【札幌市白石区&豊平区】「廃線跡を行く」その3 東札幌駅〜豊平駅
不定期投稿「廃線跡を行く」今回はその第3回目です。
今までの2つは、こちら。
東札幌駅構内へ。
前回は苗穂駅から1973年以前の千歳線の跡を辿って来ましたが、今回はかつての広大な東札幌駅(1926-1986)の構内に徐々に入ります。
前回と重複しますが、かつての千歳線の並びはこうです。
★札幌
★苗穂
ぐるっと回り込んで函館本線と分岐して
★東札幌(今のラソラやコンベンションセンター)
定山渓鉄道と分岐
★月寒(つきさっぷ、と読みます。今のアサヒビール工場)
★大谷地(今の南郷18丁目、ケンタッキー横の「白石東冒険公園」)
★上野幌(今の駅より数百メートル北にあった)
コンベンションセンターのもう少し西側まで進み、ショッピングモール「ラソラ」の一隅にて、かつての東札幌駅の記念碑に出会います。ここからの千歳線ルートは、かつてにて散歩(ポタリング)しました。
コンベンションセンターや産業振興財団は現在のガイドの仕事でお世話になっているのですが、かつての東札幌駅という物流拠点は、現在は情報拠点となっているわけですね。
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私が東京から札幌に移住して来た1996年には、まだこのエリアには積まれた線路や遺構が残っていて、駅前には現役の蕎麦屋があったのを覚えています。昔は駅前や駅構内には蕎麦屋は付き物でしたね。
さあ、それではもう一駅分だけ西に進んでみましょう。
今日は定山渓鉄道に入ります。
東札幌駅から千歳線(現在の「白石ここロード」)をたどって大谷地駅のあたりまでのサイクリングは以前に記事にしたので、今回は定山渓鉄道線(定鉄・1916-1969/苗穂~東札幌は1931より、札幌駅まで運行された)の廃線の方をたどります。
しかしながら、当時の定鉄の敷地はかなりの部分を現在マンションなどに活用しているので、それを探すのは正確には難しい。おそらくサイクリングロードのかたわらのワンちゃん看板あたりが定鉄と千歳線との分岐だったのかな、と思います。
沿線には線路沿にありがちな倉庫や工場が今でも。
そして今はなき定鉄鉄路をトレースして、ペダルを進める。
定鉄豊平駅跡に到着。
現在はマンションとなっている国道36号線沿いの豊平駅のあった場所に到着しました。こちらも私が札幌に来た1996年の段階では、まだレトロな旧駅舎が定山渓鉄道本社として残っており、かつては駅前広場だっただろうという雰囲気の商店や、36号線を渡る歩道橋もありました。大きなマンションに変更となったのは2000年前後だったでしょうか?もう少し後かな?
この豊平駅より先の線路跡は、現在の地下鉄平岸駅以南は南北線として活用されました。それは定鉄がクローズしてからわずか2年後の1971年のことです。いつか時間があれば、豊平駅からその次の駅だった澄川まで(つまり定鉄には平岸、南平岸駅はなかった。豊平から澄川まで6分で爆走していました。)また探検してみたいと思います。
鉄道廃線の跡の活用について。
確かに鉄道や廃線ファンとしては鉄道跡は残して欲しいと思います。しかし企業は食べていかなくてはならない。JR北海道も定山渓鉄道も、貨物の運搬手段が変わり旅客が減って鉄道収入が維持できなくなった時に、またサイクリングロードなどへの転用も難しい時には、そのスペースを活用して収入を得るためスーパーマーケットやマンションにフォーマットを変更して家賃収入を得ようとするのは、当然の選択だと思うのです。
小樽の手宮線跡は、ある意味お金がなくて線路も撤去しないでいたところ、観光都市のシンボルとして、それ自体が人を呼べるようになったと聞いたことがあります。さすがにもうそれをなくそうとできないほど存在意義が大きくなりましたし、海外からの観光客を呼んで小樽市の観光収入の増加に寄与しています。いわば手宮線の廃線は運命に勝った、とでも言えましょうか。
廃線を残したり、廃線跡を活用したいのであればどうすれば良いのか。札幌の、いや北海道や日本中の廃線が少なくとも廃線跡として生き残るためには?
廃線になったということは、その土地にとっては、第二の人生を模索しなくてはならなくなったのだから、僕らがかつて鉄道だった土地をサポートしてあげなくてはならない。そう思っています。
■東札幌駅(跡)■
かつての住所:札幌市白石区菊水7条4丁目
「東札幌駅の記憶」碑:札幌市白石区東札幌3条1丁目
札幌市発行媒体のコラムは、こちら。
■白石こころーど■
(道道札幌恵庭自転車道線)
札幌市の情報は、こちら。
■豊平駅(跡)■
かつての住所:札幌市豊平区豊平4条8丁目
札幌市の情報による、昔の豊平駅の写真は、こちら。