。折からの豪雨でずぶ濡れ。無論、そんな状況に構っていられない。

 ところが、いざセレモニーが始まった瞬間だった。壇上のVIP関係者たちがぞろぞろとカメラマンの前を横切る。雨の中からの退避だったのだろうが、最悪のタイミングだった。ガッツポーズをして視界を遮っている人間までいる。

「なんなんだよ。台無しだ!」

 カメラマンたちは怒りの矛先をどこにぶつけていいのか、わからない。

 権力者など、そういうものなのだろう。力を持った人間は、しばしば傲岸さで配慮を失う。すべてをぶち壊すことがある。

 サッカーが世界的スポーツである限り、政治的な仕組みとは無関係ではいられない。しかし、政治が干渉していいことなどないだろう。サッカーは、選手と、それを楽しむ者たちのものだ。

アルゼンチン人サポーター
アルゼンチン人サポーター

「日本のメディアはロシアのことをよく書きすぎている」

 大会終盤、現地でそういう話を聞くようになった。

 思った以上に、ロシア人は教養が高く、礼儀正しい。しかも親切で、古き良き日の日本のようにも見えた。そのせいで、ロシア人を賛美する記事が多く出ていたのだ。

 よく書きすぎている、というのは一理あるのだろう。

「政治的な問題は根深く、国内の問題が隠されているだけ。W杯を機会に糺すべきだ!」

 そう主張する声も聞いた。

 決勝戦、試合途中に「政治犯の釈放」を訴える反体制活動家たち(女性を中心にしたパンクロックグループ、プッシー・ライオット)がピッチに乱入。選手に抱きつくような行為をし、ゲームを邪魔している。この機会に、ロシアの現実を知らしめたい、というところだろう。

 それは複雑な事情を象徴する行為だったとも言える。

 しかしスポーツと政治を混同させ、支持など得られるはずはない。

 現場で試合を見つめながら、クロアチアが巻き返せるとしたら、その瞬間だけだった。フランスを押しやる迫力ある攻撃を見せ、もう一息で堅陣を崩し、その先になにかが見える、というところまで来ていた。だが、この乱入行為で勢いは急速に萎んでしまった。

 サッカーは心理的にデリケートなスポーツである。フランスの選手はこれで落ち着きを取り戻した。クロアチアの選手は流れを失ってしまった。

 サッカーという純粋なゲームを、彼女たちは台無しにした。

 それは、権力者たちの傲慢と何ら変わりはない。

プーチンは友達か?

 独裁体制に対し、市民は嫌気がさしているようだった。いまの政権を変えるような人物は、すでに力をもがれているという。

「プーチン、お前らの友達じゃないよな?」

 恐る恐る聞いてくる若者がいたが、「友達ではない」と返すと、その後は悪口雑言を極めた。

 それがロシアという国の現実だ。

 ロシアが政治的問題を抱えているのは、一つの事実だろう。2014年のクリミア半島併合など、国際的に許されるはずもない。さらに、反対派を根絶やしにするような行為も行われ、それが政権をさらに閉鎖的で極端な方向に傾かせている。

 プーチンが世界的イベントを、政治的に利用したのは、ほとんど間違いない。

「ボランティアがやたらに笑顔なのも、プーチンの差し金」

 そんな話も聞いた。モスクワ中心部、外国人が見かけるような建物は、塗り替えて真新しくし、体裁を整えている。イメージ戦略なのだろう。

 しかしそうだとしても、政治とスポーツを一緒くたに語るべきではない。

 ロシアの政治問題は、これ以上、行動をエスカレートさせないために、各国が外交で封じ込めるべきだろう。プーチンが世界に害を及ぼす悪人なら、彼を許すべきではない。もし政治がスポーツの世界に踏み込んでいるのだとすれば、そういう勢力は排除すべきだし、何としても阻止するべきだ。

 大事に至らない前に、何かをすべきなのが政治活動ではないだろうか? 

決勝後、サポーターを見送るボランティアたち
決勝後、サポーターを見送るボランティアたち

 ロシア人、特に地方で会ったロシア人が穏やかで優しく、”来てくれた人をもてなしたい”という気持ちは真実だった。それは正当に賛美すべきだろう。やり過ぎなボランティアもいて、あるいはイメージ戦略の手先だったのかも知れない。しかし、たとえ出発点がそうだったとしても、現場で嫌味を感じる機会は少なかった。ボランティア自身も、W杯の熱に浮かされるように楽しんでいた。

 ロシアW杯は、そういう大会だった。

 取材の最終日、お土産にW杯の記念マスコットのフィギュアを購入したときだった。恰幅のいい年女性店員は、「こんな遠くまでよく来てくれたわね。モスクワに来た記念よ」とクレムリンと聖堂の写真が貼られたマグネットをプレゼントしてくれた。値札は100ルーブル。日本円にすれば200円弱で、売れ残ってしまったものかもしれない。

 しかし、そこに悪意など欠片もなかった。

 約1ヶ月間、ロシアW杯は世界中でトップニュースになり続けている。日本でも、西野ジャパンの躍進が、未曾有の注目を浴びたという。そのお祭りは終わった。

 残ったのは、日本人であることの誇らしさと出会ったロシア人への敬愛の念である。

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(本文中はすべて筆者撮影)

スポーツライター・小説家

1972年、横浜生まれ。大学卒業後にスペインのバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。競技者と心を通わすインタビューに定評がある。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)『アンチ・ドロップアウト』(集英社)。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。他にTBS『情熱大陸』テレビ東京『フットブレイン』TOKYO FM『Athelete Beat』『クロノス』NHK『スポーツ大陸』『サンデースポーツ』で特集企画、出演。「JFA100周年感謝表彰」を受賞。

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