「テレビでもネットでも」が普通になった英テレビ界 ー公共のための放送という概念、根強く
(TBSメディア総合研究所が発行する「調査情報」1月号の筆者原稿に補足しました。)
日本でも、公共放送NHKばかりか大手民放による見逃し番組視聴サービスが近頃、本格化の兆しを見せている。
英国では、2007年末頃から各局が競うようにオンデマンド・サービスに乗り出した。主要放送局のこうしたサービスはほとんどが無料で提供されており、ネットを使える状態にある人に広く開かれた視聴方法の1つとなっている。
本稿では、英国放送協会(BBC)が提供するオンデマンド・サービス「BBC iPlayer(アイプレイヤー)」を中心に、テレビコンテンツのネット視聴の現状を紹介した後、昨年の英テレビ界のいくつかの動きに注目したい。
「公共のための放送」という強い概念
改めて、英国の放送業界の仕組みを若干説明しよう。回り道のようだが、オンデマンド・サービスの普及に深く関係してくるからだ。
1920年代前半創業のBBCが英国の最初の放送局であったことは良く知られているが、このとき、BBCを公共放送としたことが後々まで英国の放送業に影響を及ぼした。「放送=公益のため」という大前提ができたのである。現在は4大主要放送局(BBCのほかには民放ITV,チャンネル4、チャンネル5)がすべて「Public Service Broadcasting (PSB=公共サービス放送)」の枠に入る。
視聴者が選択しやすいチャンネルの番号(例えばITVは「3」、チャンネル4は「4」、チャンネル5は「5」)を利用できる代わりに、番組ジャンルの規定、ニュース報道での不偏性、外部制作の比率など、さまざまな規制をかけられている。広告収入で運営されている、いわゆる商業放送であってもPSBの1つになるのが英国の放送業の特色だろう。
「規制」の監督組織は通称「オフコム」(Office of Communications、情報通信庁)である。ネット時代の新たな通信法によって成立したオフコムが規制・監督の対象とするのは通信インフラ、ネット、放送、郵便だ。放送局もBTなどの回線業者も、ネット企業もすべて同じ傘の中に入る。「放送と通信の融合」を如実に示すのがこのオフコム体制だ。
ネットに近付いていった放送業
放送業がネット上にもいわば「店を出す」動きを最も明確に実行したのがBBCだろう。
新聞界が自社のウェブサイトを作り出すのが1990年代の半ばだが、BBCはこの頃、インターネットへの進出を局の方針として掲げるようになった。具体的には、1990年代末からニュースサイトの設置・拡充に取り組んだ。分かりやすい英語で書かれ、動画がついたBBCのニュースサイトは世界中からアクセスされ、英国の大手紙のウェブサイトをニュースの掲載スピードや量、質の面でしのぐレベルに成長してゆく。
2004年、BBCの経営陣トップに就任したマーク・トンプソン会長が進めたのが、視聴者一人ひとりが好きなときに好きな番組を視聴できる「アイプレイヤー」オンデマンド・サービスの開始だった。
当時、将来、テレビはどうなるのか、ネットに食われてしまうのかなど、テレビの未来について様々な議論が発生していた。インターネット時代、視聴者は情報にいつでもアクセスできる。「いつでも、どこでも、好きなときに」-ネットの特色を織り込んだ、新たなテレビ視聴の方法としてオンデマンド・サービスが捉えられた。
2005年、動画投稿サイト「ユーチューブ」が登場した。各局はユーチューブやネット専業動画サービスの存在を意識せざるを得なくなった。
プロトタイプのアイプレイヤーが試験的に出たのが2005年秋である。その後、改良を重ねているうちに、2006年末、チャンネル4が「フォー・オンデマンド」サービスを開始。BBCは遅れて2007年12月のクリスマスシーズンにアイプレイヤーを本格展開した。これを機に、英国のテレビ局のオンデマンド・サービスが一気に広がった。
前後して、ITVも何度か改良を加えながら同様の「ITVプレイヤー」を、チャンネル5も見逃し視聴サービス「デマンド・ファイブ」を開始した。主要テレビ局のオンデマンド・サービスが出揃った。日本で言うと、東京の主要キー局全てがオンデマンドを提供している状態である。
この数局のほかに、「ペイテレビ(有料契約のテレビ)としてほぼ市場を独占しているのが衛星放送のBスカイBがオンデマンド・サービス「スカイ・ゴー」を提供する。主要テレビ局のサービスは無料だが、スカイの場合はBスカイBとの契約が必要となる。
オンデマンドの中身とは
