【アジア大会男子サッカー】優勝により”徴兵免除”の韓国。もし日本が勝っていたら、どうなっていたのか。
1日に行われたアジア大会決勝。日本は韓国に1-2で敗れ、優勝を譲った。
今回対戦した両チーム、日本は2年後の東京五輪を見据えたU-21代表だったのに対し、韓国は大会規定に沿ったU-23代表でかつオーバーエイジも海外組も総動員していた。
テレビ中継でもくり返し言われていたが、韓国の選手たちには優勝による徴兵の免除がかかっていた。
もちろん日本も本気だったが、相手には優勝に対するまた違った執念があった。
これを説明するために、ひとつ仮定の話を。
”もし結果が逆だったら、徴兵免除の恩恵を得られなかった韓国選手たちはどうなっていたのか”
筆者自身情報を整理し直し、改めてその壮絶さを知った。また、インスタグラムで(お恥ずかしながら)フォローしているK-POPアイドル(女子)も結構この試合の情報をアップしており、関心度の高さを思い知らされたりもした。
ソン・フンミンの場合。一般的なキャリアのピーク20代後半が「大断絶」に
満18歳以上の健康な成年男子に徴兵の義務が課される韓国。満19歳までに検査を受け、適性を判断されなければならない。
20代の男性アスリートで未入隊者は「徴兵時期を延長している」という状態だ。そういったなかで、「五輪でのメダル」あるいは「アジア大会優勝」で「国家に貢献した」とされ、徴兵が免除となる。
より厳密にいうと最短21ヶ月間軍事訓練を行う「現役兵」に対し、「補充兵」という支援部隊に転じる。この「補充兵」のうち2週間の基礎軍事訓練を受ければ現在の職業をやめずに済む「芸術体育要員」に分類される。韓国でも日本でもメディアでは「免除」と報じられるが、実際は2週間の基礎軍事訓練は受けるのだ。
今回、もっとも切羽詰まっていたのが現在26歳のソン・フンミンだった。年齢が高かったためだ。
もし日本戦に敗れていたら、おそらく次の冬のウィンドーあたりでKリーグクラブに移籍していた。そして2019年7月以降に同時にKリーグ1部クラブからのレンタル移籍のかたちで軍隊チームの尚武(サンム)、もしくは警察庁でおよそ2シーズンプレーしていただろう。
現地メディア「中央日報」にこういった情報が掲載されていた。
ソン・フンミン 兵役関連
●1992年7月8日生まれ(満26歳)
●2008年トンブク高中退。4級補充兵・招集対象者(2019年7月まで国外旅行許可)
●兵役法上、軍チームであるサンムや警察庁蹴球団に入団しようとすれば28歳になる前の来年に一旦Kリーグクラブに入団しなければならない。
高校を3ヶ月で中退しドイツ(HSVの下部組織)に渡ったため、上記の一般の軍人ではない「補充兵」の対象者になる。ただし、今回優勝を逃していたら「芸術体育要員」にはなれなかった。そうなると「公益勤務」(駅での案内役など、ボランティア的仕事)を行いながら、週末はアマチュアの資格でプレーを続けていた。実際に韓国代表経験者でもこれを選択し、3部リーグでプレーを続けた選手もいる。
いっぽう、この「補充兵」は志願すれば一般兵として服務することも可能。現実的にはソンはこれを選んだのではないか。
こうしてこそ、Kリーグ1部の「尚武」でのプレーが可能だからだ。国軍体育部隊のチームだ。ここで2週間の基礎軍事訓練を受けた後、トレーニングと試合がメインで、自由時間と給料が大きく制限される生活を送る。かつてここでプレーしたイ・ドング(全北)は「夕食後の自由時間にどうしてもやることがなくて、筋トレを始めたらプレーがよくなった」と話していた。軍人チームという性格上、クラブはたとえ上位に入ってもACLの出場権が与えられない。現在Kリーグ1で12チーム中10位につける。最下位は自動降格、11位だとプレーオフに回ることとなる。
いずれにせよ、長くて3シーズンは欧州を離れなければならなかった。20代後半でのこの時間はキャリアにおいて致命的だっただろう。
ソンはこれまで、2度もの免除の機会を逸してきた。2012年ロンドン五輪(同世代メンバーは銅メダル獲得で免除)は、本人の関係者側が所属チームでのプレーを優先するよう主張したとされ、不参加。2014年アジア大会(優勝)は所属クラブ側が参加を許可せず。ようやく出場した2016年リオ五輪はベスト8まで進みながら、ホンジュラスにまさかの敗戦を喫した。2度逃して、2度目のチャンスでこれを手にしたのだった。
ファン・ヒチャンの場合「ドラフト拒否」により、最悪なケースでは一般軍人となった可能性も
今回の韓国代表はこの時点でのU-23世代を軸としていた。仮に優勝を逃していても、制度的には次の東京五輪に徴兵免除のトライが出来る選手が数名いる。
そういったなかでも、22歳のファン・ヒチャン(ロシアW杯代表)は複雑な事情を抱えていた。
2015年に当時存在したKリーグドラフトで浦項スティーラースに指名された。ユースチームからの昇格だったが、韓国独自の「優先指名」という制度が採用されたのだった。
しかしファンは、この入団交渉段階で「ドラフト指名破棄」という国内ルールでは重大な契約違反を犯した。ザルツブルグ(オーストリア)からオファーを受け、入団を決めたのだ。
手塩にかけて育てたユースの逸材が、まさかのトップチーム昇格拒否。ドラフト指名破棄は国際ルール上は問題なく欧州へ移籍は成立した。しかし当時、国内での印象は最悪だった。
では、今回免除を逃し、28歳になっていたらどうなっていたのか。
「かなり複雑な状況になったでしょう。軍隊チームの尚武や警察庁に入ろうとしたら、まずはKリーグクラブに所属しなくてはなりません。現行のルールでは浦項の入団交渉権は残る。だからファン・ヒチャンは浦項に許しを得、さらにKリーグに許しを得た上でまずは浦項に入団しなければならなかったでしょう」(韓国のサッカー専門サイト記者)
この記者は「最終的には浦項は入団を認めただろう」とするが、過去にKリーグでは似た事例で大きく揉めたことがある。
元韓国代表のFWイ・チョンスは09年7月に当時所属していた全南ドラゴンズのコーチ陣と衝突。暴行を働き、クラブからKリーグに対し「任意引退選手」の申請を出されてしまった。その後、アル・ナスル(サウジアラビア)、大宮アルディージャを経て2012年にKリーグ復帰を望んだが、この際なかなか全南が「任意引退選手」の処置を解除しなかった。イは幾度も全南のホームスタジアムに出向き、スタンドでファンに頭を下げた。これが解除されたのが2013年2月。じつに1年をかけてイは郷里のクラブ仁川ユナイテッドへの入団を許されたのだ。
もし仮に、浦項側が入団を拒否したらーー。最悪なケースでは一般の軍人としてサッカーから離れて服務しなければならなかった。これまたキャリアの大断絶。ソン・フンミンと並び、ファン・ヒチャンも厳しい状況を回避できたのだった。
3日に閉幕したアジア大会。金メダル獲得にかける韓国男子アスリートの姿勢はさまざまな視点で取り上げられるが、背景にはこういった事情がある、というところだ。