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消滅60年後にメジャー認定されたニグロリーグの故郷を訪ねて&ニグロリーグ博物館長インタビュー(後編)

豊浦彰太郎Baseball Writer
ニグロリーグ博物館はジャズ博物館と併設されている

前編はこちらhttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/123f7e2cb628fd6ed25745ea995ad1ee82cdc108

ニグロリーグ博物館(Negro League Baseball Museum、以下NLBM)の館長であるボブ・ケンドリックさんとのインタビューは続く。

ニグロリーグの「メジャーリーグ認定」

豊浦彰太郎(以下、豊浦)

2000年12月にMLBコミッショナーのロブ・マンフレッドは「1920年から1948年までの7つのニグロリーグをメジャーリーグとして認定する」と発表しました。この年、黒人差別への反対が大きな社会運動(Black Lives Matter)となったこと、この年がニグロリーグ誕生100周年であったことを考慮すると、多分に政治的な思惑も感じさせる判断だったと思うのですが。

黒人差別への反対運動は野球界でも例外ではなく、球場にもBlack Lives Matter(黒人の命を軽視するな)のバナーが掲げられた
黒人差別への反対運動は野球界でも例外ではなく、球場にもBlack Lives Matter(黒人の命を軽視するな)のバナーが掲げられた写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

ボブ・ケンドリック(以下BK)

実は私もコミッショナーの要請でそのプロジェクトに関わっていたので、MLBによるメジャーリーグ認定が行われることは知っていました。基本的には良いことだと捉えています。現代の多くのファンが、ニグロリーグについて知るきっかけになりますからね。ただし、ほとんどが鬼籍に入った当時の二グロリーガー達が認定を求めたかどうかはわかりませんね。メジャーリーグとして、メジャーリーガーとして認定してもらわなくても、彼らはベストプレーヤーとしての自負があったはずですから。

実はニグロリーグはMLBと非公式でかなりの数の試合を行っているのですが、エキシビションとはいえ明確に勝ち越しています。当時から、実力の面では立派なメジャーリーグだったのです。単に、当時の社会情勢が野球界においても統合を許さなかっただけです。ニグロリーガーたちは、ニグロリーグでプレーすることを選択したのではありません。そこでしかプレーできなかったのです。

ニグロリーグ球団名には写真のように◯◯ジャイアンツというものが多い、当時新聞に黒人の写真を掲載するのはタブー視されていたので、黒人の隠語であるジャイアンツを使い告知や報道で見分けてもらおうとしたのだ
ニグロリーグ球団名には写真のように◯◯ジャイアンツというものが多い、当時新聞に黒人の写真を掲載するのはタブー視されていたので、黒人の隠語であるジャイアンツを使い告知や報道で見分けてもらおうとしたのだ

おそらく当時のアメリカン、ナショナル両リーグにおいて、スーパースター級は人種統合に反対していなかったでしょう。むしろ、平均的レベルの選手たちが、黒人選手の流入を恐れたと思われます。仕事を失う恐れがありましたからね。

ただ、現在もまだかつてのニグロリーグ選手が少数ではありますが健在です。彼らの名誉や彼らのご家族のためには、メジャーリーグとしての認定はとても意義深いものであったと思いますよ。

ニグロリーグとMLB 記録の統合

豊浦

今年5月末、MLBはニグロリーグ記録のMLBへの統合を発表しました。これにより、通算打率歴代トップがあのタイ・カッブの.367から「黒いベーブ・ルース」と言われたジョシュ・ギブソンの.372に置き換わるなどの変化が生まれました。そもそも長い間、ニグロリーグの記録は球団やリーグにより管理・保存されていないと言われていましたが、どうして記録が発掘されたのでしょう。

「球聖」タイ・カッブの空前にして絶後と考えられていた通算打率.367が、彼の引退後100年近くを経て更新された(ジョージア州のタイ・カッブ博物館で2017年に筆者撮影)
「球聖」タイ・カッブの空前にして絶後と考えられていた通算打率.367が、彼の引退後100年近くを経て更新された(ジョージア州のタイ・カッブ博物館で2017年に筆者撮影)

BK

正確には「記録が残っていない」のではなく、「記録が集計されていない」状態だったのです。2020年のMLBによる二グロリーグのメジャーリーグ認定から、コミッショナーの掛け声で記録の集計が始まりました。それは、当時の黒人新聞スポーツページのボックススコアをひとつひとつ確認しながら集計していくという気の遠くなるような作業でした。そして、3年半を経て公式戦の記録のおよそ四分の三を収集するに至ったのです。

その集計作業は現在も進行中です。ですから、この先さらに通算記録やシーズン記録の歴代1位が変わるケースはあるかもしれません。

豊浦

集計の対象は現在「1920年から1948年までの7つのリーグ」とされていますが、それが拡大する可能性はあるのでしょうか。

BK

対象リーグに関してはその絞り込みにかなり研究、議論を重ねた結果なのでそれはないと思いますが、対象年が広がる可能性はあると思います。そうすると、ハンク・アーロンの通算記録も変更されるでしょう。彼は、ブレーブスと契約する前の1952年、ニグロ・アメリカンリーグのインディアナポリス・クラウンズでプレーしていますから。

ケンドリック館長の少年時代のアイドル、通算755本塁打のハンク・アーロンのプロキャリアは、ニグロリーグ球団でスタートしている(2024年筆者撮影)
ケンドリック館長の少年時代のアイドル、通算755本塁打のハンク・アーロンのプロキャリアは、ニグロリーグ球団でスタートしている(2024年筆者撮影)

豊浦

すると、通算本塁打が755本から上積みされて、バリー・ボンズの767本を超えることも?

