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旧東海道に佇む酔芙蓉の寺「大乗寺」を訪ねて

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
大乗寺の境内は酔芙蓉に包まれている(以下の写真もすべて筆者が撮影)

 京都へ通じる旧東海道は、蹴上が出入口となる。地下鉄東西線の蹴上駅で降りて、まずは今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも話題となった源義経のゆかりの地蔵尊へ。場所はインクラインの最上部に位置する。

 平安末期、奥州へと旅立った牛若丸こと源義経は、この地で平家の一団に遭遇。そのうちの一人が乗っていた馬が泥水を跳ね上げてしまい、牛若丸にそれがかかった。しかし全く非礼を詫びようともしないその高圧的な態度に、牛若丸は、思わず9人を斬り殺してしまったという。

 のちにそれを悔いた牛若丸は、周辺の人に依頼して、殺した平家の9人の菩提を弔うために9体の石仏を刻んで置いたといわれており、そのうちの1体が残り、義経地蔵という名前で今日に伝わっている。

義経地蔵の後ろから市内が一望できる
義経地蔵の後ろから市内が一望できる

 そこから三条通を山の中へと進んでいくのだが、この山は九条山(くじょうやま)と呼ばれている。古くからこの地は京都への入口で、東海道が整備されてますます多くの人が行き来した。しかし、京都へたどり着くその直前に、厳しい山越えの坂道を登らないといけないことから苦情が多く、いつしか山の名前が「苦情山」と呼ばれたという。

 また他の説では、この地が処刑場であり、多くの人が斬られて晒されたと伝えられ、こういった場所に対する苦情であったとも言われている。現在はそれを伝える看板が設置されているのみで、当時をイメージさせるものは何も残っていない。

東山ドライブウェイの高架下に設置されている
東山ドライブウェイの高架下に設置されている

 九条山から下り始めると、旧東海道に敷設されていた車石のモニュメントにたどり着く。かつて荷物を運ぶ際に、大変役立ったことがよくわかる。実は旧東海道にはいくつかの車石が現在も保存されている。その場所を起点に、旧東海道が三条通と分離し、道幅が極端に狭くなる。5分程歩くとお目当ての大乗寺に到着する。

1997年に京阪電車の京津線が撤去された際に展示された
1997年に京阪電車の京津線が撤去された際に展示された

 大乗寺は、江戸中期に開かれた法華宗寺院で、かつて上京区にあったが、昭和55年に現在地に移転してきたという。一時は荒廃したが、平成4年に入寺したご住職が、参道の整備など復興をすすめ、その時に50本の酔芙蓉を植えた。それが年々数を増やして現在では1300本ほどに増え、「酔芙蓉の寺」と呼ばれるようになった。

ここまでがかなり急な坂道なので足元に注意が必要
ここまでがかなり急な坂道なので足元に注意が必要

 芙蓉は朝に咲き夕方には萎む一日花で、酔芙蓉は八重咲きで朝のうちは白、午後にはピンク、夕方から夜になると紅色になるという珍しい花。この色の変化から、まるでお酒に酔っているかのようであったので、「酔芙蓉」と名付けられたという。見頃は9月中旬から10月中旬まで。境内は自由にお参りが可能。

 境内には日蓮上人晩年の歌碑、さらに光孝天皇や源宗于(むねゆき)が詠んだ歌碑が建っており、平成15年には酔芙蓉観音像も建立された。

背丈が高いものが多く、花の多くは上層部についていた
背丈が高いものが多く、花の多くは上層部についていた

 大乗寺を出てひたすら旧東海道を下ると、三条通にやがて再合流する。その場所にあるのが天智天皇陵。近江京へ遷都を行い、庚午年籍を制定、大化の改新を推し進めたが、意思半ばで崩御した。

 その御陵は生前愛した山科に造営され、被葬者不明の御陵が多い中で、確定している珍しい御陵と言える。また参道手前には政治や暮らしに時(漏刻)を導入した天智天皇を称えるかのように、日時計が設置されている。

天智天皇陵から地名が「御陵」(みささぎ)となった
天智天皇陵から地名が「御陵」(みささぎ)となった

 そこから再び三条通と別れを告げると、旧東海道は山科駅に繋がる。少々健脚向きと言えるが、ぜひこの時期に歩いてみて欲しい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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