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加齢対応のモデルチャンジを拒みV字回復したイチロー

豊浦彰太郎Baseball Writer
白い頭髪と20代から変わらぬ体型が彼の陰の努力を物語っている(写真:USA TODAY Sports/アフロ)

イチローのV字回復ぶりが話題になっている。現地メディアでは、やれ四球を選ぶようになったからとか、ヤンキース最終年あたりには相当多くなった三振が激減したからだとか、様々な分析記事が目に付くし、「現地はこう報じている」というスタイルが大好きな日本メディアもいそいそとそれを伝えている。

マーリンズのイチロー外野手は26日(日本時間27日)時点で今季打率.336と活躍し、メジャー史上30人目となる通算3000本安打まで残り16本と迫っている。米スポーツ専門メディア「スポーツ・オン・アース」は「2016年に最も復活した男」として特集。金字塔に向かってひた走る背番号51の“V字回復”は、アメリカでも大きな話題になっている。

出典:イチローが42歳で見せる驚異の“V字回復”に米メディア注目 「かなり異例」 Full-Count 6月28日

しかし、「やっぱり凄い」と言わざるを得ない。2005~06年あたりだったと記憶しているが、セイバー系シンクタンクの『ベースボール・プロスペクタス』の年鑑が、イチローの紹介記事で「彼はモデルチェンジすべきだ」という主旨のことを書いていたことがあった。

リードオフヒッターとしてフル出場し安打数を追求するのではなく、打順は3番あたりで適度に休養も取り、四球をしっかり選び打数を減らすことにより打率や出塁率に拘るようにした方が良い、というのだ。

根拠も明確に示されていた。当時イチローはすでに30歳を過ぎていたが、30歳を過ぎてからでも増強できる「パワー」とは異なり、加齢とともに最も早く衰える能力が「スピード」だからだということだ。パワーヒッターより、スピードスターの方が早く衰えるということはセイバーの世界では今や定説になっている。

記事では、「イチローはジョージ・ブレットを手本とすべきだ」と記されていた。ブレットは1976年、80年、90年と3つのディケイドで首位打者になったロイヤルズ史上最大のスターで、99年には殿堂入りを果たしている。

彼は、最初のタイトルを取った頃は年間本塁打も1ケタの単打者のスピードスターだったが、年齢を重ねるに連れパワーも増し中距離ヒッターとなった。この打撃スタイルの変化が40歳まで主軸として現役を継続できた主要因だと言うのだ。ぼくも、当時この記事の意見には全く同感だった。

そして、イチローは37歳で迎えた2011年からがくっと成績が低下した。最初は、この年だけが不振だったのだろうと思ったが、その後も成績は低迷を続けた。スポーツ医学やトレーニング方が画期的に進化した時代にしては、むしろ早い衰えだった。「スピード依存型ほど早く成績が低下する」という記事通りだった。プレースタイルの変化を拒んだせいだ、とぼくは思った。

しかし、イチローは42歳の今季復活した。多少は四球を多めに選ぶようにはなったが、スピード重視のプレースタイルはそのままだ。いまだに一塁に駆け込むスピードはメジャートップクラスだ。これは驚くべきことだ。現地の記事では「時計を逆に回す男」との表現もある。しかし、これは正しくはない。日米通算4257本目の安打を放ち、ヘルメットを取って歓声に応えるイチローの短く刈りあげられた頭髪は随分白かった。彼は、40歳前からかなり白髪が多かったが、このことはイチローに対しても等しく加齢による衰えはやって来ることを証明している。それでも、彼の体型は傍目には20代の頃と寸分も違いはない。

年齢に抗うことは、陰で凡人には想像もつかないハードなトレーニングと健康管理を自らに課している者だけに許されるということか。

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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