【九州三国志】日野江城の栄華と転落!八天狗が見守る果樹園の城跡
さて、日野江城という名を耳にされたことはございますでしょうか。
この地には、鎌倉時代の藤原経澄が築き、約400年の歴史を歩んだ城がございました。
藤原経澄は高来郡を治める一方で、築城時に「有間」と称していた姓を後に「有馬」と改め、一族の礎を築いたのです。
戦国時代、有馬氏は南部の小勢力から一気に勢力を拡大し、最大21万石を治める大名へと成長いたしました。
しかし、栄華も束の間、頼りにしていた大内氏の滅亡や龍造寺氏の圧迫により苦境へと陥ります。
晴信の時代にはキリシタン大名として城下にセミナリヨを建設するも、寺社を破壊し、その材を城の補修に用いました。
この晴信の破天荒ぶりが、城の遺構として今も人々の興味を引いております。
その後、松倉重政の島原城建設によって日野江城は廃城となり、歴史の表舞台から姿を消しました。
城跡は果樹園や畑として利用される時代を経て、現代では史跡に指定されつつも、桜の名所として整備が試みられましたが、損壊の指摘により工事が中断されたという一幕も。
かつての栄華を見守るかのように祀られた八天狗の物語が、今も静かに語り継がれている日野江城跡。
島原半島を訪れる折には、ぜひその風景を心に刻んでいただきたく存じます。