BK

いや、その年の出場数は多くないので、数本は上乗せされるでしょうがボンズ超えはないでしょう(笑)

豊浦

ギブソンは生涯に800本塁打を放ったともされ、野球殿堂のプラークにもそう記されていますが、現在、彼の公式の通算本数は174本ですね。

BK

800本はエキシビションも含めた上での推定値です。これには遠く及びませんが、今後記録の発掘が続けば174本という数は増えていくでしょう。また、本塁打一本あたりに要した打数という観点では、ギブソンは大変素晴らしい数値を残しています。彼が稀代のホームラン打者であったことは間違いありません。

ジョシュ・ギブソンは通算800本塁打を放ったともされている
ジョシュ・ギブソンは通算800本塁打を放ったともされている写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

変化していく野球

豊浦

最後に、これはニグロリーグとは直接関係ありませんが、近年のベースボールの変化について感想をお聞きしたいと思います。商業主義が幅を利かせ、データ解析が進み、電子計測がどんどん進歩しています。

ケンドリック館長はMLB公式戦で始球式を務めたこともある、隣りは殿堂入り名投手ファーガソン・ジェンキンス(通算284勝)
ケンドリック館長はMLB公式戦で始球式を務めたこともある、隣りは殿堂入り名投手ファーガソン・ジェンキンス(通算284勝)写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

BK

私は、基本的にはオールドスクール派なので、あまりに統計値重視なことには抵抗を感じます。また、インプレーが少なく本塁打や三振ばかりの傾向も良くないと思います。その点、二グロリーグのプレースタイルは、スピーディで観客を退屈させないものでした。出塁したら、即二盗、隙あらば三盗、場合によっては本盗も狙いました。バントも多用していたようです。基本的にはいわゆるスモールボールだったのですが、その魅力はしっかりした基本と卓越した身体能力にあったと言って良いでしょう。その点では、MLBの2023年からの盗塁促進のためのベース拡大は歓迎すべきアクションでしたね。

導入に際しては賛否のあったピッチ・クロックだが、試合時間の短縮に大いに寄与したことは間違いない
導入に際しては賛否のあったピッチ・クロックだが、試合時間の短縮に大いに寄与したことは間違いない写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ

ルールの変更で言えば、同年からのピッチクロックの導入も、最初は好きではありませんでしたが、ゲームのスピード化に寄与していることは間違いないですね。ただし、近い将来と噂されているAI判定の導入には賛同できかねます。審判により微妙に異なるストライクゾーンに上手に対応していくことは、選手にとって大切なスキルだと思います。仮に不正確なコールがあったとしても「ゲームの一部」です。

ニグロリーグとその博物館の歴史的意義

ケンドリックさんとのインタビューは、博物館のロビーに置かれているテーブルセットでカジュアルに行われた。オープンスペースであるため、途中で彼を見つけた人たちがひっきりなしに声を掛けてきた。彼のガイドで見学を終えた人たちが、その情熱と愛に溢れる語り口に感謝の言葉を寄せてくるのだ。おかげでインタビューは再三中断したが、少しも嫌な思いはしなかった。それどころか、多くの人々に慕われる彼の人柄が窺い知れ、こちらまでほのぼのとした気分になった。ぼくとのインタビューが終わると、「次のツアーのガイドがあるので」と、彼は右手を差し出し握手を交わすと去って行った。そして、また熱弁がスタートした。

ニグロリーグ博物館の来場者は白人も多い、フィールド・オブ・レジェンズの中央でニグロリーグへの愛を語るケンドリック館長(2024年筆者撮影)
ニグロリーグ博物館の来場者は白人も多い、フィールド・オブ・レジェンズの中央でニグロリーグへの愛を語るケンドリック館長(2024年筆者撮影)

今回の訪問で感銘を受けたこととして、ニグロリーグ博物館の来訪者の多様性がある。老若男女というだけでなく、人種構成も多岐にわたっているのだ。もっとストレートに言うと想像以上に白人客が多かった。実は、アメリカの人種問題を扱った施設では、白人の来訪者は極端に少ないのが、(限られた範囲だが)ぼくのこれまでの経験だった。

「ベースボールといういわばナショナルパスタイムの博物館だから」と思われる方も多いと思う。しかし、ニグロリーグ博物館訪問の2日後に訪れた、ニューヨークの「ジャッキー・ロビンソン博物館」では、訪問者のほぼ全員が黒人だった。世界一の観光地マンハッタンにあり、対象がロビンソンであることを考慮するとかなり意外だった。

