【九州三国志】忠実なる大村喜前の一生!キリシタンから日蓮宗へ、信仰の軌跡
永禄12年(1569年)、キリシタン大名大村純忠の嫡男として誕生した大村喜前。
その人生は波乱と決断の連続でございました。
父の病に代わり、19歳で豊臣秀吉の九州征伐に参陣し、旧領安堵を取り付けた才覚ある若武者。
その後も文禄・慶長の役や関ヶ原の戦いで、東軍として大義を果たし、家康に信頼される名将へと成長いたしました。
しかし、喜前の物語の特筆すべき点はその信仰の転換にございます。
キリシタンとして生まれ、洗礼名「ドン・サンチョ」を持ちながらも、豊臣秀吉のバテレン追放令を機に領内から宣教師を追放。
その後、日蓮宗への改宗を決断し、領内の教会を破壊しキリスト教徒を厳しく取り締まるまでに至りました。
この転換には、加藤清正の影響や外国勢力への疑念が背景にあるとも言われておりますが、その詳細は今なお謎に包まれております。
慶長12年(1607年)には「御一門払い」を実施し、財源確保と藩主権力の強化を図る一方、大坂の陣では徳川方として豊臣残党の追討に貢献。晩年には領内に寺院を数多く建立し、日蓮宗徒としての立場を明確にしました。
その一方、毒殺されたという説も残る死因は、迫害を受けたキリスト教徒によるものであるとも噂されております。
天正少年使節の副使・千々石ミゲルの従兄弟としても知られる喜前ですが、棄教した千々石を迫害した記録も残り、その行動は複雑な感情と時代の狭間に揺れ動いていたことを感じさせます。
信仰と政治を巧みに操り、波乱の時代を生き抜いた彼の人生は、まさに歴史の縮図そのものでございました。