当初、テレビ局が提供したのは見逃し番組の再視聴サービスで、これは過去一週間に放送した番組(すべてではないが主要な番組はほぼカバーされている)を次週まで繰り返し視聴できるものだった。
しかし、現在までに視聴期間が延長され、どの主要局も過去30日以内(利用プラットフォームによって7日間の場合もある)に放送された番組の再視聴サービスを提供している。オフラインでも視聴できるよう、番組をダウンロードできるようにしている局もあるほか、BBCの場合はラジオも含み、番組によっては半永久的に再視聴できるようになっている。
プラットフォームやテレビの種類によって利用手順が若干変わるのだが、ここでは筆者が加入しているケーブル・サービス「バージン・メディア」でのBBCアイプレイヤーの利用を紹介してみる。
テレビをつけると、番組を映し出す画面の右上に赤い丸印(「レッドボタン」)が出る。リモコン上の赤いボタンを押すと、BBCアイプレイヤー・サービスの画面に変わる。ドラマ、コメディー、事実(ファクチュアル)、スポーツ、ニュースなどのジャンルを選択できるようになっている。どれかを選択し、見たい番組を選ぶ。リモコンで番組を指定すると、数秒後に動画が開始される。ジャンル別のほかに番組のタイトルでも選べるようになっている。
さらに、バージン・メディアの場合は「ホーム」と題されたチャンネルをリモコンで選ぶと、過去1週間の主要チャンネルの番組が曜日別に並ぶ(既に放送が済んだ当日分も含む)ので、見たい番組を探して選択する。
BBCで対象となる番組は4つのチャンネル(BBC1、2、3、4)用に制作されたもので、ITVも複数のチャンネル(1、2、3、4など),チャンネル4も同様だ。
デスクトップPCで利用する場合は、BBCアイプレイヤーのサイトに行って、番組を選ぶ。スマートフォンやタブレットの場合はアプリをインストールした後に、ウェブサイトやテレビで番組を選択したように選び取る。一部のゲーム機器でも視聴できる。PCや携帯機器の場合、「お気に入り」を登録もできる。
オンデマンド・サービスの対象は、かつては既に放送した番組のみであったが、現在までに放送と同時に、PCやモバイル機器の画面からリアルタイムでも数々の番組を視聴できるようになっている。つまり、テレビは通常リアルタイムでの番組放送となるが、これがPCやモバイル機器でも同様にリアルタイム視聴できるようになった。
テレビで通常リアルタイムで放送される番組は、同時にほかのデバイスでも見られるし、後からでも見られる、かつ、オフラインでもダウンロードした場合に視聴できる状況になっている。
そして、ネットの接続料やモバイル機器の購買代金などがかかるといえばかかるけれども、一旦ネットがある環境にいれば、主要テレビ局の番組のもろもろのオンデマンド放送は原則、無料で見られる(有料契約者用のスカイテレビは、ネット専業のナウ・テレビと提携し、番組を販売する形で非契約者にもオンデマンドサービスを提供している)。
さらに、ITV、チャンネル4、チャンネル5にはリアルタイムでの放送から1時間後、あるいは2時間後に同じ番組を再放送するための特別なチャンネル(タイムシフト・チャンネル)も存在し、例えば帰宅時間が遅くなった場合でも少し待てば、好きな番組を最初から視聴できる環境がある。
視聴者側からすれば、「いつでもどこでも、見たいときに見たい番組を視聴」できるーしかも、原則無料という世界が出現している。
このような状況が実現した背景として、国内最大手BBCの影響力は大きい。
視聴家庭から徴収するテレビ・ライセンス料で国内の活動の原資を作っているBBCからすれば、一旦放送したものを再度放送することで追加の料金を取ることは正当化できない。民放だが視聴者の奪い合いという点ではライバルとなるITVやその他の局も、PSBのグループの中のBBCが無料でオンデマンドを提供しているならば、無料にせざるを得ない。
視聴者の目の玉がネットに移動し、これに伴って広告主もネットに移動しているなら、テレビ局側もネットの世界で勝負するしかないという認識が英テレビ界で広く認識されている。BBCがスマホやタブレットでサービスを展開するなら、他局もこれに続くしかないのである。
英国でテレビ界によるオンデマンド・サービスが活発になったほかの重要な要因として、ネット動画サービスの人気が挙げられるだろう。
アマチュア動画の投稿サイトとして始まったユーチューブにテレビ局が作った動画も並ぶ。動画コンテンツの提供者として、テレビ局はユーチューブの一般投稿者たちと並列に並ぶ。そういう時代になってきたし、英国のテレビ局はこれを強く自覚している。