ニグロリーグ博物館訪問の2日後に訪れたジャッキー・ロビンソン博物館は、ロアー・マンハッタンにある(2024年筆者撮影)
ニグロリーグ博物館訪問の2日後に訪れたジャッキー・ロビンソン博物館は、ロアー・マンハッタンにある(2024年筆者撮影)

また、8年前になるが、ケンタッキー州ルイビルの「モハメド・アリ・センター」でも黒人以外の客は極めて少ない印象だった。ロビンソン博物館にせよ、アリ・センターにせよ、彼らのアスリートとしての栄光以上に、人種差別との闘いや当時のアメリカ社会の現在とは異なるあり様を真面目に取り上げ、人権や平等の大切さを訴えることを目的とした施設だ(余談だが、アリ・センターに関しては、某有名旅行口コミサイトに、「猪木戦の展示がなくてがっかり」という日本人のコメントを見つけたことがある。この人は何にもわかっちゃいない)。

アリの故郷であるケンタッキー州ルイビルにあるモハメド・アリ・センターは、人権や平等について深く考えさせられる施設だ
アリの故郷であるケンタッキー州ルイビルにあるモハメド・アリ・センターは、人権や平等について深く考えさせられる施設だ写真:ロイター/アフロ

スポーツ関連以外では、7年前にアラバマ州モンゴメリーの「ローザ・パークス博物館」を訪れたことがある。ここは、1960年代の公民権運動の象徴でもある「バスボイコット事件」を極めて真面目に取り上げている。ここでも白人の姿は全く見受けられなかった。

バスボイコット事件の現場には記念碑が建てられ、そのすぐそばには地面の詳細を伝える「ローザ・パークス博物館」がある(2017年筆者撮影)
バスボイコット事件の現場には記念碑が建てられ、そのすぐそばには地面の詳細を伝える「ローザ・パークス博物館」がある(2017年筆者撮影)

オハイオ州シンシナティの地下道博物館には2013年と2016年に計2度訪れたが、やはり白人の姿はなかった。これは、奴隷解放前に自由州だったオハイオへオハイオ川を挟んだ対岸の奴隷州ケンタッキーから逃亡する黒人をサポートした組織に関する展示を行っている。

そう考えると、ニグロリーグ博物館の多様性は評価に値する。ケンドリックさんが語る様に、単なる野球博物館の域を超え、人権や平等、社会正義に関する施設としても高く評価されるべきだろう。

NLBMは順調にいけばこのニグロリーグ発祥の建物の反対側に移転してくるはずだ(2024年筆者撮影)
NLBMは順調にいけばこのニグロリーグ発祥の建物の反対側に移転してくるはずだ(2024年筆者撮影)

ニグロリーグはなぜ誕生し、存在しなければならなかったのか。たまたま19世紀にキャップ・アンソンが黒人選手の採用に反対したとか、1920年に初代コミッショナーに就任したケネソー・マウンテン・ランディス判事が人種統合の動きを制したとかの、野球界のみの個別事情ゆえではないだろう。そもそも最高裁がいわゆるブラウン判決で、人種分離を違憲としたのはロビンソン登場7年後の1954年だ。公民権法が成立したのはニグロリーグ消滅後の1964年のことだ。ニグロリーグが誕生せざるを得なかったのは、極めて根深い必然だった。

NLBMから約1kmの場所にニグロリーグの伝説的球団モナークス、KC時代のアスレチックス、創設時のロイヤルズらの本拠地ミュニシパル・スタジアム(1923〜76年)の跡地がある
NLBMから約1kmの場所にニグロリーグの伝説的球団モナークス、KC時代のアスレチックス、創設時のロイヤルズらの本拠地ミュニシパル・スタジアム(1923〜76年)の跡地がある

そこには記念碑が立っている。徒歩でも行けるが周辺は殺伐としておりレンタカー利用がベター。NLBMを訪れる際はセットで訪問したい
そこには記念碑が立っている。徒歩でも行けるが周辺は殺伐としておりレンタカー利用がベター。NLBMを訪れる際はセットで訪問したい

前編はこちらhttps://news.yahoo.co.jp/expert/articles/123f7e2cb628fd6ed25745ea995ad1ee82cdc108

Baseball Writer

福岡県出身で、少年時代は太平洋クラブ~クラウンライターのファン。1971年のオリオールズ来日以来のMLBマニアで、本業の合間を縫って北米48球場を訪れた。北京、台北、台中、シドニーでもメジャーを観戦。近年は渡米時に球場跡地や野球博物館巡りにも精を出す。『SLUGGER』『J SPORTS』『まぐまぐ』のポータルサイト『mine』でも執筆中で、03-08年はスカパー!で、16年からはDAZNでMLB中継の解説を担当。著書に『ビジネスマンの視点で見たMLBとNPB』(彩流社)

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