英国でのテレビとネットの相関関係を語るとき、もう1つ大きな流れが近年出てきた。それは、毎月定額のサブスクリプション(購読料)を徴収するサービスだ。米国発の有料動画サイト「ネットフリックス」がその代表例となる。
かつて「ネットは無料」という感覚が支配的であったが、「有料化も可能」であることを具体的に示した例が音楽配信サービスの「スポティファイ」だろう。
ネットフリックスの場合は月に約5ポンドを支払うことで、提供されている動画ドラマを際限なく視聴できる。英国での大々的なサービスの開始には、もともと英国製の政治ドラマだった「ハウス・オブ・カーズ」を投入。米俳優ケビン・スペイシーが主役で演じ、加入すれば10時間を越えるドラマを一度に連続して見ることができるという触れ込みで、大きな話題となった。9月からはバージン・メディアのプレミアムサービスの中に組み込まれ、利用者を増やした。
米アマゾンは動画レンタルサービスの「ラブフィルム・インスタント」を買収し、「アマゾン・プライム・インスタント・ビデオ」として提供している。
注目に値するのが、BBCが制作・放映したドラマ「リッパー・ストリート」の続編の制作資金を出したことだ。これはシリーズ2回目までをBBCが担当していたが、3回目の制作は中止していた。それをアマゾンが拾いあげ、アマゾン・プライム・インスタント・ビデオ用の配信作品として制作されることになったのである。英国のテレビのオリジナルの番組がオンライン動画専用のプラットフォーム用に制作された初のケースである。
動画アプリをテレビの画面で楽しめるグーグルのクロームキャストサービス(7センチほどの専用端子をテレビに差し込む)も始まっている。
ネットが先に?
BBCのアイプレイヤーの本格投入から7年が過ぎた。
オンデマンドサービスはますます拡充し、リアルタイムでの放送を同時にネットでストリーム放送するところまで来た。無料が主であった英国のオンデマンド・サービスの隣にはスカイテレビのスカイ・ゴーやネットフリックスなどの有料サービス制が並ぶ。
テレビ界がネットに近付く過程で「ネットでも番組を見ることができるようにする」という段階には達したわけだが、一歩進めて「ネットは主でテレビは次」に向かう動きも出てきている。
先取りの動きとしては、10月にはチャンネル4が、11月にはBBCが特定のドラマを先にオンデマンドのプラットフォームで流し、1週間後などにテレビで放送する仕組みを開始した。また、昨年6月には若者向けチャンネル「BBC3」を閉鎖し、BBC3用に制作した番組を今後はアイプレイヤーのみで放送すると発表した。BBC3の番組のファンが大反対し、国民的議論が発生した。
今のところ、テレビでのリアルタイムでの番組視聴が最も人気が高い視聴方法だが、もしネット視聴の比率がテレビ視聴と半々ぐらいまでに伸びれば、ネット視聴のみの番組制作・配信が主になる場合もあるだろう。
かつて、トンプソンBBC元会長(現在は米ニューヨーク・タイムズの最高経営責任者)は「将来、テレビ番組はテレビ受像機では見ないようになるかもしれない」と言ったことがある。テレビ受像機そのものの形も今後変わっていく可能性もあり(1枚の紙のようになる、タブレット状になる、壁にかかった鏡のようになるなど、いろいろ聞いたことがある)、「テレビ視聴」と「ネット視聴」とを分けない未来は近そうだ。
貧しい家庭を描いたドラマ、議論を呼ぶ
最後に、2014年、英テレビ界で目に付いたニュースについて触れておきたい。
1月から2月にかけて放送された、チャンネル4のドキュメンタリー「ベネフィット・ストリート」(「給付金通り」の意味)は国民的な議論を巻き起こし、日本でも論争が紹介された。
5回にわたる番組は、イングランド地方中部バーミンガム市のある通りに住む人々の生活を描いた。この通りの住民は「90%以上が政府から生活保護費用を受けている人」(英ガーディアン紙ほか)と言われる。生活保護の給付金をもらいながら、犯罪を犯す人や勤労意欲の低い人などの生活の様子を記録した。放送後、警察、チャンネル4、オフコムが数百もの苦情を受け、番組に登場した人たちに対し、ツイッターで殺害予告をする人もいた。「貧困ポルノ」(貧困の状態を見せることで性的快感を感じさせる)という批判も出た。
以前から生活保護費用を悪用している人がいるという疑念が一部の国民の間で存在し、見方によってはこの番組はそんな疑念を裏付ける面があった。一方、実際にこのような貧困に苦しむ人の声が主要チャンネルで出ることは少なく、「別の視点を出す」ことを局の存在理由とするチャンネル4の野心作となった。
同チャンネルはニュースでも物議をかもした。夕方のニュース番組「チャンネル4ニュース」のメインの司会者ジョン・スノーが7月末、イスラエルによる空爆の被害がおびただしい中東パレスチナ自治区ガザ地区で取材した。その後、「ガザの子供たち」という約3分半の動画を作り、チャンネル4の公式サイトと同局のユーチューブ・チャンネルで流した。平日午後7時から1時間の番組内では放送されなかった。
スノーは、現場で目撃した子供たちの惨状について、個人の思いせつせつと述べた。動画は数十万回以上、視聴されたが、次第に、番組内で放送されるべきだったという声が大きくなった。「優秀なジャーナリストたちが現場に出かけ、見たことについての自分たちなりの判定を放送できない」のはおかしいというという見かたである(ガーディアン記事、7月29日付)。ネットではさまざまな表現、主張があふれている。テレビのニュースでも強い意見が表明されてもよいのではないか、と。
オフコムは放送ニュースには「正確さ」が担保されていること、「偏向していないこと」と定めているが、ネット上の動画にはこの縛りがない。
チャンネル4ニュースを制作する英ITNニュース社の経営陣は「テレビでは放送できなかった。放送ニュースを感傷的な表現が許されるものにしたくない」(9月9日のテレビ会議にて)と語っている。動画はテレビ用に制作されておらず、スノーが番組のウェブサイト上に書くブログの動画版という扱いだったという。
テレビで放送されるニュースのガイドラインとは別のガイドラインがネット動画に適用されていることが分かる。前者は公的なサービス、後者は独自の意見を述べてもよい、ということだろうか。今後、ネット配信が主になった場合、ガイドラインも変わってくるだろうか。
8月にはオフコムによる通信市場リポートが出た。毎年、オフコムは「テレビ・オーディオビジュアル」、「ラジオ・オーディオ」、「インターネットとウェブを使ったコンテンツ」、「通信とネットワーク」、「郵便業」についての調査結果を報告している。
これによると、2013年、通信業界(約600億ポンド)の中で最も大きな収入増加率を見せたのはテレビ界(約129億ポンド、3.4%増)であった。テレビ界の収入増加の理由はサブスクリプションとネット広告の収入の増加による。テレビ業界の全収入の中でサブスクリプションは46%を占めている。
成人が1日に視聴するテレビ視聴の時間のうち、2時間59分(全体の69%)はライブ視聴だった。録画した番組の視聴は40分(16%)、オンデマンド視聴は19分(8%)であった。一方、過去12ヶ月間にオンデマンドを利用した人は全体の50%に上った。
英テレビの未来にも影響を及ぼす、BBCの動向についても記しておきたい。テレビなのかネットなのか、その境目が限りなく不透明になりつつある現在、日本のNHKの受信料のようなBBCのテレビライセンス料体制が今後維持されべきかについて、大きな議論が起きている。視聴家庭から徴収される形のライセンス料ではなくて、BBCの番組を見たい人がサブスクリプションを払って見るべきだという根強い声がある。政府は今のところ、「今年5月の総選挙後までは変更はない」としているがー。
昨年本格的に始まったのが新たな地方テレビ局の開局だ。2008-9年の金融ショックで広告収入が激減した地方局は経営難に陥った。打開策の一つとしてテレビ局開局の規則を変え、新しい資本を入れる試みがスタートした。
昨年11月末までに開局の運びとなったのは12ある。まだその評価は定まっていないが、大手紙数紙を持つイブニング・スタンダード社の持ち主が出資したロンドンの地元局「ロンドン・ライブ」が苦戦している。監督庁のオフコムに対し、開局条件に定められていた地元コンテンツの割合を減少させて欲しいと懇願した。10月、その願いは聞き入れられたが、十分な視聴者がいないことに苦しんでいる。ロンドン・ライブの番組はネットでも同時配信されているが、常時コンテンツを作り、一定の視聴者を集めることの難しさが露呈した一件となった。
11月に発表されたオフコムの子供の視聴行動についての調査は、大人と子供の間の差を露出させた。成人がリアルタイムでテレビを見る時間は1日に約3時間だが、11歳から15歳では1時間32分となる。テレビを見る代わりに、子供たちはユーチューブなどの短いオンライン動画を見ていた(33分)。この年代が20歳、30歳になる時、テレビはどんな形状になっているだろう。